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[No.14326] 二宮金次郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/02/02(Wed) 08:17
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二宮金次郎
画像サイズ: 612×816 (69kB)
二宮金次郎は
小田原の生まれ。
だから
小田原駅には
二宮金次郎の像がある。


[No.14327] Re: 二宮金次郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/02/02(Wed) 08:19
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Re: 二宮金次郎
画像サイズ: 612×816 (73kB)
> 小田原駅には
> 二宮金次郎の像がある。

いつも
周りに
人がいっぱいなので
しばらく待って
人が途切れたひとときをみはからって
写しました。


[No.14328] Re: 二宮金次郎 投稿者:   投稿日:2011/02/02(Wed) 08:22
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Re: 二宮金次郎
画像サイズ: 735×689 (90kB)
いま
二宮金次郎の本を読んでいるので
二年前に小田原に行った時写した写真を思い出して
探してきました。


[No.14331] Re: 二宮金次郎 投稿者:   投稿日:2011/02/02(Wed) 23:12
[関連記事URL:http://c-kitamura.cocolog-nifty.com/blog/

Re: 二宮金次郎
画像サイズ: 760×507 (83kB)
男爵さん、こんにちは。
二宮金次郎の話が出ましたので私もこれに関連して・・・

'07/10 に日光街道を歩いた時のこと。
栃木県今市市にある「二宮報徳神社」に、二宮金次郎の墓と銅像がありました。

『報徳神社の社殿裏にある「二宮尊徳の墓」で、今市市の解説によると・・・二宮尊徳翁は天保13年(1842)56歳の時に幕府の役人に登用され、2年後に日光領仕法の計画を命じられました。
当時の日光神領は田畑は荒廃し、農業経営が成り立たない「潰れ」が多発する状況でした。このような状況から復興させるために、日光領仕法が行われたのです。
実際に仕法が行われたのは嘉永6年(1853)から尊徳翁が亡くなり、その遺命を息子の弥太郎が受け継いだ15年間です。』


[No.14332] Re: 二宮金次郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/02/03(Thu) 06:36
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年金青年さん  こんにちは

> '07/10 に日光街道を歩いた時のこと。
> 栃木県今市市にある「二宮報徳神社」に、二宮金次郎の墓と銅像がありました。
>
> 『報徳神社の社殿裏にある「二宮尊徳の墓」で、今市市の解説によると・・・二宮尊徳翁は天保13年(1842)56歳の時に幕府の役人に登用され、2年後に日光領仕法の計画を命じられました。

二宮尊徳は
今市で亡くなったのですね。
明治天皇も感心した二宮金次郎。


[No.14333] Re: 二宮金次郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/02/03(Thu) 09:54
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Re: 二宮金次郎
画像サイズ: 816×612 (57kB)
この小田原駅構内の金次郎の像は
このようにいつも人がいて
人のいなくなったときに撮影しようとすると
時間の余裕がないといけません。

したがって
ここに紹介した一連の写真は
そのときはあきらめて
後日に再び行って写したものなのです。


[No.14396] Re: 二宮金次郎 投稿者:男爵  投稿日:2011/03/02(Wed) 20:15
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Re: 二宮金次郎
画像サイズ: 326×539 (23kB)
かつては
二宮金次郎の像はたくさんあったようですが
今はあまり見かけません。
東京駅前の書店の入口に
金箔を張り付けた二宮金次郎の像がありますね。

これは(たぷん)私の町で撮った写真です。