> 阿倍仲麻呂つまり晁衡あるいは朝衡の名前ですが > どうして朝の字がついたのか > これにこだわる学者がいます。
この研究者によると以下のようになります。 姓の「朝」は、ふつう「朝臣」からきたものだとされている。 当時の中国の習慣では、外国人はその出身国の国名を名字にしているが、日本人だけがそうしない。 その理由としては、ひとつには、そのころ国名が、ちょうど倭(わ)から日本へと移行する時期だったからだろう。
だがもうひとつ私が考えるのは、彼はむしろ、「日出ずる(つまり朝日の)国、日本」だからこそ、「朝」と名乗ったのではないかという可能性だ。
ところが実は、日出ずるという名を持つ国は、わが日本よりはるかに昔から、東アジアにはもうひとつ存在していた。 しかもその国は、まさに「朝」の字そのものを、国名に用いていたのだ。
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この説によれば 阿倍仲麻呂は日本人ではなく、朝鮮人だったのではないか ということですが はたして、そのころは朝鮮という国名はあったのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE これによれば 「朝鮮」の名はすでに紀元前4世紀頃からあった。 史記や管子に「朝鮮」という地名に関する記述がある。 朝鮮王朝(李氏朝鮮)の官選地理書「東國輿地勝覧」によると中国人が朝光鮮麗の地と呼んだためといわれ、さらに、東方(=朝)の鮮卑に由来すると言う説もある。 しかし 百済、新羅、高句麗、日本の資料には「朝鮮」という呼び方はないのです。 朝鮮は、中国側の呼び方で、初めは遼東の地名であった。 ということで 阿倍仲麻呂は朝鮮の人ではなく日本人だということになりそうです。
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