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[No.14660] 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:29
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会津
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いま福島県は存亡の危機にあると言っても
言い過ぎではないでしょう。

会津若松も原子力発電所から離れているとはいえ
修学旅行からも観光客からも
避けられているようです。

これも一種の風評被害。

松平容保(まつだいら かたもり)は、会津藩最後の藩主で
悲劇の藩主だった。

松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。
しかし
孝明天皇は突然病死してしまった。
公武合体の維持を望む孝明天皇の考えに批判的なものたちは喜んだであろう。

ここから
松平容保と会津藩の悲劇がはじまった。

松平容保の死の前日には明治天皇から牛乳を賜った。
容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
その際、宸翰と御製を賜ったのだが
彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

会津の関係者は時とタイミングをみはからって
これを発表した。


[No.14661] Re: 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:31
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Re: 会津
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> 松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。

> 容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
> その際、宸翰と御製を賜ったのだが
> 彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

男は黙って
死んでいったわけです。


[No.14662] Re: 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:35
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Re: 会津
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> > 松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。
>
> > 容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
> > その際、宸翰と御製を賜ったのだが
> > 彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

これらの資料は
会津の福島県博物館に展示されてあります。

そういうわけで
孝明天皇の死があまりにもタイミングよく起こったので
会津の人たちは、天皇は毒殺されたと今も思っています。


[No.14666] 一期一会 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/04(Sat) 06:53
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一期一会
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毎年秋に行われる
会津まつり「藩公行列」です。

このところ何年か毎年に見に行っています。

直木賞作家の早乙女 貢は会津藩士の子孫のようです。
だから会津に対する思い入れも強く
代表作に吉川英治文学賞を受賞した『會津士魂』などがあります。

この年
某所に早乙女 貢の関係者(毎年東京から旅行団をつくりやってくる)が集まり飲食をしていました。
私もどういうわけかその中にいました。

行列のあとに
着替えた早乙女 貢がここに来るから
そうしたら紹介すると言われたのですが
帰りの列車の時間がせまったので
来年には泊まるからぜひ会わせてくださいと頼んで帰りました。

翌年また会津にいったとき
早乙女 貢がそのあと亡くなったいう話を聞きました。
あのとき会っていれば....