画像サイズ: 965×799 (75kB) | いま福島県は存亡の危機にあると言っても 言い過ぎではないでしょう。
会津若松も原子力発電所から離れているとはいえ 修学旅行からも観光客からも 避けられているようです。
これも一種の風評被害。
松平容保(まつだいら かたもり)は、会津藩最後の藩主で 悲劇の藩主だった。
松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。 しかし 孝明天皇は突然病死してしまった。 公武合体の維持を望む孝明天皇の考えに批判的なものたちは喜んだであろう。
ここから 松平容保と会津藩の悲劇がはじまった。
松平容保の死の前日には明治天皇から牛乳を賜った。 容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ その際、宸翰と御製を賜ったのだが 彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
会津の関係者は時とタイミングをみはからって これを発表した。 |