大正の部屋  ー温故知新ー 

大正・昭和初期の実体験を 話す・語り合う・聞く・訊く
その時代の伝聞(親・親戚・知人より)を披露し合う
主役は上記時代お生まれの世代ですが、参加は老若広く
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  • [No.400] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:BUP  投稿日:2008/02/25(Mon) 08:11
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    白兎山人さん  有難う御座います
    昔の写真 その3
    同じく アンボン です。
    台湾銀行がどうして此処に在ったのか分かりません。
    日本人は お正月 が好きなんですね
    戦争があろうとなかろうと・・・


    [No.399] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:   投稿日:2008/02/24(Sun) 21:16
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    > 下の集会所の写真の暖簾には「瑞気満堂」と左書きで書いてありますが、どういう意味なんでしょうか。

    「瑞」は 龍や鳳凰が象徴する目出度さ
    集会所を 戦勝の気が充ち満ちている目出度い場所 と称したのでしょう


    [No.398] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:BUP  投稿日:2008/02/24(Sun) 18:19
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    マーチャンさん
    其のうちに地獄になりますよ。

    その2
    アンボンです、西ニューギニアの西側、モルク諸島のアンボイナ島の町です。
    南西方面艦隊 第24根拠地隊(陸戦隊)が在りました。
    真ん中の写真、防空壕の上の屋根は、直撃弾を此処で瞬発させて、被害を抑えると言う目的ですが、気休めでした。


    [No.397] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:マーチャン  投稿日:2008/02/24(Sun) 17:04
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    BUPさん

    > これはセレベス島の北部 ランゴアン と言う航空基地の在った街です。
    > (メナドー今はマナドーの近所)
    > 開戦当初、海軍の落下傘部隊が降下した場所です。

     大変貴重なお写真、ありがとうございました。
     
     それにしても、昭和18年秋当時のセレベス島って、案外、長閑だったのですね。
     温泉があったり、「おでん」が食べられたり。


    [No.396] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:BUP  投稿日:2008/02/24(Sun) 15:37
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    変蝠林(1917-) 様
    昔の写真 その1
    これはセレベス島の北部 ランゴアン と言う航空基地の在った街です。
    (メナドー今はマナドーの近所)
    開戦当初、海軍の落下傘部隊が降下した場所です。
    (陸軍はスマトラ島のパレンバン)
    温泉が湧いておりましたが、ぬる目でした、高原の町で、娘さんはミナハサ美人、よい町でした。
    温泉目当てで降下したわけでは御座いません。
    下の集会所の写真の暖簾には「瑞気満堂」と左書きで書いてありますが、どういう意味なんでしょうか。
    「おでん」の字も見えますね。


    [No.395] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/02/22(Fri) 14:07
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    BUP 様

    > これには想い出が御座います。
    > 昭和19年か20年初頭の頃と思います、爪哇島のスラバヤより、バリ、フロレス、

     大層な戦歴ですね。 でも生還されて良かった。
     私は其の頃、米軍の杭州湾上陸に備えて石仏の大同から上海近郊の大倉鎮に南下
     をして居りました。

     或る夜非常呼集で完全軍装、駅まで十数キロを掛け足、待機の貨物列車に乗り南京
     で昼の飯上げ中に彼のラジオ放送があったらしいのですが揚子江を渡って更に北上
     途中新四軍の攻撃を数回受け都度停車応戦の為に前車列は山海関を過ぎて入満し
     たのに天津で降ろされ年末まで完全軍装で郊外警備。 

     御蔭で満州入り即シベリア行きを免れ、更に軍需廠一杯の天津の事、日本軍管理下
     毎日菓子煙草が山為して給与、タバコが高粱酒に化けてすっかり酒豪に・・・・・

     蒋介石と毛澤東さんの御蔭と、塞翁が馬の采配は正に怪々、四十八キロの補充兵が
     六拾キロになっての凱旋。

     運命と言うものは正に異なものですね。
                                          変蝠林(1917-)


    [No.394] Re: 南方戦線の写真。 投稿者:BUP  投稿日:2008/02/22(Fri) 10:48
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    画像サイズ: 521×634 (60kB)
    変蝠林(1917-)大兄様
    拙サイトをご覧頂き有難う御座います。
    輸送機のエンジン交換の際、内地に飛ぶ機会が御座いましたので、その際、自宅に持ち帰った写真が数枚、残っておりました。
    その他の写真は、戦後、友人(故人)が写真集を作り仲間に配布した写真集よりの借り物です。
    此処に添付した画像は、今、パソコンの前で撮ったバトンバリ(バリ島の木彫り)です。
    六十数年を経ておりますので変色しておりますが、バリホテルの売店で買ったときは白檀の香りもして真っ白でした。(当時の想い出のため座右に置いてあります)
    これには想い出が御座います。
    昭和19年か20年初頭の頃と思います、爪哇島のスラバヤより、バリ、フロレス、スンバワの基地を経て、ニューギニア、珊瑚海の島に飛んだ際、バリ島のデンパッサルの基地で、新設された対空電探の性能テストをやりたいので南に(インド洋方向)少し飛んでくれ、とのことで、離陸後間もなく洋上を浮上航行中の敵潜水艦を発見、直ちに通報、基地より艦攻が出撃しました。
    その時の御褒美にバリホテル一泊を頂いたのです。
    今では、どなたでも行く観光地ですが、当時は最前線の基地だったのです。                   


    [No.393] Re: SPレコード 投稿者:Pan  投稿日:2008/02/21(Thu) 19:01
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    変蝠林(1917-) さん、白兎山人さん こんばんは。

    >> あのラッパは何時消えたのでせう。
    >
    > ラッパは持ち扱いに不便で その内 下の箱の中に収められたようですね(内蔵型)

     大きな箱形の蓄音機はあの箱の中にラッパが入っていました。

     小さなポータブルでも同じですが、ラッパはターンテーブルの向こうで上向きに開いていて、斜めに開いた蓋で音を前向きに反射させていました。当然ながら音は貧弱でしたね。

     指で針を持って鳴らすだけでも一応何が鳴っているかは判りました。(^-^)


        ***** Pan *****


    [No.391] Re: SPレコード 投稿者:Pan  投稿日:2008/02/21(Thu) 18:55
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    画像サイズ: 600×450 (43kB)
    Re2: SPレコード
    季寿さん、みなさん、こんばんは。

     昭和の窓から覗いた大正時代です。

    >実家にもSPレコードがありました
    >子供の頃の記憶ですが、
    >レコードを入れるケース(トランク?)が二つあり、一ケースに50枚くらい
    >入ってたと思います

     小学生の高学年の頃に手元にあったのは童謡が幾らかと、あとは父親が買ったものが手持ちのトランクに入っていました。
     或る年の夏に、トランクが立てて置いてあったので殆どのレコードが湾曲してしまいました。
     父は腹を立てて捨てましたが、割れなかったのだけ拾って来てそれ以後は私の物として大っぴらに好き放題に遊びました。

    >レコードの内容は、浪曲や俗曲・端唄・民謡などで、流行歌は東海林太郎の
    >「旅笠道中」があったことをお覚えています。

     浪花節も一枚だけありました。 天野屋利平が子供を火炙りにされても武具の依頼者をばらさなかった場面で「天野屋利平は男でござる」で終わっていたことを覚えています。 
     子供心でも恐くて身震いしました。

     ある時期一番好きだったのはシューマンの「流浪の民」で、風邪で休んだとき何回も繰り返し掛けていましたが、「僕が死んだら棺桶へ一緒に入れて欲しい」と云って、酷く叱られたことがあります。(*_*)
     それから7,8年後でそれをコーラスで歌う時が来るとは思いも寄らないことでした。

     当時新しく買ったレコードで記憶にあるのは「トントントンカラリの隣組」ぐらいでしょうか。

    >蓄音機やレコードは家を新築する時に、処分したと思われ、今思うと
    >残念なことです

     その当時の物はどこへ行ったのか、全く判りません。

     今度出てきたのは、それよりもずっと前の物ばかりで、クライスラー自作自演の曲など、クライスラーの来日した大正末期かと思われるものばかりです。

     鳴らす手段が無かったので、SPレコードも鳴らせる一番安いラジカセを買いました。(^-^)

     当時のレコードには楽譜まで付いています。 よく見れば出版年月が判りそうですね。

      SPレコードと楽譜

        ***** Pan *****


    [No.390] Re: SPレコード 投稿者:瀬里恵  投稿日:2008/02/21(Thu) 17:30
    [関連記事URL:http://homepage2.nifty.com/Avenue-Serie/

     BUPさん、珍しい写真を有難う御座います。

    (零式輸送機ーDC3型の日本製)も貴重な映像ですが、左側に映っている
    ダグラスDC-3型の胴体に日の丸が付いていますが、アレは軍用機ですか?
     戦前のまだ平和な時代、民間の旅客機か、軍用機か解りませんが、ダグラス
    が、よく空を飛んでいたのを思い出しました。

    > 電蓄の周りに何人か集まり、真剣な顔つきで、ベートーベンの「運命」を
    > 聴きましたが、其のうちの何人かが、南海の空に消えました。(その時、
    > 一緒に擦れた”運命”を聴いたやつらの顔を想い出してみたら、今、生き
    > 残って居るのは、俺1人)

     良かったですね。強運の持ち主…。これからもぜひ長生きされていろんな
    情報を教えて下さい。

     それについてもSP十二吋盤は高かったと思います。瀬里恵もLP盤の「運命」
    ほかクラシックを十数枚月賦で揃えましたが、倅から横取りされました。(苦笑)
    今は音楽CDで揃えましたが、音質も良く音飛びなどがなくて素晴らしいですネ。

    EP盤・ドーナッツ盤なども過去のものとなりましたが大切に保存しています。


                 葉山 在    瀬里恵


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