南の国の月明かりはとっても明るいんです。(新聞が読めるくらい) 月の出ない夜は満天の星空です、空イッパイに星が煌めいているんです。 南方向、斜め上に南十字星が見えます。 赤道直下の島の昔話でもさせてください。 インドネシアの歌ですが、”ブンガワンソロ”と並んで日本人に愛唱された”トランブー ラン”と言う歌が御座います。 戦後、曲がマレイシアの国歌になってしまい、放送禁止曲になってしまいましたが。 確か戦後、昭和25,6年頃、雪村いずみさんが主役で歌った映画にもなっていたと思いますが。(元日本兵とインドネシアの娘の悲恋物語です) 歌詞は Terang bulan terang di kali Buaya timbul disangkanya mati Jangan percaya mulut lelaki Berani sumpah takut di mati. 意訳すると ”月がとっても明るい夜 川に鰐が、死ん出るように動かない でも騙されたらダメ、男も同じ、男の言葉なんか信じたらダメ 一緒になれなかったら死んでしまうなんて口先だけ ほんとうに死ぬわけないよ” Youtubeで検索すると、たくさん出てきますので、宜しかったらどうぞ。 俺は今でも歌えますよ。 さて、本題 何処から書いていいか分からないので、想い出した順に。 戦局も押し迫った昭和20年の春ころ、南西方面艦隊、航空輸送部に、燃料の在った南方で養成して、飛べるようになったパイロットを特攻要員として鹿屋基地に輸送する”特攻輸送作戦”の命令が来ました。 当時は、とっくに制空権は無くくなっており、比島、台湾の上空は飛べず、大陸沿岸周りの夜間飛行で、と言うことになりました。 居なくなっても差し障りの無い独り者の若い、どうでもいいやつが四人選ばれ、俺も其の 仲間に入ってました。(腕の良いやつを選抜したって、煽てられました)。 遺書を書けだのと言われましたが、ノーテンキな俺は、それより行く前に、セレベス島のマカッサルに飛ばせて呉れって飛行長に言ったら、本当に飛ばせて呉れました。 4月頃、雨季の明けた”Terang Bulan”の頃でした。 何故、死ぬ前にマカッサルに行きたかったか・・・、では又。 (プールで家内が待っているんで大急ぎで行かなくては・・・)
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