伸さん、みなさん、こんにちは。 > 皆さん、よく宝塚の事をご存じですね。私めは大阪で戦災にあい、丹波に疎開し、 > そこから現役召集で海軍に行き、敗戦でまた丹波に帰り、その年の終わり頃に、 > 宝塚まで引き返してきまして、3,4年間、栄町通りという歌劇の劇場の近くに > 住んでいました。
歌劇場のちかくですか、そりゃまたスゴイですね。(@_@;)
> 宝塚ではコネがあって毎月のように歌劇を見に行き、時には新国劇なども見に行き > ましたが、もう60年も前のことですから、ほとんど忘れています。あの時分は、 > なんと言っても春日野八千代の時代で、彼女が舞台に立つとすごい拍手と声援で、 > 敗戦後の窮乏生活は、この宝塚大劇場の中ではどこへ行ったかと云う感じでした。
春日野の人気は絶大だったんですね。(^_-)-☆
> 天津乙女は春日野よりも先輩で、貫禄がありましたね。私の印象深かったのは深緑 > 夏代のカルメンで、赤い薔薇をもてあそびつつ唄うハバネラはいまも印象に残って > います。
う〜ん、カルメンですか、赤いバラを口に咥えた姿はさぞ、かっこよかったでしょうねぇ。それにまた、あの唄はメロディーがいいですよ。蓮っ葉で、威勢のいいスペイン女が歌うには打ってつけですよ。
> 春日野のあとに出てきた越路吹雪の人気もなかなかのものでしたね。やはり宝塚は > 男役に人気が集中していたよう思います。
女の子も男役に憧れたんでしょうね。しかも、宝塚はニッポン独自の文化で、西洋には、ああいう、女だけで演じる歌劇ってのはないです紋ね。(^_-)-☆やっぱ、スゴイですよ。(^_-)-☆
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