唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんばんは。
すっかり忘れていた三十八式を聞いて色々と当時を思い出しました。 旧制中学に入った時、何かの班(今で言うクラブ)に入ることが義務づけられました。 入学試験の時、プライマリー(初級)グライダーのあることを見付けていたので、一番に希望しましたが、グライダーのできる先生が招集されて不在だったので、第二候補の射撃班に入りました。 部員は上級生も含めて5人程で、1年生は私だけだったようです。 剣道や柔道へ入った人が圧倒的に多かったですね。
窓に鉄柵の入った銃器庫には黒光りした本当の銃が合計40丁程置かれていました。 何種類かの機種がありましたが、三八式の歩兵銃の名前はその時始めて覚えました。
最初の日には、いきなりその三十八銃の分解組み立てを習いました。 分解は教えられた通りに簡単にできましたが、組み立てはどうしても組み込めない部品があって、手こずりました。 しかし、何回か繰り返し練習する内に確実にできるようになりました。
何故か菊の御紋は削り取ってありました。 今思うと、もう実用にならない不良品だったのかも知れませんね。
その銃も数ヶ月後には全部徴用されました。 従って実際に触ったのは三回ほどだったと思います。 最後の時に、教練の教官が一発だけ私達の前で撃って見せました。
標的を設置した射撃場もありましたが、私達生徒は、実弾も撃ったことが一度もありません。 砂袋の上に銃を置いて照準の訓練はしました。
教練の時間は全員木銃でしたから、同期入学生の中で本当の銃の分解組み立て経験のあるのは私だけでした。 入学した年の五月には、いきなり60数キロの行軍があり、最上級生だけは本当の銃を持って参加しました。 数の足りない分は交代していたようです。 普通なら叱られる斜めに担いだ形で歩いていましたね。
***** Pan *****
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