大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.1245] Re: 1年上は大正生まれ 投稿者:   投稿日:2010/04/15(Thu) 17:44
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   BUP さん、 善兵衛さん、みなさん、こんばんは。(^_-)-☆

> 昭和9年、小学校1年の教室の廊下側の窓は障子でした。
> ストーブの脇に棚があって登校した時 弁当を棚に置くと昼には温かくなっていました。
小生儀、T14生まれに付き、1年、年長かなぁ?、登校するとストーブに火が入ってました、小使いさんが、各教室に石炭を運んで、火を点けてくれていたんですね。
ストーブの周囲に鉄柵が在り、其の周りにお弁当箱を積んでおき、食べるときは湯気が立ってましたね。 良く憶えてますよ。
運動会、小一のとき、女の子と手を繋いで出場する場面がありましたが、俺は恥ずかしくて、拒否、繋がないで行進したのを憶えてますが、相当マセテたんですね。
小六のときの担任の市来先生が応召、(日支事変)、数人が先生宅に招かれてオムライスを奥様よりご馳走になりましたが、奥様の悲しそうなお顔を想い出しました。
それから4年後、俺も南の戦場に向かうとは思いもしませんでした。

そうです、あっしにもお弁当を学校のダルマストーブで温めて食べた想い出があります。正にいま企業名になっている「ほかほか弁当」ですね。中身は海苔段とか、でんぶのお弁当などがありました。校庭には奉安殿がありました。授業の始まりは、小使い室のおじさんが、小さな鐘を右手で大きく振って甲高い音を出して知らせたように思います。校舎には両側に昇降口というのがありましたが、今でも昇降口というのですね。校舎は木製で、校庭は土でした。あのころ、教頭はひとりでしたが、先日やぼ用でちかくの高校へ行ったら教頭がふたりいるんですよ、ビックリしました。(@_@;)

 式のとき、校長が詔勅などを読むとき、うやうやしく紫の布から出して来るところが今でも眼に浮かびます。詔勅はながく、生徒は頭を下げっぱなしにしているので、冬などには、暫くたつと、鼻をすする音があちこちから聞えて来ました。みんなで『明治節』や『紀元節』の歌などを歌う、カラオケの会は、ない紋でしょうかね。(^_-)-☆

      昭和一桁・紋爺


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