大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.949] Re: はじめまして 投稿者:   投稿日:2009/03/06(Fri) 11:23
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satyanさん

> 何時も大変お元気そうで結構ですね。軍隊ではモンゴルに行かれたとか・・・私は
> 5年前にモンゴルから研修に来ていた娘さんと東大へ勉強に来ていた女性と二人が一寸した事が縁で招待を受けてフフホトに行き二日間に亘り周辺の各地を案内して貰いましたが 日本人が既に忘れて仕舞っている敬老精神や心からの持て成しを受け、再会を約し、涙ながらの別れをして来ました。大平原の風景とモンゴル人の親切さが忘れられません。

昭和十九年六月十一日静岡歩兵第三十四聯隊に応召。体重三十八キログラム。
三日後には当時としては珍しく新品の完全軍装にて深夜静岡駅迄駆け足乗車。
朝鮮、満州、北支も通過して、六月二十一日に漸く内蒙古のフホホト駅下車。
駐蒙軍の泉第5316部隊に配属。

其の後、山西省大同の独立歩兵第十三聯隊に転属。大同石仏に近い処に勤務。
大隊に帰属後、暗号班として山西の山々を四回に亘り討伐行参加。

米軍杭州湾上陸に備え上海近郊の大倉鎮に駐屯中ソ連満州進攻にて非常呼集。
重武装にて深夜昆山駅まで駆け足。貨車に乗車すると直発車、南京に於いて
昼食中玉音放送の事を耳にしたが終戦にも不拘、其の儘揚子江渡河北上。

途中、数回に亘り八路軍の攻撃を受け都度停車応戦、結果前車が入満せるも
蒋介石の要請にて天津防備のため年末まで完全軍装にて郊外にて軍隊勤務。

昭和二十一年三月十三日米軍LSTにて長崎南風崎に上陸帰国。
静岡駅に下車したら家族全員無事出向えて居たが当方を見分け出来ず。
何しろ三十八キロが六十キロに成ってましたから。

何れ詳細を後報致しませう。
                               変蝠林(1917-)


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