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[No.222] 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:レインボー  投稿日:2007/07/11(Wed) 20:33
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「昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である」

昭和10年代(S10〜S19生まれ)の世代は「ラッセル車世代」と言える。
その後、間もなく団塊世代と言える新幹線世代がひた走る。
「ラッセル車世代」以後は”旧制教育”から“新制教育”に
大きく移り変わった世代である。
それは後々すべての社会環境についてまわった。

「ラッセル車世代」は、「もはや戦後ではない」の掛け声と共に、
大きく社会に貢献してきた世代であると感じている。

後は、皆さん方それぞれに「ラッセル車世代」の意味を
“自由”にお感じ取りください。
                    レインボー


[No.223] Re: もはや戦後ではない」と言う時代 投稿者:レインボー  投稿日:2007/07/12(Thu) 00:31
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「もはや戦後ではない」と言う言葉は
昭和31年の「経済白書」に出てきた言葉であり、
昭和10年代(生まれの)世代が最も吟味実感できた言葉であったと思う。
戦後の混乱期であった昭和20年代を経て、新しい息吹を感じさせる
昭和30年代の幕明けに相応しい言葉であると受け止めた人も多かったようである。
「もはや戦後ではない」と言う言葉の前に、
“戦時”と言う意味合いもあったと感じたのではないだろうか、
「もはや戦時・戦後ではない」これからは新しい時代が始まると。
その牽引車が昭和10年代(生まれの)世代「ラッセル車世代」であったと信じている。

かってある雑誌で、石原都知事は次のように・・・『「もはや戦後ではない」
この言葉を最も実感できたのは私の世代である。
私は戦後十年というタイミングで日本社会における
「戦後」の退場と「消費社会」の登場を目撃しましたが、それだけでなく、
この大きな時代の転換期の象徴として世に見だされたかもしれない』
と語っています。

昭和30年代は「もはや戦後ではない」という時代であり
「ラッセル車」世代始動の時代であったと私は感じている。
                    レインボー


[No.225] Re: もはや戦後ではない」と言う時代 投稿者:のぞみ  投稿日:2007/07/13(Fri) 10:02
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レインボーさん、みなさん

> 昭和30年代は「もはや戦後ではない」という時代であり
> 「ラッセル車」世代始動の時代であったと私は感じている。

最近、昭和30年代がとても注目されていますね。

映画「3丁目の夕陽」も 大ヒットしました。
日本がこれから高度成長期に向かう時代で、テレビ・洗濯機が普及しだした頃。

まだ小学生でしたが、あの頃「ラッセル車」世代が、社会で大活躍された
時代だったのですね。


[No.224] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:のぞみ  投稿日:2007/07/13(Fri) 09:48
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レインボーさん、こんにちは

昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である

ラッセル車・新幹線の違いを考えて見ました。
私は団塊世代・レインボーさんの言われる新幹線世代です。

ラッセル車・・・説明するまでもなく、除雪用の車両で降雪時に雪をかきわけ走る車
戦後の混乱期を第一線で苦労され次の時代へと導いてくださった世代ですね。

> 「ラッセル車世代」以後は”旧制教育”から“新制教育”に
> 大きく移り変わった世代である。
> それは後々すべての社会環境についてまわった。

私達は、戦後の”新制教育”を受け、大きく変わったとも知らずに
育った世代です。

逆に、戦前の”旧制教育”を受けた 昭和10年代世代のかたは 
大きく変わった社会環境にずいぶんとまどわれたことでしょうね。
そして“新制教育”を受けた私たちとのギャップも大きかったことと思います。

どんな場面でそう思われたでしょうか?
よろしければ教えてくださいませ。

社会環境で言えば、男女の立場など まったく変わったと思います。

私は 男女同権が当たり前と教育を受け、社会へ出て働いた時・結婚した時
初めて 男女同権でなかった時代を感じました。

余談ですが、現代は逆に女性の立場が強すぎる時代かもしれませんね (^_-)-☆


[No.227] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:レインボー  投稿日:2007/07/13(Fri) 17:03
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のぞみさん、レスありがとうございます。

次のことに少し説明を、
>逆に、戦前の”旧制教育”を受けた 昭和10年代世代のかたは 
大きく変わった社会環境にずいぶんとまどわれたことでしょうね<
この事については意味合いが少しちがっています。
私は終戦時の昭和20年といえば小学校1年入学時で、その年の8月に終戦です。
時を置かず”新制教育制度”がスタートしたわけですから、
「旧制教育」の影響をまったく受けず、
(入学から終戦までの4ヶ月の教育は覚えていない)
以後はすべて”新制教育”で学んだ初代生だったといえるでしょう。

その時点で、最も感受性の豊かな年代であった小学生が(1年生から6年生迄)
教育制度が一転した”新制教育”の影響を強く受けたと思います。
ラッセル車世代(昭和10年代生まれ)だったわけです。

又、その時点で中学生以上の方は、戦前の教育(旧制教育)の影響が強かった
のは当然のことです。

>どんな場面でそう思われたでしょうか?<
というご質問に対してのお答えですが、
「ゼネレーションギャップ」が、社会に出てからは常について回りました。
明治〜昭和9年生まれ(戦前派)迄>昭和10年代生まれ(戦後派)<昭和20年以後生まれ(団塊世代)
*団塊世代:正しくは昭和23年からですが、
2つの大きな世代の狭間にたって、その中で私達の世代が新しい発想で
これから物事をつくりかえる。
このような意識が強ければ強いほど反発があるのは”自然の理”ですね。
ラッセル車世代共通の苦悩 があったと思います。                               レインボー


[No.228] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/07/13(Fri) 21:12
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

> 私は終戦時の昭和20年といえば小学校1年入学時で、その年の8月に終戦です。
> 時を置かず”新制教育制度”がスタートしたわけですから、
> 「旧制教育」の影響をまったく受けず、
> (入学から終戦までの4ヶ月の教育は覚えていない)
> 以後はすべて”新制教育”で学んだ初代生だったといえるでしょう。
>
> その時点で、最も感受性の豊かな年代であった小学生が(1年生から6年生迄)
> 教育制度が一転した”新制教育”の影響を強く受けたと思います。
> ラッセル車世代(昭和10年代生まれ)だったわけです。

同じ生まれからレインボーさんと同じ見解です。

その間、日本映画で1954年に坪井栄原作と木下恵介監督の名作「二十四の瞳」
http://mycinemakan.fc2web.com/cinema/japkodomo.htm#二十四の瞳
が、その当時の学童の世相の様子が今の時代と違った形で映し出されていますね。

>
> 又、その時点で中学生以上の方は、戦前の教育(旧制教育)の影響が強かった
> のは当然のことです。
>
> >どんな場面でそう思われたでしょうか?<
> というご質問に対してのお答えですが、
> 「ゼネレーションギャップ」が、社会に出てからは常について回りました。
> 明治〜昭和9年生まれ(戦前派)迄>昭和10年代生まれ(戦後派)<昭和20年以後生まれ(団塊世代)
> *団塊世代:正しくは昭和23年からですが、
> 2つの大きな世代の狭間にたって、その中で私達の世代が新しい発想で
> これから物事をつくりかえる。
> このような意識が強ければ強いほど反発があるのは”自然の理”ですね。
> ラッセル車世代共通の苦悩 があったと思います。                               レインボー

従って、私の見解ですが、我々戦後派初期の世代は、過去に近代日本が幕末・明治
維新前後の革命的変革の節目を機会に、過去の日本の悪い面の縁を切って、欧米的
主とした米国主導の良い面の民主化政策へ洗脳された世代だと思っています。


[No.229] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/07/14(Sat) 01:29
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レインボーさん やまちゃん

>> 私は終戦時の昭和20年といえば小学校1年入学時で、その年の8月に終戦です。
>> 時を置かず”新制教育制度”がスタートしたわけですから、
>> 「旧制教育」の影響をまったく受けず、
>> (入学から終戦までの4ヶ月の教育は覚えていない)
>> 以後はすべて”新制教育”で学んだ初代生だったといえるでしょう。
>>
>> その時点で、最も感受性の豊かな年代であった小学生が(1年生から6年生迄)
>> 教育制度が一転した”新制教育”の影響を強く受けたと思います。
>> ラッセル車世代(昭和10年代生まれ)だったわけです。
>>
>> 同じ生まれからレインボーさんと同じ見解です。

当時、親であった我々は”新制教育”に就いて今少し関心を持つ可きであった
のに、生活に追われ、日教組及び教育産業の為すに任せ文部省の変質に対して
何等の検討も加えず、今に至って慙愧する事を恥かしく存ずる次第であります。

                                変蝠林(1917-)


[No.234] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/07/20(Fri) 07:35
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レインボーさん やまちゃん みなさん

> 当時、親であった我々は”新制教育”に就いて今少し関心を持つ可きであった
> のに、生活に追われ、日教組及び教育産業の為すに任せ文部省の変質に対して
> 何等の検討も加えず、今に至って慙愧する事を恥かしく存ずる次第であります。

 当時子供であった諸君に問い申さん。

  1. 入学試験無しに中学生となりし事に快哉を叫ばれしや?

   2.『教育勅語』暗誦に苦労せし親共に対し同情をされしや?

   3.『塾』産業に対し貢献せる事に何か異感情を持たれるや?

                                       変蝠林(1917-)


   


[No.235] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:季寿  投稿日:2007/07/20(Fri) 17:16
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変蝠林さん みなさん

レインボーさんらと同年代の私です。

昭和30年代に始まり、約10年間続いた高度成長時代に社会人
になった我々、世間の流れと同様に、当社のような田舎町のちっ
ぽけな会社も右肩上がりに発展を続け、増産に伴う社屋の増改築、
社員も何百名単位で採用され、大幅なベースアップと、忙しい中
にも毎日の仕事に張り合いがあったことは事実です。

>  当時子供であった諸君に問い申さん。
>
>   1. 入学試験無しに中学生となりし事に快哉を叫ばれしや?

6・3・3制の実施により、制定されて間もない新制中学に入学
しましたが、従来のややこしい教育制度は理解が出来ず、小学校を
卒業すれば中学生になって当たり前という感覚でした。

>    2.『教育勅語』暗誦に苦労せし親共に対し同情をされしや?

国民学校2年生で終戦、『教育勅語』の想い出といえば、講堂の舞台で
繰り広げられるうやうやしい儀式を見ながら、校長が勅語を読まれる間、
頭を垂れ、鼻水をすすりながらじっと絶えてる、その間の辛さが身に沁
みました。
我々より前の世代の人は、必死になって『教育勅語』を暗記されたので
しょうね。

>    3.『塾』産業に対し貢献せる事に何か異感情を持たれるや?

『塾』産業、産業と名のつく限り、金儲けであり教育は二の次でしょう?
田舎町というこもあって、我々の時代には『塾』というものはありません
でした。今は、当地でも、各種多くの『塾』はありますが…。
私の極端な考えかもしれませんが、学校の授業を、目一杯、確実に受けて
いれば、『塾』に通う必要はないと思いますが…?
学力が身につく、つかぬのも、全て本人のやる気、努力次第だと思います。

    季寿


[No.238] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:やまちゃん  投稿日:2007/07/21(Sat) 05:26
[関連記事URL:http://yama1481.hp.infoseek.co.jp/

> >    3.『塾』産業に対し貢献せる事に何か異感情を持たれるや?
>
> 『塾』産業、産業と名のつく限り、金儲けであり教育は二の次でしょう?
> 田舎町というこもあって、我々の時代には『塾』というものはありません
> でした。今は、当地でも、各種多くの『塾』はありますが…。
> 私の極端な考えかもしれませんが、学校の授業を、目一杯、確実に受けて
> いれば、『塾』に通う必要はないと思いますが…?
> 学力が身につく、つかぬのも、全て本人のやる気、努力次第だと思います。
>
>     季寿

季寿さん みなさん おはようございます

私も戦後教育からの初年生ですが、私が見た小中生の頃に、学校の延長的授業の
補習はまだ全然なかったと断言しますね。
但し、戦後の当時は、日本商工会議所主催(藤山愛一郎会長?)の「ソロバン塾」
は、街角のあちこちに目が付いて、通った事があり、三級の免除を私は持ってい
ます。

なお、今の各種塾の取り扱う役所の所管は、文部科学省ではなく、経済産業省の
管轄で、真の人間教育を補完するものではなく、金儲けの道具として金を使わせ
る親子たちを消費者扱いする商業か産業ですね。


[No.237] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:レインボー  投稿日:2007/07/20(Fri) 21:15
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変蝠林(1917-) さんへ、

> 1. 入学試験無しに中学生となりし事に快哉を叫ばれしや?
> 2.『教育勅語』暗誦に苦労せし親共に対し同情をされしや?
> 3.『塾』産業に対し貢献せる事に何か異感情を持たれるや?

ご指名をいただきましたので、一言言上を、
クールな回答になって面白味はないでしょうがお許しを。

1、>入学試験無し
これは体験がないので、比較が出来ません。感想:快哉・否?
2、>『教育勅語』暗誦、
これも小学校入学時(S20・4月)講堂で、
何か唱和していたような、確かな記憶がないので、感想:同情・否?
但し、今日でも、形を変えて企業では、
スローガンの唱和を各所でやってますね。
コンサルタントなんて、そんなことを奨励していた風潮が、
かってもありましたよ。いかが思われますか?
3、>『塾』産業
時代の流れで”ビジネス化”され出てきたものですから、
戦前との比較論はできません。
(そういえば、その昔、読み・書き・そろばん塾があったかな)
しかし、立身出世、”仰げば尊し”イズムが、形を変えて
引き継がれてきたのかもしれませんね。
お塾に、お受験、鉢巻締めてお勉強、お勉強→競争イズムの推進
おかげで、子どもに”ともども”が出来ません。
”違和感”大いにありですね。
学校で知育・体育・徳育3つのバランス教育を願いますね。
                 レインボー


[No.239] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:   投稿日:2007/07/24(Tue) 17:30
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変蝠林(1917-) さん。まいど 。
>
> > 当時、親であった我々は”新制教育”に就いて今少し関心を持つ可きであった
> > のに、生活に追われ、日教組及び教育産業の為すに任せ文部省の変質に対して
> > 何等の検討も加えず、今に至って慙愧する事を恥かしく存ずる次第であります。
>
>  当時子供であった諸君に問い申さん。
>
>   1. 入学試験無しに中学生となりし事に快哉を叫ばれしや?

 これについては、問題があるという人は多かった。ただ、本人は無くて
 ほっとしたのでないでしょうか?
>
>    2.『教育勅語』暗誦に苦労せし親共に対し同情をされしや?

 大体、教育勅語の内容がよくわかってなかった。父母に孝に!位でしょうかねー。
>
>    3.『塾』産業に対し貢献せる事に何か異感情を持たれるや?

 昔も家庭教師が有ったのでは?大規模化しただけでないでしょうか?        

                       Toshichan in Kyouto-fu    


[No.241] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:   投稿日:2007/07/25(Wed) 11:01
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私は新制中学の正規の第一期生です。
>
>  昔も家庭教師が有ったのでは?大規模化しただけでないでしょうか? 

教科内容が新制中学の先生(国民学校から横滑り)や新制高校の先生(旧制中学から横滑り)にとって大変だっと推測しています。ほとんどの先生はこなすため相当の勉強をされたようです。中には不勉強な先生もいました。
高校の数学ですが三角関数のところになるとこんなことよりお行儀が大切です、と言って全く教えない女性の先生がいました。女学校では教える内容になかったようです。
これは大変ということで親に懇願し工業高校の土木の先生宅に教わりに行きました。
この先生お酒の入ったとき脱線しドマーブルの定理?とか高校の範囲を超えた内容のフーリェ級数とか等角写像のサワリとかを講義されました。そのときはなぜ、と不満もありましたが進学してそのありがたみが身にしみました。
私は家庭教師や塾は必要と信じています。
千葉の小猿      


[No.242] Re: 昭和10年代の世代は“ラッセル車世代”である。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2007/07/25(Wed) 16:30
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千葉の小猿さん

> 私は新制中学の正規の第一期生です。
>>
>>昔も家庭教師が有ったのでは?大規模化しただけでないでしょうか?
> 私は家庭教師や塾は必要と信じています。

 昔の中学三年生は立派な半大人でした。先生が大層立派だったからです。
 先輩の塾教師に半端生徒を送り込むのが中学教師の儀礼だったのでは? 

                           変蝠林(1917-)