このことは、当時の記録をつぶさに検証しなければ迂闊なことは言えません。私は、天皇崇拝者ではありませんが、敢えて私見を述べてみます。
玉音放送やその後の昭和天皇の行動から伺い知ることは、天皇は決して1千万の犠牲者を出しても悔いないほど、激しい気性の人柄ではなかったと思います。「しのび難きをしのび、たえ難きを耐えて・・」の玉音放送から察するに、また、我が身や財産を投げ打って国民の窮状を救わんとしたのは、各地の復興を激励して歩いたのは、人間らしい大変勇気のいることと思います。 確かに国民から見ると、日本の最高責任者であったようですが、果たしてどれだけの権限があったのでしょうか。祭り上げられたのも本人の責任と言えなくもありませんが。敗戦時の閣僚は敗戦宣言すら出来なかった異常な状態にあったのではないでしょうか。御前会議で、見るに見かね、ポツダム宣言受諾を下命されたのではと思います。開戦にあたっても、軍部の止めようもない勢力に押し切られたのではないでしょうか。 止めさせて欲しかったと願う国民の気持ちも確かです。国民の目から見ると、天皇は最高責任者に見えたからです。天皇の地位を1億・玉砕の気運をあおるために、うまく利用したのではないでしょうか。宮本武蔵・下り松の決闘のように、吉岡一門は幼少の当主を名代に据えたように。武蔵は気運を削ぐ為に、無抵抗の名代を斬ったのです。私にはそのように思えるのです。
その意味で、戦前・戦後の歴史を国民の前に明らかにすることが、人間として、日本国民の将来の為に重要になると思います。責任を曖昧にするのが昨今の風潮であることからも。
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