なあ〜ちゃって、論説委員を気取って、書いてみました。 ああ、気分がよかった・・・笑ってください!
ある数学者が書いた「国家の品格」が、昨年数百万部読まれた。総人口から見れば大した数ではないが、著者や出版社にとっては纏まった数だ。その後、「OOの品格」というドラマや本が流行った。品格が問われたのは大いに結構であるが、最大の効果は「国家」について意識が強まったことではないか。
戦後、国旗や君が代が徐々にすたれ、同時に国家を語ることが何となくタブー視されて、国家への意識が薄らいで来た様に思う。この本のお蔭で、徐々に国家への意識が芽生えてきたように思う。昔の軍国主義の復活ではなく、日本国のあるべき姿は何か。
「美しい国」「戦後レジームからの脱却」もその一端と思う。世界への貢献、憲法、国民性、文化伝統、政治とは、企業とは、多くの分野で個人主義から全体主義へと国民の意識が変貌しつつあると思う。全てが「国家の品格」の所為では決してないが、役割は大きかったと思う。
内政ばかりではなく、外交が富に注目されてきた。環境問題、戦争やテロ問題、そして経済問題にしても、日本の役割が重要になってきた。従来、外交は米国一辺倒、追従型でよかったが、民主党の突き上げだけではなく、国民の雰囲気がそのように変ってきたと思う。政治と金の問題、政治家と官僚の関係も従来型では通用しなくなった。 何と言っても、政治への意識が変ってきた。街頭の市民の声を聞いても判る。古き自民党も、早く国民の空気を読んで、意識を変えないとリストラの憂き目をみることになろう。自民党議員が、今なだれのように、一夜にして福田候補になびいた。公認を得んが為の単純な動きであれば、嘆かわしい。
もっと国家への定見がある筈だ。チャンと語って欲しい。政治も民意をバカにできなくなった。絶叫ではなく、チャンとした説明が求められてきたと思う。小泉チルドレンにも、お願いしたい。先の参院選挙で、民意の威力、民意の怖さを知った訳である。早くも衆院解散を視野に入れて動いている。
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