2007.10.30 私は日本棋院の某支部に長年籍をおいて、囲碁を楽しんでいた。囲碁は感性と論理のゲームである。運や付きに左右されない、殆んど実力のゲームと思う。従って、紳士の嗜みとも言われる。
碁打ちは自負心が強く、人の言うことを聞かない個性派が結構にに多い。勝つと自分の手を自慢し、負けると相手の手をヘボ手とけなす輩がいた。こんな相手は、勝っても、負けても実に不愉快なのである。一度、彼に「君とは打たない」と宣言したことがある。それでも、一向に改まる気配がなく、依然としてやっている。
しかし、彼は囲碁が飯より好きなのである。その彼が、やり手のいない幹事を引き受けたのである。嬉々として企画を考案する。囲碁は彼の唯一の生き甲斐であったようだ。悪気はないのであるが、惜しむらくはマナーがよくない。しかし、愛すべき人物だったなあ〜、と今は思い出される。
私は、下手(したて)の人と打つ時は、負けてもよいと思っている。相手も楽しみに来ている。全敗で帰すのは忍びないないのである。相手の勝負手を褒めるようにしたものであった。しかし、本当に嬉しいのは、相手も真剣に打ち、自分の力を出し切って勝てた時である。何時までも決定的妙手を忘れる事はない。
碁打ちには妙な癖がある。性格が諸に出る。豆まきのように早打ちをする人。考えすぎて石を置かない人。挽回の余地がなくても、相手のミスを期待して打つ人。定石を無視して打つ人。あっさりと勝負を放棄する人。まあ、様々である。他人が言っても、直らないのである。こんなのは、とても紳士の嗜みとはいえない。腕も伸びない。さすがに高段者にはそんな人はいない。
みんな、楽しむために、碁を打ちに来ている。気の会った人や、棋風の似通った人と打つのが無難である。半日はあっという間に過ぎる。暇つぶしには持ってこいのゲームである。
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