画像サイズ: 750×504 (68kB) | 京王線の「明大前駅」の傍に「築地本願寺 和田堀廟所」があって、そこに「樋口一葉の墓」があることを知ったのは甲州街道ハイクを計画している時でした。
そしてそこには 一葉の妹「邦子」も一緒に眠っているのだろうか、ということが何故か判りませんが気になっていました。
4/28 リベンジ歩行として「府中」まで歩いた時、和田堀廟所へ立ち寄り一葉のお墓参りをし、この時気になっていた墓石の戒名を見たら『淨蓮院釈邦香大姉』命日も同じで、妹も一緒だったことが判り安心しました。
因みに、一葉の戒名は 智相院釈妙葉信女 らしいのですが、命日は風化していて読み取れませんでした。
この「邦子」について検索したところ、次のような解説があったので転記します。 《 裁縫が上手で、仕立物の内職では姉(一葉)より早く上手だったようです。 一葉が半井桃水と出会うきっかけを作ったのも邦子で、小説の勉強をしたいという姉の希望をいち早く悟ってのことでした。
姉と違い邦子は大柄の色白でした。ほがらかで人あしらいもうまく、竜泉寺町で荒物屋を始めた時、店番は邦子が担当しました。
一葉の没後 邦子が相続戸主となり、姉の残した負債も引き受けましたが、「日記は焼き捨てよ」との遺言にそむき、姉の残した原稿や小説の草稿、反古紙にいたるまで一枚も粗末にせず、姉の業績の保存・整理・浄書に努めました。 近代作家の中でも樋口一葉の研究が量と質で突出しているのは、邦子の存在あってのことです。
明治31年、父の代から親戚付き合いをしていた西村釧之助の世話で吉江政次を入り婿として結婚。翌年には釧之助の文房具店礫川堂を譲り受け、店の経営をしながら六男四女を産み育て、大正15年7月1日、52歳で亡くなりました。》 |