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[No.107] ロッキードP38の機銃掃射 投稿者:   投稿日:2010/10/16(Sat) 08:58
[関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

皆さん、お元気ですかぁ…。

ヒヤッとした事、色々ありますが、特に記憶に残っている
忘れられない話は…これに止めを刺す。

私は旧制中の頃、三井三池精錬所に勤労動員で働かされて
いましたが、ご多分に漏れず、我が郷里大牟田も焼夷弾攻撃で
焼け野が原と化していました。

当時の敵さんは、日本の南京渡洋爆撃を無差別爆撃だと非難し
ていますが、米軍の焼夷弾攻撃はそんな比じゃない。木と紙で
出来た日本の民家は、格好の標的とばかり遂行された焼夷弾攻撃は、
民家の住人の殆どが非戦闘員・婦女子である事など歯牙にもかけない
無差別爆撃〜即大虐殺でした。
日本の都市の大半がその犠牲になった事は、知る人ぞ知るでしたネ(怒)

その弾みを食らって、動員先の三池精錬所も、その大部分は焼失し、
焼け残った僅かばかりの施設で細々と生産を続けていました。

日時の記憶は定かではありませんが、あるとき空襲警報のサイレンが
鳴り響いた〜〜。私たちは建物の陰から晴れ渡った青空を見上げる。
その視線の先に、コンソリデーテッドB24、4発爆撃機が
その全容を銀色に輝やかせながら悠々と飛んでゆく。

とその時、大牟田南端にある片平山公園から砲撃した高射砲の弾丸が
見事B24に命中した。

ばらばらに破壊され、ヒラヒラと落ちてゆく敵機を見て、私たちは
ワーッと歓声を上げ拍手をしました。

ところが何処から飛んできたのかロッキードP38…、
例の双胴の戦闘攻撃機が、超低空の機銃掃射で襲ってきたのです。
私はもう無我夢中、雲を霞と工場に隣接する原っぱを当ても無く
逃げて行きました。

周囲に落下し爆発する爆弾〜、反復繰り返す機銃掃射〜
私は生きた心地も無くばったりと草原に伏せ死んだ振りをしました。

やっと攻撃を止めて去っていった敵機〜
私は爆弾に吹き飛ばされることも無く、機銃掃射の弾も
命中しなかった神の加護をしみじみと感謝した事でした。


            瀬里恵


[No.108] Re: ロッキードP38の機銃掃射 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/16(Sat) 18:25
[関連記事

> ヒヤッとした事、色々ありますが、特に記憶に残っている
> 忘れられない話は…これに止めを刺す。

瀬里恵さんのこの体験は
おそらくここでは
空前絶後の出来事だったでしょう。

誰もこれほどの体験はしていないでしょう。
これからもないことを願っています。

手塚治虫の本を読むと
やはり似たようなことが書かれていました。
高い見張り櫓の上で
手塚治虫が一人で恐怖の時間を過ごしたことが書かれています。
付近のみんなは空襲で死傷したのでした。