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[No.6551] La Sala V1 Maldita (和訳タイトル名:呪われた第6展示室) 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/04/24(Thu) 23:25
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 わたしは先日、友人の友田に勧められて、Y市の歴史博物館へ行った。なんでも、最近友田の娘の藍子が、ここへ勤め出したという。友田は田舎の中学の教師稼業を今年になって辞め、今はただのんびりと、庭の草花の世話に没頭している。親父も、娘も歴史が専門で、ふたりで話し出すと、いつも議論が沸騰するらしい。

 友田の話では、この博物館は、割と広く、第5展示室まであるが、4月に入ってやり手の館長の尽力によって、新しく第6展示室が誕生し現在公開中だという。何が展示されているのかと問うわたしに友田はふっと、謎めいた笑みをもらし「まあ、いいから行って見なよ。きっと、ビックリするぜ」と云った。「お前も、一緒にどうだ」と誘うと、「あ、俺なら、もう見たからいい」と云う返事。「それにしても、見たのなら、何が展示してあるのか知ってるんだろ。教えてくれよ。バカに勿体を付けるじゃないか」とわたしが不服そうな顔をしても、友田はただ、にたにた笑っているばかりだ。わたしも、友田にはそういえば、小学校のころから、そういうところがあったな、と思い直し、それ以上は聞かなかった。

 その日は木曜で丁度休館日に当たっていたので、翌日の朝、10時開館と同時に館内に入った。受付近くにいると云っていた友田の娘、藍子はどうしたわけか、その付近に姿が見当たらなかった。

 わたしは、ライトブルーで趣味のいい館の制服を着て、中学生くらいに見える幼顔の若い子に尋ねると、途端に切り口上で「当館には第5展示室までしか御座いません。なにかのお間違いでしょう」と答えた。「でも、折角いらしたのですから、特に第5展示室はぜひご覧になってください。最近、石割遺跡第8号墳から発掘された、とても変わった、小動物を象った土器などがみられますよ」という。

 まあ、折角来たんだから、このまま、帰ってもしょうがないな。わたしは、もともと、歴史が好きなわけではないが、ほかに行くところと云って別にないんだし、というわけで窓口で所定の入場料を払って、とりあえず、館内へ入った。

 どうも、定年になって、また年を取ると、行き場所というものが、だんだんなくなって来るのが、一番こまる。その証拠に、街の図書館や、大手スーパーのフリースペースなどへ行くと必ずと云っていいほど、鼻提灯を出してうたたねをしている、小父様のふたりや三人に、ぶつかる。

 従兄の栄太郎も、毎日あちこちの展示会、展覧会などを見て、元気そうだったが、その内行き場所もなくなったのか、消息を聞かなくなったと思ったら、暮れになって喪中のはがきが届いた。危ない、危ない。おれも気をつけなくっちゃあ。

 博物館の運営と云うのも、友田の話によるとなかなか大変なものらしい。ただ、流れに任せていては、客足が全然伸びない。そこで、どこでも、頭を絞って館独自の工夫をいろいろと試みるらしい。こども料金を無料にするとか、外郭団体をつくって、教養講座を開いたり、会員にはミュージアムグッズの割引をしたり、子どもを対象に館内ツアを開催したり、ロゴのの入った綺麗なカレンダーを、会員にだけサービスしたり、あの手この手で、会員を引き留めようとする。ま、大学などでも、大学名の入った大学饅頭を販売する時代だ。館の場所が過疎地にあったりすると、鉄道駅からの送迎バスのサービスまでやって呉れるところもあると聞く。

 わたしは、生来とくに歴史好きではないので、第1、第2、第3ときて.第4あたりでは、すこし飽きがきて、ここでは先へ進まず、近くにあった、休憩室の椅子にどっかと腰を下ろし、自販機で缶コーヒーを呑んだりして気分転換を図った。退屈に任せて座っている椅子を子細に眺める。すると、椅子はなかなか、良いものを使っているとみえ、ふかふかとして座り心地は上々であった。座っているうち今度はそろそろ眠くなって来て、あくびがしきりに出た。ここで、昼寝をさせて貰えると実に有難いんだがなあ、など勝手なことをぶつぶつ呟いてみたが、それもならず、仕方なく、ひと気のない館内を、そろそろと第5展示室へ向かった。(つづく)


[No.6554] Re: La Sala V1 Maldita (和訳タイトル名:呪われた第6展示室) 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/04/29(Tue) 22:28
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   第5展示室は現代の部で、昭和のころの展示物は、昭和一桁生まれのわたしには、さすがに懐かしく、大いに興味がわいた。今でも昨日のことのように思えるあの防空頭巾や「欲しがりません、勝つまでは」や「ゼイタクは敵だ」などの標語をでかでかと書いたポスターに千人針、終戦を報じる当日の新聞などを見ると、太平洋戦争中の血のにじむような苦労が一度に蘇って来た。奥には終戦の詔勅の録音を、じかに聞くことの出来るコーナーもあった。

 そういえば,東京は九段の「昭和館」というところへ行った時も、こんな感じだったななどと、しばし追想にふけった。

 わたしは、森閑とした展示室で、ひとり閉ざされた世界へ閉じこもり、しだいしだいに、その中に沈殿して行くような自分を感じた。思いなしか、室内の照明も、入館時に比べ、一段と暗くなって来たような気もした。

 そのとき、正にそのときだった。最新の工法で頑丈に造られ、耐震基準を立派に満たしている筈の館の建物が、突然大きく胴震をいをした。わたしは、これは地震だ、と咄嗟に判断した。近頃、割と大きな地震が頻発し、気にもなっていた。続いてわたしは、足元をすくわれたように感じ、もう体をまっすぐにして居られなくなって来た、ああ、このままではその内、床に倒れこんでしまうと瞬時に危険を察知して、取りあえずそばの壁に慌てて手を突いた。

 やれやれ、今のは余震でこの後、本震でも来たらそれこそ大変だ。これからどうしたものかと、思案しているうち、ふと見ると、いつの間にやら、わたしは、第6展示室という札の掛かった新しい部屋のまん前に立っているではないか。そうして、自分の意思とは全く関係なく、相変わらずふらふらと歩きながら、その、ある筈のない、第6展示室の中へと迷い込んでしまったらしい。それはまるで、昆虫が体の自由を失って、待ち構えた蜘蛛の巣に、容易く絡めとられてしまうような、そんな情けない、みじめったらしい状況だった。

 どうも、この空間には、人間の意思を超越した、超絶的な、有無を言わせぬ強大な力が支配しているらしかった。

 室内には、興行などでよく使う、スモーク状のものが、一面に立ちこめていて、中の様子はハッキリとは分からない。そのうち、友人の友田に、何処となく面影の似た顔がとつぜん、その煙の中に見え隠れし始め、ヒヒヒヒと不気味な笑い声が、不安に戦くわたしを震え上がらせた。「おい、おい、お前。友田なんじゃないのか、悪ふざけはごめんだ。いい加減にして、正体を現わせ。なんだって、小学校からの親友にこんなことをするんだ。」わたしは、あらん限りの力を振り絞って、友田と思しいその顔に向かって大声で抗議した。

 ところが、その声は立ちどころにあの、超人的な力に打ち消されてしまうらしく、わたしの意思とは裏腹に、とても弱弱しく、まるで子どもの泣きべそのような声に変えられてしまい、それが、ひと気のない空間に、むなしく木魂するばかりだった。
 

 わたしは、その場で気を失ってしまったらしく、人心地の付いたのは館内に造られた三畳敷き位の、狭い宿直室で、そこにダラシナク横たわっていた。そばには、ガードマンと愛らしい様子の藍子がいて、彼女はわたしの息を吹き返したのを知るとすぐ「小父さま、もう大丈夫ですか?」と優しく声をかけてくれるのだった。

 そのあと、わたしは断ったのだが、ブランデーを少量飲まされ、しばらくして藍子の心配そうな眼差しに見送られ、それでも、一度も転んだりもせず、無事にわが家へとたどり着いた。藍子の話では、やはり、第6展示室などは初めからなく、小父様は、人がよいので、いたずら好きの父に、一杯喰わされたのじゃありませんこと?と同情され、この件は一件落着と相成った。また、地震についても尋ねたのだが、ガードマンも、藍子も言下に否定した。たしかに、夜7時の今日のニュースでも、当日の夕刊にも、地震の記事は一切なかった。

 翌日、かかりつけの町医者の薮田のところへも行ったが、磊落でデル腹の医師も、やはり「地震?さあ、あの時間、あったか、なかったか、俺にもそのジシンがないなあ」などと、親父ギャグで軽く躱されてしまった。体にはべつに異常は認められないという薮田のことばに「そうさなあ、まあ、こういうことは、得てしてストレスから来るらしいから、あまり、気にしないで深く追及するのはやめよう」これがわたしの結論だった。それにしても、友田ってヤツは!

 今ごろ、藍子から一部始終を聞き出し、してやったりと、満面に笑みを浮かべ、嬉しさのあまり、大きく後ろにのけぞったり、咳き込んだり、涙を流したり、いろいろやりながら、つぎつぎ祝杯を重ねているのに違いない。

 それにしても、どうして第5展示室を出たところで、あんな奇怪な事件が起こったのか。わたしは自宅で、やっと通常の精神状態に戻ったところで、自分なりにあれこれ考えてみた。そうして、最後にたどり着いた結論は、どうやら件の博物館の館長が怪しい、と云う点に思い至った。大体名前からして普通ではない。田貫尾弥次というのだ。読み方によったら、タヌキ・オヤジとも、読めてしまうではないか。

 友田によれば、この仁は、シャーマンについては滅法詳しく、欧米から学者がわざわざ教えを乞いに来日するという。その友田も、あやしい。もしかしたら、友田と館長の田貫はもとから懇意で、ふたりが示し合わせた上、あんな芝居を打ったのじゃないだろうか。まだ、確証はないのだが、そうだとしても、別におかしくはない。

 あの、友田の一人娘の藍子はどうだ。一人娘なので、むかしから彼は、藍子を溺愛していた。そこへおととし、女房の梅子がひょっくり急死して、ますますかわいがるようになった。しかし、いつもあの清楚な女らしさを漂わせている、藍子まで容疑者のリストに入れるのは忍びない。これは、外すべきだ。

 何と云っても、悪いのはあの二人に間違いない。ようし、その内、こちらも、手の込んだ復讐のやり方を考え出して、あいつらに倍返しだ。このまま、黙って引き下がっては、おとこが廃る。(終わり)