[No.6665]
「中陰の花」を読む〜ネット時代の仏教
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2014/08/15(Fri) 22:28
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| 本を読むというのは、本当に久しぶりのような気がする。6月は半分くらいは旅行をしていたし、帰ってからも、暑さや疲労のため、すぐ本を手にするような気が起こらなかった。
やっと人心地が付いたのか、気が付いてみたら緩慢な動作ではあるが、眠そうな目つきでいつの間にか本のページを繰っていた。
それがこの玄侑宗久さんの「中陰の花」だったわけである。それも、特にこの作者が好きとかではなく、この方は、2,3か月前、ひょんなことからその名を知った、芥川賞作家である。
その名からも窺われるように、玄侑さんは現役の僧である。主人公も作者の投影と思われる則道と云う名の、臨済宗の僧である。しかし仏教に関係する人間の書き物としては、チョット意外な感をあたえる。たとえば、おがみやのウメさんが出てきたりするからだ。
天照皇大神系のウメさんと、仏教でも禅宗の則道は、一見水と油のような気もするが、突然ドスンと来るようなウメさんの考えと、座禅を特徴とする禅宗の間には、何か共通点があるような気もする。また、パソコンで「おがみや」とか「憑依」「超能力」「霊能者」などと、つぎつぎ、検索窓に放り込んでは調べまくる。このところは、いかにも現代の坊さんの姿を彷彿させて、微笑ましくなってくる。
もちろん、関連の本も読まないわけではなく、臨死体験の関係でも、いろいろ読んでいるのがわかる。
則道には、妻の圭子があり、二人の間には子がない。じつは、圭子は4年前妊娠したのだが、4か月目に流産してしまった。夫婦仲は別に悪くはないが、やはり、満たされないものがあり、圭子はおがみやのウメさんに、縋ったりしたこともある。生涯独身だったウメさんは、自らの生き方を貫き、89歳で冥界へ旅立った。ところが、この人は自分の死ぬ日を予言し、一度目はたしかに失敗したが、二度目には見事に成功させている。
また、文中、圭子の祈りが具象化した巨大な『こより』の網の場面が出てくるが、この部分の描写がまた、素晴らしい。河合隼雄氏が「解説」で指摘され、また作者が「あとがき」で、言い当てられた、と述懐しているインダラ網というものが、最初から玄侑さんの脳裏にはあったものと思う。
それに関連して思ったのは、宮沢賢治に「インドラの網」という作品のあることである。未見の方には併読をお勧めする。妻の圭子は、子を授かりたいばかりに、流産した時から、夫の則道には内緒で、せっせと、マルチカラーのこよりの網を作り続け、完成時には巨大な網となって則道を驚かせる。圭子は夫に頼んで、これを本堂の天井から吊り下げ、世話になったウメさんと、水子の、供養をしてもらう。
この場面は何度読んでも良い。則道の読経の効験なのか、陰でウメさんの力も働いているのか、こよりの網はとつぜん浮き上がったり、停止したり、まるで中陰に咲く巨大な花のようだ。
さいきん、『きずな』ということばをよく耳目にするが、こちらは華厳経の中心をなす、個人と世界との深いつながりを説いた、重々無尽思想を現代風にアレンジしたものではないか。(大塚常樹氏の『注釈』による。)
先ほど、「中陰の花」と賢治の作との関連を云ったが、ウメさん同様、賢治も自分の死期を友人に予言。これは一発で的中させている。あっしは、玄侑さんも、たぶん、賢治を相当程度愛読していたのではと、推察する。
ほかに登場する、石屋の徳さんの存在も気になる。また、作者は本物の僧だけあって、開甘露門とか、般若心経、消災呪だの、施餓鬼、観音経など経の名が頻出する。また、水中タンパカなどと云う聞きなれない行の名も飛び出す。
文中、大阪出身の圭子の大阪弁と、則道のへたくそな大阪弁も、この小説に予期せざる、奇妙でユーモラスな効果を与えている。玄侑さんというのは、もしかしたら、あっしらが付き合ってもみても『面白い方』なのかもしれぬ。とにかく讀ませるという点でも、作者の細かい配慮が、随所に感じられる好著である。 おわり
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