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[No.6678] 唐辛子紋次郎さんから絵はがき 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/20(Wed) 05:15
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唐辛子紋次郎さんから絵はがきが届きました。

関東大震災で破壊される前の
浅草凌雲閣の写真の絵はがき。

この凌雲閣の模型は、江戸東京博物館に行けば見られますが。

石川啄木と金田一京助は上にのぼり浅草を見下ろしてから
某所に行ったようです。

啄木の好きなその場所は、啄木は日記に書いていますが
嫁入り前の娘をもつ京助は秘密にしたがります。

息子の春彦によると、啄木の書いたものが全集となって出る時
その場所に金田一京助が行ったことは記録がないように注意したとか。
  (啄木日記は函館図書館に保管され戦後になってから発表された)

男だから、そういう場所に一度くらい行ってもなんともないのに
と春彦は書いています。

金田一京助も文学にこころざす学者ですから、人間の生活とか楽しみに関するものを認めないのはおかしい、もっとおおらかに世相を見てもよいというのが春彦の言い分なのですが。

京助がそういう場所に行ったとしても、啄木につき合って行ったので
たった一回の出来事で、二度とは行かないし、以後も行きたいと思ったこともないと
みんな思うでしょう。


[No.6689] Re: 唐辛子紋次郎さんから絵はがき 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/08/23(Sat) 17:10
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   男爵さん、みなさん、こんばんは。

>関東大震災で破壊される前の浅草凌雲閣の写真の絵はがき。

 あっしは凌雲閣と云えば、江戸川乱歩を思い出しますね。「押絵と旅する男」をご存知ですか?いま、手元に本がないので、詳しい筋書きは書けませんが…。

 語り手の「私」はたまたま空っぽの列車のなかで、曰くのありそうな老人と乗り合わせます。なぜ、この男は、押絵と旅をしているのか。

 この謎が次第に、その老人の口から明かされていくのです。老人のお兄さんが、偶然凌雲閣の高みから遠眼鏡で下の景色を眺めていて、ひとりの美少女を発見し、たちまちこの少女に魂を奪われてしまったのです。

 そのお兄さんは、なんとかして彼女に遭いたいものと、大急ぎでこの12階を駆け下ります。その先は、讀んでのお楽しみ。ま、

 この際、この建物が、乱歩の小説の舞台に使われたという事実だけで十分でしょう。

 この凌雲閣は日本初の電動エレベーターの採用とか、演芸場をつくるとか、一応は色々経営努力もやったらしいのですが、傑出した経営者がいなかったらしく、すぐ客足が遠のいて行ったようですね。さらに終いには私娼窟化してしまったとか。

 同じころ、浅草のほかに、大阪にも、その名も同じ凌雲閣(9階建て)という建物があったそうですね。

 もうひとつは、矢野誠一によると、この「十二階」の経営が傾き始めた頃京都出身の大山師、岸源三郎というのが、金貸しの松崎権四郎を巧みに利用して、この「十二階」を手に入れ、「活惚れ一座」なる怪しげな演芸場を開場、さらには女夫風呂をつくるなど、つぎつぎに、場当たり的なアイデアで勝負に出たようですが、いずれも長続きせず、源三郎の挑戦も、失敗に終わったといいます。(矢野誠一「大正百話」)また、詩人の金子光晴の証言によれば、

 金子は天辺の「十二階」には、遠眼鏡屋のおばさんがいたといいますが、押絵の老人の兄さんは、始めから自分で眼鏡を持っていたように書いていました。そのころ、まだおばさんは、登場していなかったのか。それとも、あんまり上階からだと、いくら遠眼鏡を使っても、小柄な美少女が見つからないからか。また、

 この塔は、お雇イギリス人ウィリアム・バートンの設計で、煉瓦造りと云いますが、金子の筆によると、すこし風のある日には、ぎいぎいいって、あぶなっかしく、いつ倒壊してもおかしくないと思った、とあるのです。素人がそう云うようじゃあ、始めからかなり設計に問題があったのでは、と云う気がしてきます。

 設計の段階で、強度計算など、ちゃんとやってあったのか、それに地盤にも、ロケーションにも、もうすこし検討の余地があったようにも、思います。金子光晴「十二階下の女たち」より。

 あっ、そうだ、男爵さん、タイトルに固有名詞を入れるのを、止められませんか。あっしは毎日、各部屋を一通り閲覧して居りますので、タイトルに名前なしでも、まず、見落としは、ないと思います。(^_-)入れられた方は、トランプの切り札請求ではありませんが、一瞬、ギョッとします。


[No.6692] 「押絵と旅する男」 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/24(Sun) 17:01
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

>  あっしは凌雲閣と云えば、江戸川乱歩を思い出しますね。「押絵と旅する男」をご存知ですか?いま、手元に本がないので、詳しい筋書きは書けませんが…。

>  ......。老人のお兄さんが、偶然凌雲閣の高みから遠眼鏡で下の景色を眺めていて、ひとりの美少女を発見し、たちまちこの少女に魂を奪われてしまったのです。

この小説はわりあい好きです。 外国にも、知っている人が絵の中に入ってしまったり、絵から飛び出してきた主人公の話があるから、そんな話がヒントになったのかなと思いました。

先日は京都タワーに上って、望遠鏡で走る新幹線や京都の町を見ました。
一瞬、乱歩の世界を思い出しました。

私は「民博」のシリーズを書いていますが
唐辛子紋次郎さんのリクエストにこたえるものです。

あと10回以上は続きます。

>  あっ、そうだ、男爵さん、タイトルに固有名詞を入れるのを、止められませんか。あっしは毎日、各部屋を一通り閲覧して居りますので、タイトルに名前なしでも、まず、見落としは、ないと思います。(^_-)入れられた方は、トランプの切り札請求ではありませんが、一瞬、ギョッとします。

これは失礼しました。 以後気をつけます。


[No.6700] 江戸川乱歩のこと 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/25(Mon) 16:24
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

> >  あっしは凌雲閣と云えば、江戸川乱歩を思い出しますね。をご存知ですか?いま、手元に本がないので、詳しい筋書きは書けませんが…。

> この小説はわりあい好きです。 外国にも、知っている人が絵の中に入ってしまったり、絵から飛び出してきた主人公の話があるから、そんな話がヒントになったのかなと思いました。

> 先日は京都タワーに上って、望遠鏡で走る新幹線や京都の町を見ました。
> 一瞬、乱歩の世界を思い出しました。

江戸川乱歩は江戸川というペンネームだから東京都出身かというとそうではなく、
三重県名張町生まれ。父の転勤にともない名古屋で育つ。

江戸川乱歩は大家で、どんどん名作を書いていったかというとそうではなく
スランプ時代もあったようです。
新聞連載小説の「一寸法師」を書いてからスランプに陥り、この「押絵と旅する男」をいったんは書いたが気に入らず破りすててしまった。
原稿催促のため名古屋まで追ってきた「新青年」編集長の横溝正史は、その話を聞いて悔しがる。
結局、書き直してこの作品が完成したのは、それから1年半後で延原謙編集長の時だったという。

「D坂の殺人事件」は谷中の散歩で、ああここかと思った坂だった。

「二銭銅貨」はもはや古典的な名作。

怪人二十面相の少年探偵団シリーズは少年向きの小説だが
乱歩の作品はだいたい怪奇、猟期でロマンといえばそうだが大人向き。だから戦争中は当局から禁止されたのだろう。

江戸川乱歩と横溝正史は、日本における探偵小説の基礎をつくった。
ヴァン・ダイン アガサ・クリスティ ディクスン・カー エラリー・クイーンなどの海外の作家を紹介すると共に、推理小説の約束やトリックの整理など、彼らの後の推理小説作家に道を与えたという意味で功績は大きいと思う。