[No.6689]
Re: 唐辛子紋次郎さんから絵はがき
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2014/08/23(Sat) 17:10
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| 男爵さん、みなさん、こんばんは。
>関東大震災で破壊される前の浅草凌雲閣の写真の絵はがき。
あっしは凌雲閣と云えば、江戸川乱歩を思い出しますね。「押絵と旅する男」をご存知ですか?いま、手元に本がないので、詳しい筋書きは書けませんが…。
語り手の「私」はたまたま空っぽの列車のなかで、曰くのありそうな老人と乗り合わせます。なぜ、この男は、押絵と旅をしているのか。
この謎が次第に、その老人の口から明かされていくのです。老人のお兄さんが、偶然凌雲閣の高みから遠眼鏡で下の景色を眺めていて、ひとりの美少女を発見し、たちまちこの少女に魂を奪われてしまったのです。
そのお兄さんは、なんとかして彼女に遭いたいものと、大急ぎでこの12階を駆け下ります。その先は、讀んでのお楽しみ。ま、
この際、この建物が、乱歩の小説の舞台に使われたという事実だけで十分でしょう。
この凌雲閣は日本初の電動エレベーターの採用とか、演芸場をつくるとか、一応は色々経営努力もやったらしいのですが、傑出した経営者がいなかったらしく、すぐ客足が遠のいて行ったようですね。さらに終いには私娼窟化してしまったとか。
同じころ、浅草のほかに、大阪にも、その名も同じ凌雲閣(9階建て)という建物があったそうですね。
もうひとつは、矢野誠一によると、この「十二階」の経営が傾き始めた頃京都出身の大山師、岸源三郎というのが、金貸しの松崎権四郎を巧みに利用して、この「十二階」を手に入れ、「活惚れ一座」なる怪しげな演芸場を開場、さらには女夫風呂をつくるなど、つぎつぎに、場当たり的なアイデアで勝負に出たようですが、いずれも長続きせず、源三郎の挑戦も、失敗に終わったといいます。(矢野誠一「大正百話」)また、詩人の金子光晴の証言によれば、
金子は天辺の「十二階」には、遠眼鏡屋のおばさんがいたといいますが、押絵の老人の兄さんは、始めから自分で眼鏡を持っていたように書いていました。そのころ、まだおばさんは、登場していなかったのか。それとも、あんまり上階からだと、いくら遠眼鏡を使っても、小柄な美少女が見つからないからか。また、
この塔は、お雇イギリス人ウィリアム・バートンの設計で、煉瓦造りと云いますが、金子の筆によると、すこし風のある日には、ぎいぎいいって、あぶなっかしく、いつ倒壊してもおかしくないと思った、とあるのです。素人がそう云うようじゃあ、始めからかなり設計に問題があったのでは、と云う気がしてきます。
設計の段階で、強度計算など、ちゃんとやってあったのか、それに地盤にも、ロケーションにも、もうすこし検討の余地があったようにも、思います。金子光晴「十二階下の女たち」より。
あっ、そうだ、男爵さん、タイトルに固有名詞を入れるのを、止められませんか。あっしは毎日、各部屋を一通り閲覧して居りますので、タイトルに名前なしでも、まず、見落としは、ないと思います。(^_-)入れられた方は、トランプの切り札請求ではありませんが、一瞬、ギョッとします。
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