[No.6724]
終いには「飛んだこと」に!
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2014/09/05(Fri) 14:35
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| むかしは夫婦げんかで、よく茶碗が飛んだりしたものだ。学校では教師のチョークが飛んだこともケッコウあった。
ったく、羽根もない癖に、なんでも、飛ぶものだ。(@_@。
韋駄天の愛称もある飛脚も、空中を飛びはしないが、飛ぶように走った。ところで、昨今では何と言っても、リニア新幹線だ。時速、500キロはたしかにスゴイ。
リニア新幹線に負けてはならじと、教室でもやはり飛ぶらしく、ケストナーに「飛ぶ教室」という作品がある。立川文庫に「猿飛佐助」があるし、清水義範氏あたりになると、その教室も、ただ飛ぶだけでなく、『飛び過ぎ』たりするらしいのだ。
澁澤龍彦さんの「空飛ぶ大納言」の大納言成通卿は、厳密に言えば、ほんとうに空を飛んだとは云いがたい。オウムの尊師ではないが、ほんとうに飛んだのか。答えは、飛んでもいない、飛んでもない、が正解。(-.-)。
何しろ、地上から、たったの15センチと云うのだから。
例の「紋次郎一座興行」でも書いたが、そこへ行くと、器物の飛ぶ方が,まだスゴイといえる。
天狗も飛ぶ。市の広報紙によると、当地の古文書に載っている天狗は、佐倉京都間を10時間で往復走破したという。おまけに、ちゃっかり祇園祭まで見物してきた、という。広報の試算では、移動の速度は、およそ時速80キロくらいではなかったか、としている。『天狗』は当地の大蛇(オオジャ)町と云うところに、嘗てあった文珠寺の寺男だったようだ。実は、その寺はあっしの家からもほど近く、あっしの家もじつは、東京から引っ越してきた当時は、大蛇町と呼ばれていた。で、ヒマに任せて、あっしも、この辺をくまなく捜索して、古い家に残っている巻物を手に入れ、天狗のように、自在に中空を飛んでみたいものだ。もし、成功した暁には,親しい友人をさそって、最寄り駅の広場にある「天狗の舞」で祝杯を挙げる計画も、すでにできている。
しかし、天狗と云うのは、天狗の高笑いではないが、高木の上にいるのが普通で、その行動様式は、いうなれば、アップダウン型ではないか。
韋駄天は、高い枝に上がったりはしないので、水平移動型だ。韋駄天走りはちょくちょく聞くが、天狗走りは絶えて聞いたことがない。もっとも、天狗だって一人や二人ではないだろうから、なかには、その両方をこなす豪の者も、五人や六人は、いるのかも知れない。
アップダウンでいえば、昔から、天狗昇『飛び』切りの術と云うことばさえ、ある。
西洋の飛ぶ話では、イカルスが特に有名だ。ベルギーの王立美術館で、あっしも「イカルスの墜落のある風景」(模写)というのを、しげしげと眺めた思い出がある。
そういえば、飛び道具ということばがある。戦争、戦闘の際はいうに及ばず、平時でもアメリカなどでは、年端の行かぬ子供までが、器用に操作して、じつの兄弟をあの世に送ったりするような悲惨な事件が、あいかわらず、後を絶たない。これは、飛ぶものの内でも、悪玉の最たるものである。
30年代には、「飛んでる女」が流行語になり、胡桃沢耕史が「翔んでる警視」シリーズを書いて、それも大ヒットした。ま、ほかにもいろいろあるが、
こんな事ばっかり書いていると、その内、しまいには『飛んだことに』なるかもしれない。そう思うと、恐怖心が、気のせいか、俄かに募ってきて、心臓の鼓動がみるみる内に激しさを増してくる。あまり欲張らずに、この辺で筆をおいた方がどうやらよさそうだ。
おわり
あやさんへ。
あっしはあっしなりに、いろいろ努力したつもりですが、『飛びっ切り』面白いのができなくて、ほんとうに、すんまへん。<(_ _)>
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