[No.6866]
Re: ポンペイと視察団
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2014/11/07(Fri) 10:43
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| > まず、日本と西洋との出会いから説き起こし、岩倉使節団をはじめ、日本人でポンペイを訪れた人の名を次々と、これでもか、これでもかと並べ立てて来る。日本人はこんなに、ポンペイマニアだったかと、初めて認識した次第である。有栖川宮、大山元帥、山県有朋、夏目漱石(出土品を見た)などなどである。
G.アシオーネ女史に教えられて、漱石の遺跡訪問に急に関心が高まり、地元の図書館に「日記」(全915ページ!)の貸し出しを依頼。それがきのう、S町の図書館から届いた。欣喜雀躍、さっそくその個所を開いてみると、あっしの期待を裏切って、その記事はあまりにも短かった。(*_*;
明治33年10月18日。どうやらポンペイの遺跡を訪ねたのではなく、出土品の置いてある博物館へ行っただけのようである。出土品についても詳細には触れず、ただ「発掘物非常ニ多シ」でおわっていて、感想の一言もないので、やや失望した。
翌19日には、もうジェノバに、到着している。
漱石が、ポンペイをPompeyと綴っているのが気になった。案の定、わきに解説者のsicというしるしがついていた。説明ではこのしるしは、欧文の間違いであるようだ。
文豪でも英文学者でも、間違いはある紋だ。(*_*;ちなみに、英語ではpompeiiとiをふたつ,書くようだ。(ジーニアス英和辞典)
蛇足:sicというのはラテン語で、『原文のまま』という意味のようだ。
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