画像サイズ: 534×800 (78kB)> > > > > > > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > > > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。東欧に残るガラスのイコンです。http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/main/europe/04ところでこの国立民族学博物館の展示は全国の他の会場たとえば六本木の国立新美術館でも開催されたことがあります。http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/power_of_images/index.html イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる 私はどこかで、この展示の案内を見たので記憶に残っています。さてそれとは別ですがこちらの国立新美術館の展示は今年見ました。 魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展http://www.nact.jp/exhibition_special/2014/Ballets_Russes/ このとき「イメージの力」のポスターを見たのかもしれません。ですからその美術館に行けなくても同じ展示を全国の会場を変えて移動展示をしていることがありそういうものを見たことがあります。フェルメールの展示や外国の博物館の特別展示などは何カ所かで開催すれば、海外の博物館や美術館にその貸出の費用を、複数の会場で分担するので、共同開催みたいなことは経済的な理由もあるのでしょう。「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」は遠くて大阪万博記念講演まで来られない人のために東京で開催した特別展示だったわけです。
グルーさん、こんにちは。始めての時は不安ですね〜ですので、もし講習を受ける人達がいたらと思い、詳しく書き込みました。ゴールドの人が、受ける年に71歳になる方は4年。70歳の方は5年になります。グルーさんは72歳かな?75歳から認知証検査があるそうです。目は誰でもが衰えてきますね〜私は夜の運転は控えています。これからは暗くなるのも早いので尚更ですね〜夜遊びは出来ない・・・それより身体自体が出来ない!(。-_-。)
画像サイズ: 780×760 (80kB)> > > > > > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。太平洋の島の民族はナベなど使わないで石を焼いて食べ物を調理して食べる。まずたき火をして、石を焼く。地面に掘った穴の中に焼き石をつめ、そのなかに主食のタロイモやヤムイモ、パンノキの実などをのせる。魚、肉、野菜などのおかず類はココナツ・ミルクや塩で味つけして、タロイモの葉にくるんだ包みとして、やはり焼き石の上にのせる。こうして食べ物を詰めた穴の上をバナナの葉で覆い、土をかぶせて熱が逃げないようにして、できあがるのを待つ。こういう焼いた石の熱を利用して調理する方法は日本の新潟県や秋田県に見られる「わっぱ煮」を思い出します。http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/11-danwasitu/wforum.cgi?no=6718&reno=no&oya=6718&mode=msgview
画像サイズ: 800×640 (46kB)> > > > > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。> > > > これはアウトリガーつきのカヌーです。> > 彼らは > アウトリガーつきのカヌーで南太平洋を> 広い範囲で航海したのです。これは博物館内の別の所に飾ってあった写真です。手前がアウトリガーでシングル・アウトリガーつきカヌーの全体がわかります。
画像サイズ: 365×700 (30kB)> > > > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。 > > これはアウトリガーつきのカヌーです。彼らは アウトリガーつきのカヌーで南太平洋を広い範囲で航海したのです。その秘密は間切り(間切る)という操縦法。ヨットの操縦に見られるように風上に向かってジグザクに進む。http://www.oceandictionary.jp/jjee/je-sub/je-navi/jenavim.html「間切(まぎ)り」という言葉を知ったのは児童文学の古典ともいえるランサムの「ツバメ号とアマゾン号」でした。http://t-miz.cocolog-nifty.com/diary/2010/07/post-cf9d.html 旧訳では「間切る」という訳語が使われていたが、新訳では「タック」「タッキング(tacking)」というカタカナが当てられている。どうして風上に進めるのかという私の質問に対して東京の海洋大学の先生は「ベルヌーイの定理」によるとだけしか答えてくれませんでした。博物館の展示ではシャンティングとなっています。(写真がみにくくてすみません)シャンティングというのは、船が前後で同じ形をしており、常にアウトリガーを風上側にするものです。http://blog.goo.ne.jp/goodblessyou/e/556e307a647df71d8b01173717dd4e0fシャンティングとはタッキングとは違うものらしいが、専門すぎるからこのくらいでやめておきます。博物館の展示もそこまで専門的ではありませんでした。マニアに対してならいいが、一般の見学者には頭が痛くなる説明となりそうですから。なにごともほどほどに。
中陰というのをご存知ない方もあるかと思い、老婆心?うんにゃ、老爺心ながらチョット説明しておきます。 この本の帯にも、じつは書いてあったような気がしますが、帯のない本もブックオフや図書館にはあるでしょうし。 で、手元の増谷文雄「新撰 仏教辞典」本文を開くと、こんな事が書いてあります。 中陰、ひとの死後、七七日間の忌日中をいふ。また、中有に★おなじ。 ついでに、この本の凡例をみて驚きました。『本文』は何でも国民に必要なことば、4000語を選んで解説したとあったからです。てことは、日本の国民になろうと思えば、4000の基礎用語を覚えなければならないわけですから。こうなると、伊達や酔狂で日本国民にはなれない。よ〜く考えた上でないと…。(-.-) この中陰、よっぽど大切なことばらしく、付録1の仏教常識というところにも、出ています。するていと、落語の『粗忽長屋』ではないけれど、さっきのはあれは何だったんだろう。凡例の方にも、ここには仏教常識を4000おさめてある、と書いてあったが…。 なことはまあ、どうでもいいのですが、ここの解説はそうとう長いので残念ながら、引用出来ません。 そこで、紋次郎の理解した範囲内で再説しますと、要するに、人間ちゅうものは、死ぬとすぐ仏になるわけでなく、成るには49日の待期期間が必要だそうで、四十九日が来て初めて、成仏できるらしいのです。 この四十九日がくると、これを満中陰というとか。そういえば、従妹が死んだとき縁者から来た、あいさつ文に、満中陰とか書いてあったのを、今やっと思い出しました。満中陰になると、追善法要を営むのがふつうで、 その起源は、増谷先生によると、「続日本紀」にあるそうです。聖武天皇が、詔勅で、満中陰が来たら、かならず追善法要をおこなうようにと仰せられたそうです。で、天皇崩御の折りには、主要な寺院では盛大に、追善供養が行われた由です。 ★ チュウウと読むそうです。
画像サイズ: 700×433 (61kB)> > > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。 > これはアウトリガーつきのカヌーです。蛇足ながら アウトリガーの説明を載せておきます。アウトリガーつきのカヌーは大きなものですから写真に撮るのが大変でした。こんな大きなものを日本に持ち帰るのにはかなりの苦労があったことと思います。この博物館には他にも搬入の困難さを推察されるようなものがたくさんありました。 引っ越しのピアノのように。
画像サイズ: 700×525 (62kB)> > > > > 国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。> > > > > 民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。 > 次は> モアイの鼻先に見える船について> 紹介します。これはアウトリガーつきのカヌーです。アウトリガーは、安定のために船の脇につきだした浮きです。 左側は大きな帆で、右につきだした先にアウトリガーが見えます。陸上でもクレーン車などの建設機械の両脇に転倒防止としてアウトリガーがつけられているのを見ることができます。海上のカヌーや船の用語が、陸上の建設機械に転じてつけられた名前こういう用例はほかにもあると思います。
人垣のくずれて神輿立て直す トラックに乗せて団地の祭りかな団地の六階に住んでいます。笛と太鼓の音が近づいて来たのでベランダから見ると、小型トラックに乗せた神輿がそろそろと動いていました。この辺りはまだ畑があって田舎だと思っていたのですが、なぜか車に乗ったお御輿なのです。羽田空港の近くに住む友人に誘われて、お祭りに何度か行ったことがあります。空港の中に近隣の町内の十何台かが勢揃いする様子は壮観でした。現代を象徴する飛行機、その爆音と離発着を目の当たりにする中に神輿を見るのは、そこだけがタイムマシンで昔に引き戻されたような感じがします。そこから産業道路まで競い合って神輿は進みます。それぞれ町内の特色のあるのぼりやちょうちんを前にして、威勢のいい掛け声とともに担いで行き、決められた所で揉むのですが、それはみごとなものです。担ぎ手には若い女性も多くなりました。友人の町内のお御輿について歩きながら自分も担いでいるように興奮してしまいます。そして揉まれた神輿が集まった人垣の中に倒れ込んでくるような気がし、人々が思わず崩れるように後退をした瞬間、神輿は立て直していました。そんな間近に神輿を見ることはまれになってしまいました。私は大森の生まれで、この羽田とは隣という所に住んでいたことがあり、小、中学校はそこで過ごしたのですが、お祭りには友だちと連れ立ち、今日はお稲荷さま、貴船さま、今夜は弁天さよ、などと、貝殻の捨てられて真っ白になった道を、大きなわら屋根の軒下を、花の咲く原っぱを、川の土手を走り抜けたことを懐かしく思います。平成8年ころのことですが、今でも羽田空港から、産業道路までも神輿担ぎがあるのかどうかわかりません。友人も歳を取ってしまって、年賀状くらいの付き合いになってしまったのです。長い道のりを、神輿とともに歩き、時には担ぎ手や見物人と会話してと、とてもいい思い出となっています。今、どうしているでしょうか?
なにか胸がつまりそうな思いで読ませていただきました。もちろん、ここへは行ったことありませんが、海外旅行はおろか、国内の旅行も途絶えている現状なのです。昔は旅に明け暮れていた時代もあったことを懐かしく思い起させてもくださって感謝します。写真すばらしいです。富士山かと一瞬思えてしまって。また、よろしくお願いいたします。