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[No.6683] 憧れのアララト山 投稿者:GRUE  投稿日:2014/08/21(Thu) 09:57
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アララトという言葉を始めて知ったのは、もう2,30年前にモスクワ訪問時に
その名のコニャックを飲んだ時である。アルコールに弱い私なので、実際は舐めた
ということであるが、その香りの良さ、芳醇な味に惹かれた。友人がどうだ旨いだ
ろう、偽物が多いのだが、これは本物だと自慢そうに保証した。

産地はどこだろうかとラベルを見ると、アルメニア産と書いてあった。そして、
高そうな山の絵のイラストが貼ってあった。これがアララト山であった。ふーん、
アルメニア(当時ソ連邦の一共和国)にあるのかと思った。

この山は、アルメニア人が聖なる山としてもっともあがめている山であることを
知った。ソ連邦時代も現在も国章の真ん中にアララト山がはめ込まれている。この
山はアルメニア民族のシンボルであることがよく分かる。

しかし、場所はトルコ領にある。しかも、国境からわずか30kmしかない。
これは何か訳があるなと思うと、案の定、かつてはこの一帯を大アルメニア王国が
支配していた時代があったことがすぐに分かる。

その後、この地は色々な国に侵略され、最後はオスマン帝国によって支配されたが、
それでもアルメニア民族は、アララト山を毎日仰ぎ見ながら、この地に住んできた。

20世紀初頭(1910年代)、巨大なオスマン帝国が崩壊し、一次世界大戦の中
で、アルメニア王国再建をめざすが、結局、トルコ革命軍とソ連赤軍によって、
つぶされてしまう。それぞれに分割支配されてしまう。アララト山付近に住んでい
た多数のアルメニア人はトルコに強制退去させられる。(この時のことは虐殺があっ
たとして、トルコとアルメニアの間で争ってきて、両国の関係は今なお最悪である。)

アララト山が有名なもう一つは、「ノアの箱舟伝説」との関わり合いである。
旧約聖書の創世記6−9章によれば、神は邪悪となった人類を滅ぼすため40日間
の大洪水を引き起す。唯一、神に忠実であった、ノアとその家族(妻と3人の息子と
その嫁)、及び一番(ひとつがい)の獣家畜、鳥そして地を這うものを載せた巨大
な箱舟だけが難を逃れ、150日間彷徨い、神が豪雨を止めたのでたどり着いたの
がこのアララト山であると。多くの方がご存じの話です。
近年、アララト山から箱舟のものと思われる木片の化石が見つかった、あるいは、
航空写真から箱舟の跡を見つけたというニュースもありました。

ご存じのように、アルメニアはキリスト教国です。しかも、世界でもっとも最初、
301年に国教とした。非カルケドン派に属しています。
エルサレムの聖墳墓教会の内部が、ローマカトリック、アルメニア、コプト、
ギリシャ正教会の4つに分けられて管理されていることからも存在が大きいこと
がうかがえる。

アララト山をあがめるアルメニア人の信仰心は、イスラム教徒とは違うものがある
のを感じる。

アララト山は、かように、その神秘性、歴史性の点で興味深く、私はいつかアララト
山に憧れるようになった。このような山は、それだけでなくきっと美しいに違いない
とも私は信じるようになっていた。

憧れのアララト山に会えることができたのは、3年前、2011年の6月であった。
コーカサス3国(アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア)の旅に出た時であった。

アルメニアの首都エレヴァンから、西に50kmほど進むと、トルコ国境に達し、
そこにある綺麗なボルビラップ修道院から、アララト山の偉容が見えた。

やはり素晴らしい山であった。山には神が存すると思うときがあるが、この時も
そうであった。大アララト山は、標高5137m、トルコの最高峰である。そして、
南東方向に小アララト山、3896m(富士山とほとんど同じ高さにあり形も似て
いる)がある。
雲に隠れることも多いのに、幸運であった。

写真を添付します。

(つづく)


[No.6682] 民博(みんぱく) 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/21(Thu) 06:36
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国立民族学博物館は大阪府吹田市の万博記念公園にあります。
民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っていますが、さまざまな研究スタッフがいて、それらの研究者の著書は多いです。

略称は民博(みんぱく)です。

よく間違えられるのは
千葉県の佐倉にある国立歴史民俗博物館で、こちらは通称、歴博(れきはく)と言われます。
佐倉のほうは日本人の民俗や歴史をあつかうのに対して
大阪の民族学博物館では、世界の民族のことをあつかっています。

展示は膨大なもので、じっくり見ていけば半日あっても足りないくらい。

唐辛子紋次郎さんからのお勧めもあり、ここで 国立民族学博物館の展示について紹介したいと思います。


さて
これは韓国のコーナーに展示されてあった花札です。

もともと韓国には花札はありませんでしたが、日本で働く人から持ち込まれたようです。
いまでは韓国人の大好きなゲームになってしまいました。

日本の花札に似ていますが少しだけ違います。韓国の花札にはハングル文字が書かれてあります。

新大久保の店で、韓国の花札を買ったことがあります。

炭坑や建設現場で働く人たちは花札が大好き。
だから、ダイナマイトの種類は花札の名が付けられているそうです。
 桐○号  松○号


[No.6681] Re: 紋次郎一座・お盆興行一幕見は、こちら 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/08/20(Wed) 19:35
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 その第三   いよいよ、現れしこと

 何がってあーた、急に手にしていた盃がふわっと宙に浮いて、隣室の方へ飛んでゆくのだ。あれよあれよと云う間に、今度は刀掛けに掛けてあったあっしの脇差が空中を気持ちよさそうに遊泳し始める。こら待て!と云ったって、相手は人間ではなく、化物なので話がすんなりと通じるわけがない。畏怖衛門はもう腰が抜けて、部屋の隅でガタガタと震えている。一方、ヒマ野は落ち着いてはいるものの、床の間に浮き上がった妖怪の眼をじっと睨み据えている。その時だ、家具などが揺れて、大きなもの音を立て始めたのは。中には勇敢にも、こちらに向かって非常な速さで飛んでくるものもある。あっ、危ない。

 その内今度は、近くに墓などある筈もないのに、座敷のなかを無数の火の玉が、上になったり下になったり、これ見よがしに、また好き放題に浮遊している。生臭い風も、思い出したように、吹き始める。絹を裂くような、をんなの悲鳴のようなものも、背後から聞こえてくる。

 豪胆なヒマ野が、「ろくろ首はまだか」と云い終わるか終らない内に、床の間にひょろひょろと長い首が現れ、忽ちの内に、ヒマ野に迫り、長い舌で左の頬をひと舐めした。「ぶ、無礼者!」さすがのヒマ野も、不機嫌そうに、いつまでも、くにゃくにゃと曲がる首を、日焼けした染みの目立つ、大きな手でさっと払いのける。すると、たちまち、その首は消え失せ、その代わりに今度は、襖に描かれた、ありふれた山村の風景が、なんと、絵師、歌川広重描く薄気味の悪い「平清盛怪異を見る図」に変わっていた。

 昼間ではそう恐怖を覚えない人でも、夜間この薄暗い座敷で、こうした絵を見るのはあまりいい心持のものではない。また、どういう仕掛けがあるのか、絵の中でも抜きんでて大きい髑髏が、徐々に大きさを増して行き、いくら目をそらそうとしても、そばにいる人間を、しっかりと捉えて離さない。まわりにある無数の小さな髑髏も、からころとあたりを転げまわりながら、鬼気迫る不気味な笑い声をあげる。立ち往生した清盛の苦しそうな息遣いさえ、まるであっしらがその画中にでも居るかのように、すぐ近くに感じられる。

 ヒマ野は苦笑いし「敵も中々やりおるおるわい。このところ、歌舞伎の、けれん味さえ感じられる。」と、いささか感心した様子。

 「今日はもう、これくらいでよい。調子に乗って、いつまでもやるな」というヒマ野のどうま声が相手に届いたとは到底思えないが、不思議なことに、それっきり、化け物の姿は見えなくなり、一旦は消えかかっていた行燈の明かりも、ふだん通りの明るさに戻っていた。

 「どうだ、ご主人。化け物も、拙者が思いっきり睨みつけてやったゆえ、当分は遠慮してもう出るようなことはあるまい。」「お有難うございます。」恐怖のため歯の根も合わぬ主人の畏怖衛門は、相変わらず、小刻みに震えながら、蟹のように、その場に這いつくばっていた。

 「しかし、それにしても、今日は何ゆえに、このように大勢の物の怪が現れたのでご座ろう。」と訝るあっしに、ヒマ野は、半分マジメ、半分ふざけたような表情を浮かべて、「そ、それがでござる。つまり、その、当節は、お盆興行なので、先方も張り切り、そのためいつもより特別に出し物の数が多かったので御座ろう」と呟いた。あっしらが、そのあと、河岸を変えて近くの屋台で飲み直しをしたのは、改めて申すまでもないことである。          (おわり)


[No.6680] Re: 紋次郎一座・お盆興行一幕見は、こちら 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/08/20(Wed) 19:30
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  その第二  名主の家で怪に遭うこと 

 桃野は、生まれつき慎重な性格らしく、あらかじめ水茶屋で、化け物屋敷の様子を主人に事細かく説明させてから現地に乗り込んだが、よろず大雑把なヒマ野はそんな面倒な手続きを踏まない。

 直に乗り込んで行って、出ればよし、また仮に出ずとも別に気にはせぬと云う大らかさだ。どうも、化け物と云うものは元来、几帳面な性格の人間を好まぬようだ。人間とは違った、こうした異界のものを相手にするときは、まず先方の都合も、多少は考えてやらねばならぬ。

 なるほど、何代もつづいた名主の家だけあって、建物はかなり古びていて、主人があまり手を入れないのか、吝嗇なのか、あばら家とまでは行かないが、相当傷んでおり、化け物の舞台にはお誂え向きに出来ていた。

 おそらく、あっしらの訪問を今か今かと、待ち望んでいたのであろう。この屋の主人、小輪刈 畏怖衛門は、当然あっしら一行を大歓迎してくれた。何しろ、頼みの綱と思い込んでいた桃野に、あれ以来すっかりそっぽを向かれているので、どうしようもないのだろう。それに、化け物の方でも、畏怖衛門の足元を見たのか、安心して、遠慮会釈もなく、近頃はほとんど毎日のように出てくるようになったらしい。

 例によって豪勢な酒肴が並び、時間つなぎに、あっしも、ヒマ野も、主人の話をマジメに聞くふりをしながら、次々と盃を重ねていった。すこしは酔いが回ったかなと思う頃、やはり怪異は現れた。(つづく)


[No.6679] 紋次郎一座・お盆興行一幕見は、こちら 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2014/08/20(Wed) 19:02
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 あっしの「忘れ紋次郎退屈日記」を読んだという方から、その後紋次郎はどうしているという問い合わせが、このところ毎日のように届く。忘れ紋次郎などとウッカリ付き合って、そのたちの悪い病いでも移された日にゃあ、その後の人生が真っ暗になるのでご免蒙りたいあっしは今まで適当にあしらってきたが、相手は一向に口撃の手を緩めようとはしない。さいきんは、週刊誌なぞでも「あの人は今どうしている」とかいう特集で、競い合っているのをご存知ないか、と来た。

 そりゃあ、週刊誌はやるでしょうよ、でも取り上げるのはすべて有名人ばかりだというと、なに、自分にくらべれば、忘れ紋の親分だって十分有名でさあ、と今度は持ち上げにかかる。よくいう『あの手この手』である。さすがのあっしも、ついに,根負けして、いやいやながら云うことを聞くことにした。それがつまりは、ここなる「その後の忘れ紋次郎行状記」である。

      その第一 ヒマ野の家を訪ねること

  五日ほどまえのことである。久しぶりに友人のヒマ野を訪ねた。忘れ紋次郎の消息を知るためだ。ヒマ野は、「変わり者の紋次郎のことゆえ、そのうち、ひょっくり戻って来る。心配するな、」と云う。「それより、さいきんこんな怪異があったが、おぬし知っておるか。江戸の西郊に、阿佐ヶ谷村というのがあるが、ここに、付近の住民から化け物屋敷と云って恐れられている名主の家がある。鈴木桃野(トウヤ)とかいう者が、弓道師範の小野竹崖、薬屋などと語らって、その家を訪れた。「ふんふん、」と、あっしも、つい膝を乗り出す。

 「ところが、桃野が行くまでは、化け物も休日返上で毎日まいにち、勤勉に出ておったが、よほど桃野との相性が悪かったのか、このお三方の出向いた日には、一晩中鳴りを潜めて、ことりとも音を立てなかったという。折角、張り切って出かけたのに、一言の挨拶もないと云って、桃野はその後半月ちかくも、ずっと不機嫌で、周囲のものを困らせたらしい。

 それからまた、半月ほどもすると、もう桃野は来ないと、安心したのか、化け物は毎晩几帳面に出現しては、周囲のものを震え上がらせているという。「いま、村では体験ツアというのをやっているようなので、お主も一口乗らぬか」というヒマ野の言葉に、あっしは目を丸くして「そ、そんなものが、ホントウにあるのか」といい、今度は少し疑わしそうな目つきで、ヒマ野のとぼけた様な顏を覗き込んだ。(つづく)


[No.6678] 唐辛子紋次郎さんから絵はがき 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/20(Wed) 05:15
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唐辛子紋次郎さんから絵はがきが届きました。

関東大震災で破壊される前の
浅草凌雲閣の写真の絵はがき。

この凌雲閣の模型は、江戸東京博物館に行けば見られますが。

石川啄木と金田一京助は上にのぼり浅草を見下ろしてから
某所に行ったようです。

啄木の好きなその場所は、啄木は日記に書いていますが
嫁入り前の娘をもつ京助は秘密にしたがります。

息子の春彦によると、啄木の書いたものが全集となって出る時
その場所に金田一京助が行ったことは記録がないように注意したとか。
  (啄木日記は函館図書館に保管され戦後になってから発表された)

男だから、そういう場所に一度くらい行ってもなんともないのに
と春彦は書いています。

金田一京助も文学にこころざす学者ですから、人間の生活とか楽しみに関するものを認めないのはおかしい、もっとおおらかに世相を見てもよいというのが春彦の言い分なのですが。

京助がそういう場所に行ったとしても、啄木につき合って行ったので
たった一回の出来事で、二度とは行かないし、以後も行きたいと思ったこともないと
みんな思うでしょう。


[No.6677] 女は見た目が10割 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/19(Tue) 19:30
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こんな本を読みました。

鈴木由加里:女は見た目が10割

美人はトクということは書いてあるが
それより著者のいいたいことは
女は小さいときから見られていることを意識している。
だから、少しでもよく見られたいと思っている。
そばの男性から「今日はきれいだね」とか「その洋服は似合うね」と言ってもらうと嬉しくなる。

高齢者の女性でも身だしなみが気になるから、化粧したり髪の手入れをしてもらうと明るくなるのである。
 施設の職員もそこをよく認識してもらわないと...

あのちびまる子も彼女の祖母も、美人だからといってちやほやされる女性をおおいに憎んでいる。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/11-bungei/wforum.cgi?no=6658&reno=6652&oya=6652&mode=msgview

お隣の韓国では
大学受験の時に、美人とそうでない女性のうち、どちらかを合格させるときは
美人のほうを合格にするという。
「だって就職するとき有利でしょ」 就職率100%をほこるためには美人を入学させたほうがいい。
こんなことを日本で言えば、きっとあらゆる方面から攻撃されることでしょう。 本音の韓国でよかった。

タケシは
STAP細胞の小保方さんはあのくらいのパッシングですんだけど
彼女が美人でなければもっといじめられたろうと言ったそうですが
どう思いますか。

人間は外見ではない中身が大切なんだ。
そうは言いますが、外見もなかなか無視できないのです。

お菓子の箱や包装紙も買ってくれるためには大切な面があります。

「女は見た目が10割」  いや男だってそうだということになるかもしれません。


[No.6676] チャート 投稿者:男爵  投稿日:2014/08/19(Tue) 17:36
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エッセイというか科学解説の文を読んでの感想です。

 チャートというのは、化学的にはほとんどシリカ(SiO2)からなり、鉱物学的に
は微細な石英の集合となっている堆積岩のことである。

石英だから、ガラスみたいに硬く均質緻密な性質を持っているので、黒曜石などとともに石器に使われたり、火打ち石に利用されたりした。

 チャートはどうしてできたか。上野の科学博物館の解説文を読んで私が理解したところを紹介します。科学博物館の友の会会員なので定期的に資料が送られてくるのです。

 走査電子顕微鏡でくわしく観察してみると、チャートが放散虫といった珪質プランク
トンが降り積もってできた岩石であることがわかった。

 チャートが形成された場は、陸から離れた珪質プランクトンの生産量が高い海域で、
その遺骸が静かに降り積もる深海底であったということができる。

 海底にできたチャートは造山運動により、後からできた地層と混ざり合って陸上に出て来たのが我々の見るチャートである。

ドラえもんの漫画の中で、たしかのび太が海底を歩いて行く場面があった。
深海で、プランクトンの死骸が雪のように静かにふり落ちる場面で、
あの漫画の作者も科学を勉強している人なのであろう。

チャートが深海のプランクトンの死骸であって、地震を引き起こすプレート
テクトニクス理論の強い力でチャート層がめちゃめちゃにされ、
やがて新しい泥の層といっしょになって
別の地層を形成し、それがいつのまにか地上に出て来て山の上になるのであろうか。

チャートも黒曜石もどうしてできたか知らなくても、昔の人はナイフの代わりに使ったり火打ち石として使って、便利だありがたいと思ったのだろう。

この写真は宮沢賢治展にあったもので、岩石に詳しい宮沢賢治は詩や童話に岩石鉱物のことを織り込んでいる。
宮沢賢治も知らなかったチャートのでき方。


[No.6675] 終了しました 投稿者:あや  投稿日:2014/08/18(Mon) 09:13
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> 新しい部屋のことは、ただいま準備中のため、終了次第お知らせいたします。

変更作業を終了致しました。

上欄の新しい投稿要領をご確認の上、どうか奮ってご投稿願います。

又、お読みになってお楽しみいただければと思います。


[No.6673] (重要)「文集の部屋」の変更について 投稿者:あや  投稿日:2014/08/18(Mon) 08:47
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みなさん、常日頃投稿をありがとうございます。
この度下記のように変更しますので、お知らせいたします。


「文集の部屋」の 合併・名称変更・幹事世話役の交代について、

このたび、公開・非公開の会議室の一層の活性化のための見直しをしました。
この「文集の部屋」については以下のように変更致します。

 ・旧「旅の部屋」(旅行記を除く)を吸収合併して名称を 「文集」と
  改称します。

 ・「文集」は、会話型のやりとりではなく「読み物」の投稿という形態に
  したいと思います。投稿が一応終わった後に、簡単な感想を寄せていた
  だくという風に致したいと思います。

 ・雑感、エッセイ、詩歌などの投稿をお願い致します。

 ・「文集」は、Sage機能(新レスがあってもそのツリー全体が一番上に移動
  しない機能)を適用します。

 ・なお、幹事の世話役として、あや、GRUEのの2名が担当します。
  どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

新しい部屋のことは、ただいま準備中のため、終了次第お知らせいたします。

また、一般会員さんの世話役を募集中ですので、ぜひ応募してください。
ご一緒に「文集」の部屋を有意義で楽しい部屋にしましょう。


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