紫雲さん、こんにちは。今日も朝から暑くなっています。やっとお盆が過ぎて、これからは過ごしやすくなるかと期待していますのに・・・ところで、私も今月25日の高齢者講習に行かねばなりません。最近は運転技術が劣っていますので、心して運転しています。紫雲さんは、運動能力が優れているようで素晴しい。75歳で免許証を返納するご決心は評価します。私の家内は今年の免許更新をパスして、免許証を返納しました。私は、80歳で返納する考えでいます。***彦市***
男爵さん、紫雲さん、みなさん、> > 尾上松也(おのうえまつや)の自主公演が日本橋劇場で行われている。> > 13日〜15日までの三日間だけど、さすがに最近、人気の出ている松也、> > 若い女性が多かった。> このテーマは私には不得意で、ザックスさんは得意みたいですが...。 熱心な歌舞伎ファンで、またとてもお詳しい、ザックスさんにはぜひ、公開の部屋にも登場していただきたいものですね。あっしも、男爵さんと一緒で、この世界に暗いもので…。(-.-) そうすれば、ここの部屋もたちまち、賑やかになるのに。前には、よくお出かけでしたが…。
紫雲さん> 尾上松也(おのうえまつや)の自主公演が日本橋劇場で行われている。> 13日〜15日までの三日間だけど、さすがに最近、人気の出ている松也、> 若い女性が多かった。このテーマは私には不得意で、ザックスさんは得意みたいですが...。しかし、このようなテーマはこの部屋にふさわしいものと思います。ひとつの日本の伝統文化ですね。
> >母の故郷の新潟で、電線に今でいうアルミ箔を細くしたような物がたくさん絡まって> >いて、それを取りのぞくおとなたちと、怖いものの遠巻きにしていた子どもたち。> >聞いて忘れてしまったのかどうか、あれは何だったのでしょうか。たしか飛行機から> >落された物でした。> > これについては、私にも懐かしい記憶があります。> > 終戦前、われわれ子供たちが、「銀紙」と呼んでいたテープがありました。「銀紙」には、> 金属だけのものと、裏紙の付いたものとがあり、金属だけのものは、くしゃくしゃにして、> 手で丸めて、ボール状にすることができました。これは知りませんでした。弟が何か紙を丸めて、窓の枠によじのぼり外へ投げていたことがありますが、銀色はしていませんでした。外で拾うの大変でした。> > 終戦間際の空襲で、近くの川原へ逃げる途中、親からはぐれた私は、見知らぬお宅に> 一晩お世話になりました。そこのお兄ちゃんが、いま拾ってきた、と言って見せてくれた> のが、それまで見たことのないテープで、「銀紙」よりもちょっと幅が狭くて、光沢が鈍く、> 「銀紙」よりも厚手のものでした。いやぁー、そんな体験がおありなんですね。同じ時期ですね。家に残った父、母と祖母で逃げた東京の山の中でした。はぐれないようにするには大変でした。細い道にどのくらいの人たちがいたか。> > お兄ちゃんは、これは米軍の電波探知機妨害用テープで、日本軍の「銀紙」とは違う> と解説してくれました。> > 少し成長してから分かったことは、当初、日本軍の「銀紙」は、錫箔だったこと、そして、> 後に、錫節約のために裏紙が付けられたことでした。一方、米軍のものはアルミ製で、> 裏紙なしだったということです。いま台所で使っているアルミ箔は、くしゃくしゃにして、> 手で丸めることができますが、このテープは、厚手だったため、うまく丸めることはでき> ませんでした。> > 考えてみると、このテープだけみても、彼我の金属資源の差は歴然でした。新潟は何かあって、米軍に狙われていたと、そのころ聞いたことがあります。いい勉強をさせていただきました。ありがとうございます。
本を読むというのは、本当に久しぶりのような気がする。6月は半分くらいは旅行をしていたし、帰ってからも、暑さや疲労のため、すぐ本を手にするような気が起こらなかった。 やっと人心地が付いたのか、気が付いてみたら緩慢な動作ではあるが、眠そうな目つきでいつの間にか本のページを繰っていた。 それがこの玄侑宗久さんの「中陰の花」だったわけである。それも、特にこの作者が好きとかではなく、この方は、2,3か月前、ひょんなことからその名を知った、芥川賞作家である。 その名からも窺われるように、玄侑さんは現役の僧である。主人公も作者の投影と思われる則道と云う名の、臨済宗の僧である。しかし仏教に関係する人間の書き物としては、チョット意外な感をあたえる。たとえば、おがみやのウメさんが出てきたりするからだ。 天照皇大神系のウメさんと、仏教でも禅宗の則道は、一見水と油のような気もするが、突然ドスンと来るようなウメさんの考えと、座禅を特徴とする禅宗の間には、何か共通点があるような気もする。また、パソコンで「おがみや」とか「憑依」「超能力」「霊能者」などと、つぎつぎ、検索窓に放り込んでは調べまくる。このところは、いかにも現代の坊さんの姿を彷彿させて、微笑ましくなってくる。 もちろん、関連の本も読まないわけではなく、臨死体験の関係でも、いろいろ読んでいるのがわかる。 則道には、妻の圭子があり、二人の間には子がない。じつは、圭子は4年前妊娠したのだが、4か月目に流産してしまった。夫婦仲は別に悪くはないが、やはり、満たされないものがあり、圭子はおがみやのウメさんに、縋ったりしたこともある。生涯独身だったウメさんは、自らの生き方を貫き、89歳で冥界へ旅立った。ところが、この人は自分の死ぬ日を予言し、一度目はたしかに失敗したが、二度目には見事に成功させている。 また、文中、圭子の祈りが具象化した巨大な『こより』の網の場面が出てくるが、この部分の描写がまた、素晴らしい。河合隼雄氏が「解説」で指摘され、また作者が「あとがき」で、言い当てられた、と述懐しているインダラ網というものが、最初から玄侑さんの脳裏にはあったものと思う。 それに関連して思ったのは、宮沢賢治に「インドラの網」という作品のあることである。未見の方には併読をお勧めする。妻の圭子は、子を授かりたいばかりに、流産した時から、夫の則道には内緒で、せっせと、マルチカラーのこよりの網を作り続け、完成時には巨大な網となって則道を驚かせる。圭子は夫に頼んで、これを本堂の天井から吊り下げ、世話になったウメさんと、水子の、供養をしてもらう。 この場面は何度読んでも良い。則道の読経の効験なのか、陰でウメさんの力も働いているのか、こよりの網はとつぜん浮き上がったり、停止したり、まるで中陰に咲く巨大な花のようだ。 さいきん、『きずな』ということばをよく耳目にするが、こちらは華厳経の中心をなす、個人と世界との深いつながりを説いた、重々無尽思想を現代風にアレンジしたものではないか。(大塚常樹氏の『注釈』による。) 先ほど、「中陰の花」と賢治の作との関連を云ったが、ウメさん同様、賢治も自分の死期を友人に予言。これは一発で的中させている。あっしは、玄侑さんも、たぶん、賢治を相当程度愛読していたのではと、推察する。 ほかに登場する、石屋の徳さんの存在も気になる。また、作者は本物の僧だけあって、開甘露門とか、般若心経、消災呪だの、施餓鬼、観音経など経の名が頻出する。また、水中タンパカなどと云う聞きなれない行の名も飛び出す。 文中、大阪出身の圭子の大阪弁と、則道のへたくそな大阪弁も、この小説に予期せざる、奇妙でユーモラスな効果を与えている。玄侑さんというのは、もしかしたら、あっしらが付き合ってもみても『面白い方』なのかもしれぬ。とにかく讀ませるという点でも、作者の細かい配慮が、随所に感じられる好著である。 おわり
画像サイズ: 0×0 (0kB)尾上松也(おのうえまつや)の自主公演が日本橋劇場で行われている。13日〜15日までの三日間だけど、さすがに最近、人気の出ている松也、若い女性が多かった。先月、コクーン劇場で勘九郎・七之助・松也で三人吉三が公演されていた。テレビで三人が出演した時、松也の話が面白く若さでイキイキしていた事を覚えている。自主公演は今回で6年目になる。最近、歌舞伎会の若手は自主公演が多いが松也が6年前から 頑張っていたとは知らなかった。 【口上】松也の声は会場一杯にとおり、凛として品が良い。【双蝶々曲輪日記】(ふたつちょうちょうくるわにっき)母と子の人情物。異父兄弟が追われる身になり今生の別れを告げに母を尋ねる。 もう一人は役人。母は間に入り苦しむ。役人の子はその母の思いに心痛み、逃がす。 【お祭り】今や舞踊会では私は一番だと思う藤間勘十郎の振り付け。鳶頭と若衆・芸者が華やかに舞、幕は降りる。今回の自主公演、歌舞伎座公演とは物足りなさを感じたが、座長・松也に拍手を送る。尾上松也はあまり知られていないが、尾上松助の御曹司だが父・松助は尾上家の血筋ではなく、松緑の弟子だった。しかし、松也がこれまでに成長して、父松助はあの世で喜んでいる事だろう〜話は変わるが以前は梨園の遊び人トップは海老蔵だったが、今は松也と噂されている。「女遊びは芸肥やし」と言われるが、話題は豊富で背も高くフェイスも素敵。モテるの確かだと思った。これから先も芸を磨き、この古典芸能を世界中の人々に魅入して欲しい。
>母の故郷の新潟で、電線に今でいうアルミ箔を細くしたような物がたくさん絡まって>いて、それを取りのぞくおとなたちと、怖いものの遠巻きにしていた子どもたち。>聞いて忘れてしまったのかどうか、あれは何だったのでしょうか。たしか飛行機から>落された物でした。これについては、私にも懐かしい記憶があります。終戦前、われわれ子供たちが、「銀紙」と呼んでいたテープがありました。「銀紙」には、金属だけのものと、裏紙の付いたものとがあり、金属だけのものは、くしゃくしゃにして、手で丸めて、ボール状にすることができました。終戦間際の空襲で、近くの川原へ逃げる途中、親からはぐれた私は、見知らぬお宅に一晩お世話になりました。そこのお兄ちゃんが、いま拾ってきた、と言って見せてくれたのが、それまで見たことのないテープで、「銀紙」よりもちょっと幅が狭くて、光沢が鈍く、「銀紙」よりも厚手のものでした。お兄ちゃんは、これは米軍の電波探知機妨害用テープで、日本軍の「銀紙」とは違うと解説してくれました。少し成長してから分かったことは、当初、日本軍の「銀紙」は、錫箔だったこと、そして、後に、錫節約のために裏紙が付けられたことでした。一方、米軍のものはアルミ製で、裏紙なしだったということです。いま台所で使っているアルミ箔は、くしゃくしゃにして、手で丸めることができますが、このテープは、厚手だったため、うまく丸めることはできませんでした。考えてみると、このテープだけみても、彼我の金属資源の差は歴然でした。
今日は68回目の終戦記念日でしょうか。そんなこことで、古い記録が思い出され出かける前にと、あわてて打ち込んでいます。20時まで、障害者の解除、明日は夏祭りのビヤガーデンの売り子、こんな平和を感謝しています。書きなぐりで、読み返す技官もなく、間違えがあったらごめんなさい。母の故郷の新潟で、電線に今でいうアルミ箔を細くしたような物がたくさん絡まっていて、それを取りのぞくおとなたちと、怖いものの遠巻きにしていた子どもたち。聞いて忘れてしまったのかどうか、あれは何だったのでしょうか。たしか飛行機から落された物でした。その後ラジオの前に集まったと思うものの定かではありませんが、戦争が終わったのだと言われても、私には何だかわからなかったというのが実感でした。もうあれから46回目の8月15日。私にとっての戦争とは、父が母が、祖母が亡くなったということです。直接的には関係ありませんが、あの戦争がなかったらと思わずにはいられません。父母も、私たち姉弟も犠牲者、それに3人の孫を育てた祖母もです。空襲の日、池上の山へ逃げて、遠くが燃える光景を、寒さにではなく震えながら見たことや、明け方たどり着いた家がごうごうと赤い火柱となっていて、くずれる瞬間だったことは、今でははっきりと覚えています。終戦の翌年亡くなったは母は、おいしい物が好きなぜいたくな人で、白いごはんとお刺身がないと生きて行けなかったと祖母にきいたことがあります。そんな母は疎開先の田舎で、いつも茹で栗を懐に入れて歩いていました。それは、村いちばんのおいしい柿のなる家の子どもに柿と交換してもらったり、あの家のさつま芋はおいしいと聞くと、子どもに頼んでは持ってきてもらって交換するためでした。東京に帰ってからはますます食べ物に不自由したようですが、えびがに(と呼んでいた)を、近所の腕白坊主たちに取ってきてもらっては茹でて、集まった子どもたちと楽しそうに食べていた母の姿が忍ばれます。それらが母の精一杯のぜいたくなのでした。今の日本では考えられませんが、戦争のために苦しんでいる国の人々もいます。46年前の地球にではなく、この豊かな時代のなかにです。戦争とはほんとうに悲しいものだと思いますしては。いけないものだと思います。 夢にあふ焼くる家並や終戦日 飽食といふ字を引かせ終戦日8月15日まで、あと3日、朝から曇っています。西日の当たらないうちにと思い、ワープロで原稿を書いています。外は蝉時雨、ほんとうに平和のひととき。終わったらシャワーを浴びて横浜へ買い物に出るつもりにしています。こんなぜいたくいいのでしょうか。亡き人たちにこの平和を見せてあげたかったと手を合わせました。
> > さくらももこ:聖まる子伝> > > > 「ちびまる子ちゃん」の中に出てくる良いセリフをまとめて> > 本にしたら売れるという出版社のもくろみでできた本。> > 新約聖書の「マタイによる福音書」を> 私が子供のころは> 『マタイ伝』といっていたことがあった。 「まさか...思いっきりぜいたくしたあと 一家心中するつもりじゃないでしょうね...」このセリフは急に両親からフランス料理を食べに行くと言われそれをまる子が姉に伝えると姉が「うそっ」と叫んでからつぶやいたセリフである。 まる子より3年長生きしている姉は読みが深い。この本には書かれていないが一家は緊張してレストランに入りまる子は言葉づかいまでハイになってしまう。緊張した食事は無事すんで勘定の場面で、サービス料が加えられ、父の持ってきたお金では足りなくなり家に電話して、ともぞう爺さんにお金を持ってきてもらうというオチがついている。オチを考えながら漫画を描いている作者の苦労がしのばれる。
> さくらももこ:聖まる子伝> > 「ちびまる子ちゃん」の中に出てくる良いセリフをまとめて> 本にしたら売れるという出版社のもくろみでできた本。新約聖書の「マタイによる福音書」を私が子供のころは『マタイ伝』といっていたことがあった。「宝くじみたいに たまたま得するんじゃなくって美人は最初から得するようにできている」このセリフはまる子が家で「美人」についていろいろ家族と意見をかわしているときに出てきたセリフだ。「...でもさ 何だかんだ言ったって やっぱ美人は得してるんだね中野さんの奥さんは 今までにもいろれいろ得だったんだろうな!...美人ってだけでさ 城ケ崎さんも5千円得したんだもんこれからもっと得するんだろうな....私には縁のない話だよ」というまる子をなぐさめるように祖父のともぞうは言う。「まる子だって得するかもよ 宝くじで1千万円当たるとか1億円はいっているサイフ拾うとか」それに対してまる子は怒る。「おじいちゃん まる子をバカにしないでくれる?さっきから言ってる得はそんなのとは全然ちがう得のことだよ」そしてそのあとに冒頭にあげたセリフが続くのであった。この本には 美人は、そうでない人よりも子供の頃から何となく得をしている。 しかし、転落する可能性とストーカーの被害にあう可能性は、そうでない人よりも何倍も高い。と書いてあり、美人かならずしも幸福ではないと解説している。この文章は元の漫画にはなかったのではないかと思われる。それはともかくまる子と祖母は、美人に対して敵愾心を燃やしている。 美人はキライ、憎んでいるようである。