> この行方不明事件。音沙汰が無くなってからもう、かれこれ3か月は優に経っているはずだ。ガーミュダ国の国王は、首相を飛ばして、じかに運輸大臣を自室に呼びつけ、「この役立たず奴が!」と頭ごなしに怒鳴りつけた。一喝された運輸大臣は、外相などとも相談をして、世界各国に援助を求めた。要請を受けた国々は、すぐさま最新鋭の機器、多数の人員を出動させ、ためにガーミュダ海域は、援助する国々の艦船やら兵士やら、航空機やらで、まるで芋の子を洗うような状態になった。> その後はどうなっているのか?あまりニュースにはなりませんね。> 翌朝、全員頭をそって、国王の御前へ伺候したが、国王はその有様を見て余計悲しさが込み上げて来たのか「よよよ、あの航空機には、婚儀を来月に控えた、わしの大事な息子パハリート王子と、隣国から来た花嫁のベシーナ姫が搭乗しているというのに…」というなり、その場に泣き伏してしまった。同じく不安と悲しみに打ち拉がれていた、王妃のビジンダーラは、その姿を見るなり、ショックで卒倒してしまった。それを見た侍女たちは、慌ててご典医を呼びにやるやら、蒼白になって、ソファーに寝かされていた王妃に、急ごしらえの薔薇水を振りかけるやら、てんてこ舞い。そんなこともあったんですかー。テレビを見る時間もない私。ついていれば耳に入るくらいなので、困ったものです。> 紋次老探偵は、この事件の裏には、どうやら異星人が絡んでいそうな気がする。だってそうでしょ、アメリカは宇宙人の死体を複数体、某所に隠匿しているというじゃあありませんか。> > あっしは、かれらが、それを取り返すために、意図的に不明機をどこかしら、あっしらの想像を遥かに超えたような場所に、キープしているとみる。「そちらが、四の五の言わずに、我が方の仲間を全員、返して寄越すのなら、こちらも、例の消息不明機を即時、しかも無傷のままで引き渡してもいい」何かそんなこと、云いそうな気がするじゃあありませんか、ね〜え、皆さん。私の考えはちょっと違うけど、知人に似たようなことを話したら、空港というものは世界で管理されているので、そのようなことは絶対ないといわれました。でもほんとうにどこに沈んでいるんですかね。
紋次郎さん、こんにちは!毎日パソコンは開いているけど、ここへは入るひまなどありゃしませんで、<(_ _)>(ごめんなさい)そんなことでレスもつけられないでいます。> > これも入れると6か所となる。と、帰り道1人で笑ってしまった。> > いやあ、相変わらず、若者も顔負けの大活躍をされていますな。<(_ _)>あっしの方はまさにその正反対で、お昼の時報の鳴るころになってやっと、大あくびを立て続けに4つばかりやりながら、のそのそと起き上がり、「あああああ、もう朝かよ?あにい、もう昼だって?嘘つけ」なんて云いながら、やっと、パジャマから普段着に着かえる日常。それはもう、えらい違いでんな。うふっ! これは紋さんの小説ではないの? ご本人とは思えませんがな。そんな生活が生まれてこのかたあったかな?> > とにかく、あやさんの、そのパワには、こころから敬服します。<(_ _)>サンキュー。> > 一日に六か所ですと?ふああ、ビックラこえた。(@_@。そういえば、青森県に六ヶ所村とかってありますが、あれって近隣の6つの部落が集まって村になったそうですね。> > そこであっしは、自分の住んでいる街を、調べてみたところ、やっぱ佐倉市も終戦から割と早く、近隣の六町村が集まって市になったそうで。こういうところへ頭が働く紋さんには尊敬・敬服・尊敬・敬服が何度続くか。> > しかも当市は、ことし市制施行60周年だそうで、六と云う数字はあっしにも、特別の数字です。六でない数字は世間でも昔から「ロクでもない」と軽蔑されますよね。この行読んで、とっさに思ったのは「6」の反対は「9」それだけ書いてあるとどっちかわからないときがあるなー。でした。特別な数字? と書いてあるけど、意味がわかんないわー。私だって、人様からみれば「ロクでもない女」と言われているかも!> > ま、そういえば、あっしもまあ、ロクな紋じゃないですがね…。(-.-)「うーん」そんな卑下をのばしちゃいけないわ。わかる?おまけ!13日障害者グループホーム介助・帰り18時頃一丁目から、四丁目を歩いて広報編集会知らせを配った。山坂で大変なところ。14日活動ホームボラ・帰りに保活の仲間に会い、MCでお茶・夫の会の議案書打込み15日赤ちゃん教室・パソコン関係(教えるなんて紋じゃないけど)・知人宅16日は今日だわ。自治会館へ行って、広報の原稿少し打込み、そこで会議があると言うので、帰ってきて家で。・午後も打込みをしなければいけないんだけど、プリンターが調子悪く、直しに行ってこようかと。明日17日から月末まで、空いているのは23日、30日だけ。こんな紋です。
あやさん、みなさん、こんばんは。> 8日、昨日のことだった。> 18時近くに活動ホームに戻れただろうか。それから家に向かったが、着いたのは19> 時を過ぎていたか。> 約11時間の間、4か所を駆け巡ったが、途中では走るようにしたこともある。> せわしなかったが、いい運動にもなったと思っている。> これも入れると6か所となる。と、帰り道1人で笑ってしまった。 いやあ、相変わらず、若者も顔負けの大活躍をされていますな。<(_ _)>あっしの方はまさにその正反対で、お昼の時報の鳴るころになってやっと、大あくびを立て続けに4つばかりやりながら、のそのそと起き上がり、「あああああ、もう朝かよ?あにい、もう昼だって?嘘つけ」なんて云いながら、やっと、パジャマから普段着に着かえる日常。それはもう、えらい違いでんな。 とにかく、あやさんの、そのパワには、こころから敬服します。<(_ _)> 一日に六か所ですと?ふああ、ビックラこえた。(@_@。そういえば、青森県に六ヶ所村とかってありますが、あれって近隣の6つの部落が集まって村になったそうですね。 そこであっしは、自分の住んでいる街を、調べてみたところ、やっぱ佐倉市も終戦から割と早く、近隣の六町村が集まって市になったそうで。 しかも当市は、ことし市制施行60周年だそうで、六と云う数字はあっしにも、特別の数字です。六でない数字は世間でも昔から「ロクでもない」と軽蔑されますよね。 ま、そういえば、あっしもまあ、ロクな紋じゃないですがね…。(-.-)
8日、昨日のことだった。朝、8時に家を出て、役所関係の会合の下打合せに向かった。10時20分頃に終わった。それから寄らなければいけないところがあったのだが、時間の関係で明日にしようとパスした。それと言うのは、女友だちと会う約束の日だったが、体の調子が悪いということでキャンセルとなっていたのだが、下打合せの最中にメールがあり、具合がよくなったので、会いたいとなったのだ。そんなことで、あせった。帰りに夫の昼食を生協で買った。かつ重というのか。あとで「どこで買ったんだ。まずかった」と言われてしまった。あわてて家に戻り、バスの時刻表を調べ、彼女にいつもより早めに会うことを連絡、バスに飛び乗るようにして、会う場所に向かった。彼女にそのバスの時刻を伝えると、そのバスが彼女の家の近くのバス停に近づくのをネットで調べながら、家を出て店で待っていてくれるのだ。10時58分のバスに乗り、11時15分には店についただろうか。ビールで乾杯、一か月ぶりに会話を楽しんだ。腰を悪くしている彼女は飲まないほうがいいと思うと言い、あまり飲まない。私はその彼女の半分以上残っていたジョッキを飲んでしまった。14時くいらいになったか、私は次があるので、別れた。バスに乗り、銀行へ向かった。ある会の決算で銀行の残高証明が必要で申し込んでいたのだ。電話をもらったので、今日の予定に入れておいたのだった。それからまたバスに乗って、活動ホームへと向かった。15時30分からの余暇活動ボーリングを頼まれていたのだ。所員さんの40代、30代、20代の男性3人と、男性、女性職員と私の6人でボーリング場へ歩いて出かけた。25分くらい歩いただろうか。20代の男性T君は目も見えないが、よく歩いた。40代の男性Yさんは会員になっているくらいよく馴れていたが、2ゲーム投げて、スペア、ストライクもあったが、1ゲーム96くらいに終わったか。私がペアになったS君は父とやることがあるのだろう。一人前のスタイルで恰好よく投げる。スペアを2回とったか、にっこりと手を広げて、私が広げた手にパタンと合わせてくれる。行きも帰りも私の手を放すことなく繋いで歩いたのはうれしかった。終って、「反省会をしよう」と職員、隣りにあるサイゼリアで、アイスや、ケーキと好きなものを注文、ドリンクを飲みながらおしゃべりをした。と言っても会話ができるわけではない。話がよく通じるのは40代のYさんだけ。それでも久しぶりのボーリングは楽しかった。私が投げることはできないが、みんなの面倒を見ながら楽しい時が持てたことを感謝した。18時近くに活動ホームに戻れただろうか。それから家に向かったが、着いたのは19時を過ぎていたか。約11時間の間、4か所を駆け巡ったが、途中では走るようにしたこともある。せわしなかったが、いい運動にもなったと思っている。銀行から活動ホームに向かう時、30分くらい時間が余ってしまったので、バスを降りたところにある区役所の中を一回り、その近くの公園に座り、桜の花びらが舞うのを受けながら、持っていた手芸をやったりした。これも入れると6か所となる。と、帰り道1人で笑ってしまった。
大西洋上の小国、ガーミュダ国の航空機が、事もあろうに、何の前触れもなく突然消息を絶った。もちろん、飛行前から予兆のようなものが全くなかった訳ではない。当日のパイロットは、有名な『バーミュダ・トライアングル』の大ファンで、パイロット仲間では、それを知らぬものはいなかったという。 この行方不明事件。音沙汰が無くなってからもう、かれこれ3か月は優に経っているはずだ。ガーミュダ国の国王は、首相を飛ばして、じかに運輸大臣を自室に呼びつけ、「この役立たず奴が!」と頭ごなしに怒鳴りつけた。一喝された運輸大臣は、外相などとも相談をして、世界各国に援助を求めた。要請を受けた国々は、すぐさま最新鋭の機器、多数の人員を出動させ、ためにガーミュダ海域は、援助する国々の艦船やら兵士やら、航空機やらで、まるで芋の子を洗うような状態になった。 これら艦船や航空機の、ニアミスも日常茶飯事だった。さながら、救助のワールドカップか、オリンピックであった。しかし、相変わらず、消息を絶った機材も、乗客も、乗員も、いったいどこへ行ったのか、いまだにマッタク見当も付かないという体たらくである。 国王の変度陸は大臣をすべて呼び集め「もう21世紀にもなると云うのに、3か月を過ぎても何の手がかりもないというのは一体、どうしたわけだ。全員、頭をそって出直せ」と絶叫。 翌朝、全員頭をそって、国王の御前へ伺候したが、国王はその有様を見て余計悲しさが込み上げて来たのか「よよよ、あの航空機には、婚儀を来月に控えた、わしの大事な息子パハリート王子と、隣国から来た花嫁のベシーナ姫が搭乗しているというのに…」というなり、その場に泣き伏してしまった。同じく不安と悲しみに打ち拉がれていた、王妃のビジンダーラは、その姿を見るなり、ショックで卒倒してしまった。それを見た侍女たちは、慌ててご典医を呼びにやるやら、蒼白になって、ソファーに寝かされていた王妃に、急ごしらえの薔薇水を振りかけるやら、てんてこ舞い。 はてさて、この結末、どうなることやら。目下、同国では、箝口令を布告。新聞、雑誌、テレビなども、詳しい事情を知っているのか知らぬのか、現在のところ、完全に沈黙している。 紋次老探偵は、この事件の裏には、どうやら異星人が絡んでいそうな気がする。だってそうでしょ、アメリカは宇宙人の死体を複数体、某所に隠匿しているというじゃあありませんか。 あっしは、かれらが、それを取り返すために、意図的に不明機をどこかしら、あっしらの想像を遥かに超えたような場所に、キープしているとみる。「そちらが、四の五の言わずに、我が方の仲間を全員、返して寄越すのなら、こちらも、例の消息不明機を即時、しかも無傷のままで引き渡してもいい」何かそんなこと、云いそうな気がするじゃあありませんか、ね〜え、皆さん。 (おわり)
活動ホーム4月4日4月から新年度となったが、3月20日ころから4月の体制で行われていたので、新年度という意識は持てなかった。グループの部屋の変更、職員の一部変更、所員さんの一部変更などが行なわれた。今まで奥のほうだったBグループが入口近い部屋となった。今日はBグループに入り、若い男性のKさんとランチョンマットたたみ、それが終ったあとはタオルたたみとなった。「Kさん、鈴木です。一緒にやります、よろしくね」と右手を出すと、自分も手を出し握ってくれた。やるテーブルを決めて、乾かしてあったランチョンマットの入っている籠をテーブルの上に置くと、彼はやったことがあるのだろう、きれいに伸ばして二つ折りにしてくれた。私は棚からそれを入れる籠を持って来てたたんでくれたものを入れた。「これでいい」という具合に、一回、一回私の顔をみながらやってくれるのだ。「Kさん、上手、きれいよ」など言いながらにこにこしてあげるのだ。話しはできないがよく理解できる人なのだ。そんなことをしているうちに自分で籠に入れるようになった。50枚くらいはあっただろうか。終ると、その籠を持って棚に行き乗せてくれた。背が低いので届くかどうか心配していたのだが、背伸びをして置いたのには感心してしまった。それからは以前にも一緒にやったことがあるタオルたたみとなった。テーブルのそばへタオルの入った大きな袋を引っ張ってこようとするので、「Kさん、狭いので少しづつ運んできましょう」と言い、少し歩いてのところから運んでもらうことにした。3枚か4枚を運んでくると、そばの椅子を引出しその上に置いて始めたのにも驚く。しかも椅子を少し斜めにして取りやすくしているのだ。タオルをテーブルの上できれいに伸ばし、自分の方から端を持って二つ折りにするのだが、反対側の端がよほど乱れていない限り、ぱたんと放り出すように合せる。うまく二つ折りに重なる時もあるが、乱れることもある。そして更にぱたんと四つ折りにするのだった。「ありがとう。上手」と声をかけながら、私は白と色ものに分けて重ねて行く。もちろん変にたたまれているのは直さなければならない。20枚をひとまとめにして紐でくくるので、ふた山ができると、「縛るから、椅子に座って休んでくださいね」と言うと、椅子に座って私を眺めていてくれる。11時の休憩時間にはお茶を飲んで、11時45分までやった。「Kさん、終わりになったわね。食事になります。ありがとう。またよろしくね」と手を出すと手を握ってくれるのだ。他のボランティアは、始める前に名のったり、名前をいつも呼んだりしているかどうかわからない。聞いたことないのだ。私は私の流儀でやっているが、これでいいのかどうか。そんなことで、昼ごはんが済んだあと、彼はノートと鉛筆をロッカーら持って来て、絵を描きはじめる。いつものことなのだ。テレビに出てくるのだろうか、ロボットや子ども、おとなの顔など、動物も魚も書いてある。ノットのページは描くところがないほどびっしり埋まっている。それを捲って見せてもらい、描いてもらうのだ。今日も「描いてくれる」と頼むと、開いていたところにあったロボットを描いてくれた。もう一枚は捲っていたが、やはりロボットなのか蟹なのかちょっとわからないが、聞いても答えはないので、自分で判断するしかない。とても上手ではある。こんなことをするのも私だけのようだ。何枚か溜まってきているのはうれしいことである。
画像サイズ: 800×533 (86kB)まやさん 今日は件の鯉は今日も居座っていました。悠々自適なのか孤独を味合っているのか、鯉に聞いてみないと判りません。鮎の友釣りと言うのが有りますが、鮎の縄張りの内にオトリのアユに掛針をつけて進入させ、体当たりしてきた鮎を引っ掛ける釣り方が有りますね。そのように鮎は流れの中に自分の縄張りを作る習性が有るのですが、鯉にもこのような習性が有るのかも知れません。安房守 > あの川沿いの道を散歩できるってうらやましいです。> > それにしても錦鯉は気になりますねぇ。どこかのお庭の池から脱出して> きたのでしょうか? 鯉の滝登りのように飛び跳ねたときに誤って川に落> ちたのかも・・・なんて勝手に想像しています。> > 話が変わりますが、所沢の海から遠い川では普通の鯉が何匹も泳いでい> るのを見かけ、西宮では阪急北口の駅のそばの川で同様に大きな鯉が何匹> も泳いでいるのを見ました。平和な飽食の時代だと思ったのですが・・・> > 錦鯉も世界中からバイヤーが来ている時代。安房守さんの錦鯉君がいつ> までも元気に泳いでいますように・・・> > まや
安房守さん、今晩は!> 湯河原千歳川の川沿いを歩く。> 毎日の日課だ。> 湯河原は海岸から箱根との境の大観山までの約10kmの間の標高差が約1000mある。 > その箱根から流れ出す千歳川は比較的急流だ。 あの川沿いの道を散歩できるってうらやましいです。 それにしても錦鯉は気になりますねぇ。どこかのお庭の池から脱出してきたのでしょうか? 鯉の滝登りのように飛び跳ねたときに誤って川に落ちたのかも・・・なんて勝手に想像しています。 話が変わりますが、所沢の海から遠い川では普通の鯉が何匹も泳いでいるのを見かけ、西宮では阪急北口の駅のそばの川で同様に大きな鯉が何匹も泳いでいるのを見ました。平和な飽食の時代だと思ったのですが・・・ 錦鯉も世界中からバイヤーが来ている時代。安房守さんの錦鯉君がいつまでも元気に泳いでいますように・・・まや
画像サイズ: 640×426 (72kB)湯河原千歳川の川沿いを歩く。毎日の日課だ。湯河原は海岸から箱根との境の大観山までの約10kmの間の標高差が約1000mある。 その箱根から流れ出す千歳川は比較的急流だ。 と言っても散歩道のこの辺りはもう海まで1kmもない。折からの春光を浴びて漣が白く光るのは中流と言ったところだろうか。その中流に半年くらい前から鯉、多分鯉だと思う、が居座っているのだ。 30cm位の大きさで、背中が白く下部が青か灰色、尾の部分と右目の下辺りがやや黄色のような感じだ。何処かで飼われていて逃げ出した緋鯉だろうか。それにしても不思議なのは、常に棲み付いて居るところが川の流れの真ん中なのだ。 井伏鱒二の「山椒魚」の様に二ヶ月の間に成長してしてしまって穴蔵から抜け出られなくなってしまった訳ではない。 その気になれば川の流れに添って上流でも下流でも自由に移動出来る筈だ。 その場所に何か特徴が有るかと言えば、その鯉が居なければその場所を特定するのも難しい何の変哲の無い流れの一部なのだ。強いて言えば幅が2、3m、長さが5m位のその一角だけがやや窪んで流れがやや淀んでいる。 しかし、そんな窪みはこの川筋の何処にでも有る。常に上流を向いており、時折、尾びれをひらりひらりと動かしている。流れに流されて来る何かを捉えて生を保っているのだろう。孤独を楽しんでいるのだろうか。座禅でもしているつもりなのだろうか。老境の入って動き回れないのかも知れない。もう半年も居座っている、もしかしたら半年前に気が付いたのかも知れない。それにしても不可思議だ。もう直ぐ恋の季節がやって来る。
唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんにちは。 > > チャージできることを知ったのはずいぶん後のことでした。> あっしのは、銀行口座落としのカードです。 > > 都バスで一日乗車というのも、「PASMO」で実行したことが何度かあります。> > 男爵さんは、パスモなどを、おもに乗車の際に利用されているようですが、あっしは物品を購入する際にも利用し、大いにご厄介になっています。> 私鉄の駅でも、チョコレートや各種ジュースなど、いろいろ買えます。> > 弁当系のでも、パスモやスイカ対応のが、あったように思います。> > ああいうプラスティックカードは、いまや、『交通系』の単能カードを超えているといえるでしょう。駅の自販機はスイカが使えるから、たぶんパスモも使えるでしょう。パスモが便利なのは駅で切符を買う時に行列に並ばなくても、改札口に直行できるからです。ジュースなどの自販機で小銭がない時に買い物ができるから、パスモは便利でしょう。ただ問題がないこもないのです。たとえば、唐辛子紋次郎さんのところから(あるいは成田空港から)パスモで東京駅まで来たとして、改札口を出ないでそのまま新幹線で北へ帰ろうとすると、新幹線の乗車券を使うからそのときは問題がないのですがそのパスモは改札口を出てないため、料金の決算をしていないのでそのパスモカードを次回に使おうとすると、エラーになってしまいます。(私はパスモカードは首都圏の中だけでしか使いません)JRと私鉄、JRと地下鉄などの乗り継ぎをしていくとどういうわけかスムーズに計算がされず、自動改札機で引っ掛かってしまうことがあります。駅員も慣れたもので、磁気処理をちゃんとしてくれますが。