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[No.7292]
Re: ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/27(Sun) 15:29
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画像サイズ: 307×486 (76kB)
> ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。
これはその坂東捕虜収容所の、ドイツ人捕虜たちのの作ったという、展覧会のポスターです。
[No.7291]
ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/26(Sat) 21:50
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[No.7290]
印籠展〜2
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/25(Fri) 13:23
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[No.7289]
印籠展の記
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/24(Thu) 09:57
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印籠と云えばたしか、前にもここでやったことがあるぞと、思いつつ観覧をした。歴博の館長は良く変わるので、現在の館長はたぶん、前回の展示をご存じないのかも知れない。
こういう、日本的で、贅沢品の装身具の展示は、たしか、正月にやったはずだ。和服を着ることの多い時期でもあるし、日本的な感じを強調するにも、正月が一番だと、あっしも思う。
かと言って、べつに時期が悪いと云っているわけではない。人それぞれの考えもあろう。
こういう展示は、毎年やる和宮様のひな人形の展示と同じ、第3展示室と云うところでやる。ここはスペースとしては、決して大きいとは云えないが、品物がだいたい細々したものなので、ここで十分なのだろう。
印籠と云えばひとはすぐ、水戸黄門の葵の紋章の入ったものを連想すると思う。しかし、テレビではうんざりするほど、毎回見せられるが、黄門さまの印籠など、下々の者など、滅多に見たり、携帯など、とても出来るようなものではなく、特別の品だ。
もちろん印籠は、最盛期には武士、町民なぞも競って腰に下げたはずなので、根付とともに、じつに多種多様のものが作られた。ところで、
この展示の会期は8月30日までで、もうあれから一か月近くもたつので、ボケ老人のあっしとしては、次第に記憶も薄れがちだが、少しくその感想をつづってみたい。(つづく)
[No.7288]
玉三郎の政岡
投稿者:たか華
投稿日:2015/09/23(Wed) 13:46
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今月、歌舞伎公演「秀山祭」9月公演の夜の部の、通し狂言「伽羅先代萩」(メイボクセンダイハギ)を観に行った。
これは伊達騒動を扱った狂言。
友人が吉右衛門のファンクラブに入会しているのでお席は8番目の真ん中。
私は玉三郎のファン・・・演技は勿論素晴らしいが舞が何と言って良いやら!素晴らしい・素敵・うっとり・・・
「政岡」を演じられる役者は、今は玉三郎しかいないかも・・・?
玉三郎は勿論だが、「鶴千代」と政岡の子「千松」 の子役の演技も素晴らしかった。
2幕「竹の間」では乳人政岡を追い出しにかかるが,沖の井の計らいもあり追い出されず済む。
政岡のやりきれなさと若君鶴千代を守ろうとする必死さが観てる者に迫ってくる。
3幕「御殿」では政岡自ら御前の用意をしますが、お腹が空いている鶴千代と千松が
必死に空腹を抑えて、遊ぶ姿。
政岡はそれを見て悲しみを抑えて御前を作る姿。
見せ場だ! 涙が溢れてきた。
空腹を抑える鶴千代のお見舞いと評して毒入りのお菓子を持ってきて勧める栄御前。
思わず手を伸ばす鶴千代を制しようとするが、咎められて引き下がる政岡。
その時に千松が飛び出し、毒見をするためにお菓子を食べた。
毒が回って苦しむ千松。 悪事発覚を恐れた八汐は懐剣を突き立てジワジワとなぶり殺しにする。
それを見ながらも涙をこらえ必死に鶴千代を抱える政岡。 私は涙ポロポロ・・・
その政岡の態度を見た栄御前は鶴千代・千松が取り替え子であると思い込んで
政岡に弾正一味の連判の巻物を預ける
帰ったあと、涙が溢れ「ようやった! 武士の子じゃ!」と褒め、強く千松の遺体を抱きしめる。
その時、八汐はまだ政岡を信じられず襲いかかるが政岡は反撃して千松の敵を討ったが、
爭っている時に持っていた巻物を落とし、巻物は鼠がくわえて去る。
その鼠が吉右衛門扮する「二木壇正」
見得の見せ場だ。 代々伝授された雲の上を歩く姿はさすがだった。
一本角の見得、鷺見得など見ごたえのある場面だ。
でも〜少しヨタヨタしていたようで苦笑してしまった。
もう、お年なのかな〜? まだまだこれからも頑張ってもらえねば・・・
吉右衛門、菊之助、染五郎、梅玉、松緑、歌六、多々と豪華メンバーだったが
6幕に亘る公演は4時間あり、 さすがに見ごたえのある公演だった。
でも〜疲れたぁ〜!!!
私も、もう年だった〜
[No.7285]
今日もまたまた歩いて
投稿者:あや
投稿日:2015/09/20(Sun) 17:29
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昨日の午前中は家にいられたので、手芸をやったり、たまった資料の整理などをした。
午後は役所からの資料が届いたので、それらを配送するためにあて名書きなどをした。
幹事会で渡そうかと思っていた議事録をついでに配付しようと印刷、あて名書きをした。
夜は一丁目の秋祭りの招待へ会長はじめ、6名の役員たちと出かけた。
呑んで、食べて、最後の花火が終わったのは20時30分になっていたか。
二丁目の役員、運営委員などに誘われて、呑みどころへ行った。楽しかったのはよかっ
たが遅くなってしまった。
今日は20日、午前中は区の保健課からのお知らせを14名の保活推進員に届けること
にした。それに加えて、広報部員7名に議事録、次回編集会議の知らせなども届けて
しうおうと用意した。
会館へ寄って、コピーをしたりホチキス止めをしたりして、出発をしたのは10時5分
だったか。坂を上がり二丁目の外れへ向かい2名に配り、サザンというマンション何棟
かあるうちの2名へ配った。ここは階段を上がったり下りたりする。
坂を下りて四丁目へ向かい、そこで5名。その横に広がる三丁目は5名。更に坂を
下り、上りと一丁目の5名へ。最後は二丁目へ戻り2名へ配った。
この一丁目から、二丁目の一軒へ行くのに、時間を計ってみたら6分はかかったか。
このようにして次へ移るのに時間がかかるのだ。会館まで行かず、わが家へ戻ったのは
11時20分だった。
出発時間は10時5分、その時の歩数計は1510歩だったか、家に戻ったのは
11時20分で歩数計は10520歩となっていた。
1時間15分くらいで、山坂を9000歩も歩いたことに我ながら驚いてもいる。
休まずに荒い息を吐いての早足だったつもりである。
午後はたまには買い物しないとと、不足品を買うためにスーパーへ出かけた。
バスを乗ることで、余り歩かないので、歩数計は11500歩くらいだったか。
昨夜の呑み疲れ、寝不足などものともせずに、山坂を歩いてこれてよかったとは
思っているが、こんなことでいいのかと、わが体を心配しているところでもある。
[No.7284]
良平さんを偲ぶ
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/18(Fri) 16:48
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今年のニュースでやはり、印象に残るのは柳原良平さん他界のニュースです。さんらく亭さんのように、特に知り合いというわけではありませんが、あっしらの年代では、みんな例外なく『知り合い』と云っていいのではないでしょうか。
この時代のサントリ―宣伝部の人脈をみると、コピー関係では良平さんと机を並べたという開高健あり、『洋酒天国』の2代目編集長の山口瞳あり、イラスト関係では、柳原良平、さくらクレパスや主婦の友で活躍した、キャリア豊富の坂根進あり、といった具合で鉄壁の布陣といっていい。
さいきん、良平さんの「アンクルトリス交遊録」を読んで大発見をした。実はあっしは7月にミニミニイベントをやったのだが、その時旅に出ようコーナーに、客船に造詣の深い良平さんの「「客船史」を散歩する」「船図鑑」「船旅の絵本」などを陳列し、すぐ隣に、特に深い考えもなく、野間恒さんの「豪華客船の文化史」を置いた。
ところが後で知ったことだが、「交遊録」の舟キチ仲間という章に、この野間さんが出て来たのである。しかもさらに読み進むと、この人がまだ学生のころからの知り合いだそうである。
あっしが、二人の著書を並べたのには、やはり浅からぬ縁があったから、自然とそうなったのかも知れない。ただ、
この「交遊録」、地元の図書館に頼んだら、当市のすべての図書館になく、かなり離れたF市から取り寄せてくれたのだが、裏表紙に『汚れあり』と書いてあるだけあって、どうもばばっちい。内容に紋題はないのだが、これだけは、どうも頂けない。(-_-;)
今回、「交遊録」で知ったことは、あのアンクルを指して良平さんがしきりに、二頭身半と云うことだった。ミスユニバース日本代表で、世界大会で見事3位に入賞した、伊藤絹子の、スタイルがいいというので、八頭身と云う言葉が当時大流行したのを思い出した。その逆を行ったわけで、漫画だけによけい可笑しい。さて、
この間、東京のN町へ行き、さる骨董屋を覗いたら、あるはあるは。良平さん絡みのもろもろが、入口の付近に、いろいろあるではないか。
何がってあーた、良平さの絵の付いたコースターから、マグカップ、戦士コップ、ビアマグもあったような。さらに上の方を見ると、おおおっ、あっしが端本で持っていて、ミニミニで展示した「洋酒マメ天国」が、36冊揃いでデ〜ン、ただし、お値段が2万円だと☆。これじゃあ、ビンボー人のあっしでは、チョット手が出ない。一応、拝むだけで素通りしました。(おわり)
☆ 木製函付きになると、4万円近くにもなるらしい。(@_@;)
[No.7283]
Re: 忘れ路の北イタリア〜4
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/15(Tue) 10:45
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画像サイズ: 305×612 (48kB)> このマークは、ヴェネツィアだけでなく、フェッラーラの書店で、買い物をした時のレシートにも、付いていた。
これがそのフェッラーラのフェルトリネッリ★書店でもらったレシートの裏面。小さいが三菱のマークが。これはおそらく、三菱製紙だと思う。
★思えばこの書店も、販売だけでなく、出版も手掛けているが、相当の老舗である。
[No.7282]
忘れ路の北イタリア〜4
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/15(Tue) 10:38
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[No.7281]
Re: 忘れ路の北イタリア〜3
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/09/14(Mon) 11:02
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