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[No.7249]
Re:贈呈式の記事
投稿者:薫子
投稿日:2015/08/30(Sun) 12:32
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[No.7248]
写真3 にんじん畑で
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/29(Sat) 21:04
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画像サイズ: 640×480 (91kB)
ニンジン畑で従弟と現場主任と。
ニンジンは従弟が栽培法を考えたもの。現在ブラジル1の出荷量である。
[No.7247]
写真2 現在の大豆畑
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/29(Sat) 21:02
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画像サイズ: 640×480 (82kB)現在の大豆畑。橋のように見えるのは自走式散水機。
[No.7246]
写真1 叔父達の開墾風景
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/29(Sat) 21:00
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画像サイズ: 640×444 (90kB)叔父達の開墾風景 1975年頃?
[No.7245]
大豆は何処からやって来た?(3)
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/29(Sat) 20:48
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大豆は何処からやって来た?(3) KANCHAN
ブラジルには1908年以来の日系移民たちがいて、主として南部のサンパウロ州
や、パラナ州に住んで、着々と地歩を固めていた。そして、それまでブラジル
には見られなかった農業協同組合方式で、生産性の向上ならびに、流通面の強化
を図っていた。
そのうちの最大の組織がコチア農業協同組合であった。この組合は、次なる
発展の地として、嘗て鉱業で栄えたミナスゼライス州に目を向け始めていた。
ミナスゼライス州はブラジリアにも近く、州都ベルオリゾンテでは、日本と
ブラジルとの共同事業であるミナス製鉄所も操業していた。
1971年、ミナスゼライス州に若きの農務長官パウリネリが登場した。彼は
セラードを耕作地に転換することを夢見て検討を重ねる中で、日系人農業組合
のコチアに目を付けたのである。
1973年同州の南部の高台地サンゴダルドで両者の協力によるパダップという
計画植民事業が始まった。
約24,000ヘクタールの地を州側が用意し、1区画250ヘクタールとして分譲
した。最終的な入植者は日系人を中心に89農家であったという。その中に3人
の息子を伴った私の叔父一家がいたのであった。叔父59歳、長男29歳であった。
南部でコーヒー等を栽培していた農家の平均的な耕地面積はせいぜい10〜
数10ヘクタールであっから、ミナスゼライス州の1区画250ヘクタールという
のは大変な広さであった。叔父たちは、息子たち3人と合わせて、
250×4=1,000ヘクタールで始めた。ここではトラクター他の機械による
開発が可能であった。
低い灌木地帯をこの機械力で伐採し、土地には大量の石灰とリン肥料を
埋め込んだという。水については、近くを流れる川からくみ上げて、大規模
な灌漑設備を整えた。そしてそこに、主として大豆とトウモロコシを植えた。
大豆について日本人は栽培ノウハウに詳しかったのである。
事業は着実に、成果を上げ始め、ブラジル中の注目を集めるにいたった。
1973年、世界を異常気象が襲った。大豆の価格は急騰し、最大の生産国で
あるアメリカでは、ニクソン大統領が大豆の禁輸を決めた。最大の輸入国で
ある日本はショックを受けたのである。
それに先だって当時の経団連会長土光敏夫氏が、ミナスゼライス州の
農務長官パウリネリの案内で軽飛行機に乗って、同州のセラードを視察し、
その開発を考え始めていたという。
1974年、田中角栄首相がブラジルを訪問し、カイゼル大統領と会談、
両国が農業開発で提携することを決定した。
1979年、両国の官民共同事業として「日伯セラード農業開発協力事業
(プロデセル)」がスタートした。
ここに至るまでに、日本側では1974年に国際協力事業団(JICAの前身)が
設立され、ブラジルの土地改良や、栽培農産物の検討等が始まっていた。
このとき、先行したミナスゼライス州サンゴダルド地区の成功が高く評価
され、参考とされた。
プロデセル計画は日本の技術支援、資金協力が柱である。そして、日系人
2世3世の優秀な労働力・企画力が不可欠であった。1979年の開始から3次に
分けて、2001までの22年間に及ぶが、最終的に21ヵ所の入植地を造成し、
東京都の面積の1.5倍34万5千ヘクタールの農地が開発された。日本の資金
協力は総資金量の約半分、351億円に上った。
この計画が起爆剤となって、ブラジルの経済・社会が大変革を遂げたのである。
(2015.8.29)
注:KANCHANから送られたエッセイの掲載です(GRUE)
[No.7244]
大豆は何処からやって来た?(2)
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/25(Tue) 00:07
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[No.7242]
大豆は何処からやって来た?
投稿者:KANCHAN
投稿日:2015/08/22(Sat) 17:25
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大豆は何処からやって来た? KANCHAN
私は先日のブラジル行きで、SEKITA農場で自家製の豆腐をごち
そうになった。しかし、その時そのことの意味を理解できなかっ
た。ただ、こんな異国の地で、日本食の最たる豆腐を出されたこ
とを、ただ、「日系人の郷愁か」とめずらしく思ったものだ。
翌々日、一番若い従弟に、見渡す限りに広がる、大豆とトウモ
ロコシの畑に連れて行かれた。従弟の運転で巨大なハーベスター
の乗せてもらって、大豆とトウモロコシの刈り取りをやって、
機械化農業を経験できたことに感激したのであるが、そこで気が
ついた。そう、くだんの豆腐の原料大豆はここで採れたものであ
った。
しかし、私はもっと大事なことに気が付いていなかった。
SEKITA農場のトウモロコシは、大豆との輪作であるという。
大豆は連作すると収穫量が落ちる。それを避けるために翌年は
トウモロコシを植える。トウモロコシの伐採は大胆?なもので
あった。茎から、実からそのまま刈り取って粉々に砕く。そして
それはそのまま乳牛の餌に使うのであった。
SEKITA農場では800頭の乳牛を飼っていた。さらには、その牛
たちから生まれた子牛が200頭も飼われていた。壮大な眺めであ
った。しかし、私はそれに気を取られて、もっと・もっと大事な
ことに気が付いていなかった。
問題は大豆である。
日本人は、味噌に醤油、納豆に豆腐と、大豆がなければ生きて
行けない。その大豆が、実に90%以上を外国からの輸入に頼って
いると帰国してから知った。
平成17年の統計によれば、日本国内の大豆消費量は年間約434万
トン。このうち国産大豆は約23万トンにすぎないという。そして、
434万トンの内、約308万トンはサラダ油など精油用の原料に使わ
れたという。
その大豆の輸入先が下図の通りであった。つまり、私はひょっと
すると日本で、ここSEKITA農場で生産された大豆を食していたの
かもしれないのであった。
この表を見ながら、思わずTPP交渉を思い出すのであるが、実は
この表の裏に、さらに劇的な事実が隠されていたのである。
1973年、ソ連をはじめとする世界中が穀物の凶作となり、なん
とアメリカニクソン大統領は大豆の禁輸措置に出たのである。
(以下次週)
表 2005(平成17)年度の主要な輸入相手先 単位:千トン
輸入先国 輸入量 割合
アメリカ 3,126 74.8%
ブラジル 562 13.4%
カナダ 305 7.3%
中国 184 4.4%
オーストラリア 3 0.1%
総合計 4.180 100.0%
資料:日本貿易統計 品別国別(財務省)による
(2015.8.8)
注:KANCHANから送られたエッセイの掲載です(GRUE)
[No.7241]
Re: ボランティア・8年間の歩み
投稿者:旭岳
投稿日:2015/08/22(Sat) 10:56
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PMOさん 皆さん、こんにちは
本当に長年の努力に敬服の他ありません。
思い付くのと実行するとの距離はとても遠いのは
日々の生活で実感しています。
継続は力なり、正に実感です。
[No.7240]
Re: カギがない
投稿者:あや
投稿日:2015/08/19(Wed) 21:33
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> あやさん、こんばんは。暑いのに大活躍で、ほんとうにご苦労様です。
紋次郎さん、ありがとう!
今日も広報発送の宛名ラベルを買いに行き、80名くらいの発送者を打ち込みました。
> 出かけるとき鍵がみつからないことなど、珍しくもないので気にしない、気にしない。あっしなぞ、見つからないことの方が多い。見つかった時は頭をなでなでしてやることにしている。ただ、ある程度時間がたっても見つからないときは、外出を諦めるだけだ。
暢気な紋ちゃんがうらやましい。怖くないんだもの!さすが男だわ( ^^) _U~~
> こういうのって意外と多いですね。あっしのばやい、毎度のことなので、そういう時は「おいおい、いるんだったら、呼んだときくらい返事しろよ。気の利かねえやっちゃなあ」と紋句のひとつもいえば、それで気が済む。
>
そんなことで、終わるなんていい紋だわ!
>
> 反省会の直後だったんすか。そいじゃあ、またそのハンセイ会が必要かもしれませんねえ。
>
このハンセイ会は一人でじっくりやらんといけないわねぇ。
>
> 前にも、あやさんが全力疾走した記事を何回か読んだ記憶があります。「生まれてこの方」は、ちょっと大げさなのでは?
覚えてくれていたなんてうれしい紋だわ、感謝!
それは度々あるけど、今回の「ハァ、ハァ」は歳かな!
> なんだ。最後まで読んで損した。お惚気だったんですね。一生懸命読むんじゃなかった。(-_-;)
えー? 一人で暮らしたいと書いたんよ。どういう意味かわかるでしょ?
返事は無用です。そういう「部屋」だ紋ね。
紋ちゃん人形一個、私のザックで元気よ!!!
ぶら下がっている印鑑より大事にしてます。
[No.7239]
Re: カギがない
投稿者:唐辛子紋次郎
投稿日:2015/08/19(Wed) 20:22
[関連記事] URL:http://http:/ |
あやさん、こんばんは。暑いのに大活躍で、ほんとうにご苦労様です。
> 17日の朝のこと、ボランティアに出かけるため仕度をして、さぁ出かけようか。
> となったときカギがないことに気付いた。気持ちが高ぶっていたことでか10分
> ほど探したがない。昨日使用したバッグを取り出したり、隣りの部屋の机の上を
> 見たり、穿きもしないズボンを引っ張り出し、ポケットを調べたりもした。
出かけるとき鍵がみつからないことなど、珍しくもないので気にしない、気にしない。あっしなぞ、見つからないことの方が多い。見つかった時は頭をなでなでしてやることにしている。ただ、ある程度時間がたっても見つからないときは、外出を諦めるだけだ。
> バスの時間は通り過ぎた。次のバスまでは7分、今日は休ませてもらおうかと思
> いながら玄関へ行った。なんと靴箱の上の棚にカギがあった。
こういうのって意外と多いですね。あっしのばやい、毎度のことなので、そういう時は「おいおい、いるんだったら、呼んだときくらい返事しろよ。気の利かねえやっちゃなあ」と紋句のひとつもいえば、それで気が済む。
> 考えてみたら、昨日「盆踊り大会の反省会」があり、21時頃帰って来たのだ。
> そのとき、ドアチェーンをかけたのだ。いつもは寝る時にかけに行くのだが、昨
> 夜は、「もうかけてしまおう」とかけたのを忘れていたのだ。開け閉めを何回も
> 繰り返したことも思い出した。そんなことで、カギを棚に置いたままにしてしまっ
> たのだ。
反省会の直後だったんすか。そいじゃあ、またそのハンセイ会が必要かもしれませんねえ。
> 「昨日は帰って来てカギを閉めたからこそ、カギが閉まっている。どこかへ忘れ
> てくるはずはない」など一人ごとまで出たのだった。
> そこで、バス停まで走った。47分のバスに飛び乗った。駅までは7,8分の所
> だが道路が少し混んでいた。電車は9時1分発、そのあとでも間に合うがと思い
> ながらも、バスを降りて駅へ走り、40段くらいある階段を駆け上った。下りの
> エスカレーターはあるが、走るわけにはいかない。階段を駆け下りた。電車に飛
> び乗ったらドアは閉まった。
> 苦しかった。大きな息をハァーハァーと吐いている私を、中年の女性がじっと見
> ていたことは忘れられない。
> バスが駅前についたのは9時だったか? 1分という時間であのように走ったこ
> とは生れてこのかたないという感じがした。
前にも、あやさんが全力疾走した記事を何回か読んだ記憶があります。「生まれてこの方」は、ちょっと大げさなのでは?
> カギをそのように置き忘れたことが認知症と言えるかどうかわからないが、もう
> すこし落ち着かなくてはいけないと思った。
これはビミョーですね。認知症ではないにしても、ひょっとしたら、その前駆症状だったりして。(-_-;)
> 夫が留守で呑気にできるといっても、逆に怖さもあることを痛感した。
> それともうひとつあった。それはザックの中も全部出して探したことで、そのと
> き2個の通帳の印鑑が入った小袋を、ザックの外へ出したままにしたらしく、ボ
> ランティア先へ行ってザックを背から降ろしたら、外にぶらさがっていたのだ。
> このようなものを盗る人はいないだろうが、引っ張れば簡単に千切れそうなので、
> 私としては肝を冷やした思いがした。印鑑をこのようにザックの中にぶら下げて
> 持っているなんてよくないと思った。
> 肝を冷やした思いがしたとは、通帳の印鑑変更届けを出さなくてはならず、余計
> な時間がかかると思ったからだった。
> 食事の支度をせねばと思っているが、ご飯が炊ける時間が19時30分なので、
> こんな暢気なことをしている。一つには夫が帰ってきたことで気持ちが落ち着い
> 多のかもしれない。
> ほんとうなら一人暮らしがしたいと思ったりしているのに、なんとも勝手な私で
> ある。
なんだ。最後まで読んで損した。お惚気だったんですね。一生懸命読むんじゃなかった。(-_-;)
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