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[No.7054] みかんの花咲く丘 投稿者:多摩のけん  投稿日:2015/05/26(Tue) 11:07
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終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。
あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。

私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。

懐かしい想い出です。

                                 多摩のけん


[No.7056] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:GRUE  投稿日:2015/05/28(Thu) 22:21
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多摩のけんさん、みなさん、

> 終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。
> あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、

この歌は、胸に染みこむような暖かさがあり、印象に残る童謡ですね。
終戦直後、NHKの、静岡県との連携ラジオ番組で、作曲家の海沼實が作成を
任され、作詞を加藤省吾に依頼して、1日でやっとできたもののようです。


> わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。
>
> 私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
> 目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。
>
> 懐かしい想い出です。

そうでしたか。特にこの3番の歌詞がいいですね。

横浜の外人墓地、海の見える公園から、湾を見下ろした時、
みかんはありませんが、似たような感慨を覚えました。
遠くに船が行き来していました。


[No.7059] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/05/29(Fri) 18:53
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多摩のけん さん、こんばんは。あの歌は当時、大ヒットしましたね。(^^♪

> 終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。

> あの丘は静岡県伊東市宇佐美の亀石峠だそうですが、わたしの郷里にも、ほとんどおなじような丘がありました。

 そうです。静岡にあります。あっしは、ここを息子の車で通りかかった時、偶然この歌詞の書かれた歌碑を見つけ、さっそく車を止めてもらって写真に撮りました。

> 私が上海から引き揚げてきて少年時代住んだところは熊本県宇土半島の南側で、
> 目の前は有明海(不知火海)、後ろの丘は一面みかん畑(熊本みかん)で、まさに「みかんの花咲く丘」そっくりでした。

> 懐かしい想い出です。

 あっしにとっても、懐かしい歌です。このときの写真は、帰宅後「全国の歌碑・句碑めぐり」に投稿しました。いまは、 「オンライン俳壇」に入っています。作詞は加藤 省吾という人でした。作曲者の海沼 實の楽譜も石碑になっていました。                               


[No.7060] Re: みかんの花咲く丘 投稿者:Pan  投稿日:2015/05/30(Sat) 00:41
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多摩のけんさん、みなさん こんばんは。

>終戦直後、川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」がさわやかにラジオに流れました。

 この歌には特に胸に沁みる思いがあります。

 終戦前の半年間、軍需工場の疎開工事建設の土木工事に動員され、
終戦後すぐに微熱が続いて結核と診断され、中学を休学しました。

 事実上の退学と思っていたのですが、学校もごたごたしていたので、
一年半後に一年遅れの復学を許され、まるまる二年間触れたことも無
い教科書を手にしました。

 試験的な共学も始まった年です。

 新学期が始まってしばらく経った頃に音楽会があり、一学年下の男
の子がボーイソプラノでこの歌を独唱しました。

 その男の子の名前は忘れましたが、顔や声は覚えています。

 中学に入学してからは軍歌以外を唱ったり聞いたりする機会も無い
時期を過ごしていたので、この歌は戦争が終った事と、私は生き残っ
ているという実感そのものでした。

 ミカンの花がどんな物かと知ったのもずっと後です。
 今は庭に植えた夏蜜柑の花を毎年見ています。

 終戦直後に出来た歌と知ったのは更に後になってからです。


   ***** Pan *****