画像サイズ: 520×358 (79kB) | えー、お次のお支度がちょっと遅れるようですので、ご覧のようにしょぼい前座が現れまして、しばらくの間、ご機嫌をうかがうことにいたしました。ですからどなたかのお姿が見えたり、咳ばらいなぞが、ちょっとでも聞こえればすぐに失礼をいたしますです。
演題に『忘れ路』とやりましたが、うっかり忘れ字とやるところでした。字を忘れることくらいならまだいいのですが、立ち上がった途端に、これから何をしようと思ってたったのか、まるで覚えていません。やっぱり、そのお、年は取りたくない紋ですな。(と、しみじみ云った後、ここで湯呑からお茶を少しばかり飲む)
マーチャンの『旅行記』がまだ進行中に思い出せればいいのでしょうが、終わらないと思い出さない。困った紋ですな。というわけで、思い出したことをぽつりぽつりと…。
まず、イタリアはヴェローナ。最近発見したのだが、この悲恋のヒロイン、ジュリエットについては、『ジュリエットへの手紙コンクール』と云うのがあり、イギリスのサラ・ジョージ21歳というのが、栄冠を勝ち得たよし。さすが、原作者シェイクスピアの母国だけあって、筆の立つものが多いのであろう。2位はアメリカのべスというひと。
賞をもらったのは3人で、ご褒美は古風なインク壺に鵞ペンつき。もちろん、ヴェローナへのエアチケットも。
このコンクールへの参加は、アメリカの映画「ジュリエットへの手紙」が公開されてから大ブレイクしたらしい。
このヴェローナは町おこしで、1938年にすでに『ジュリエットの家ミュージアム』をつくり、当時はバルコニーだけだったらしい。これだけでも、多くの観光客を呼び寄せることが出来たが、さらに同地のライオンズクラブの援護のもと、地元の彫刻家ネレオ・コスタンティーニが1969年に鑿は振るわなかったが、ブロンズでジュリエッタのあで姿を作り上げた。中庭に置いたのは1972年であった。
その後恋の守護神、ジュリエットにあやかろうとみながみな彼女の右胸ばかり触りまくるのでついに右だけが異常に消耗し、2014年に2代目が作られ中庭の同じ場所に設置された。
あっしらは家に入らなかったが初代は、室内に保存されている模様。
この像を見るのに、わざわざヴェローナまで行く要はない。例えばドイツのミュンヒェンには2体ある。ひとつはマリエンプラッツの旧市庁舎の塔の足もとに、もう一つはシェイクスピア広場の公園内にある。
他の国ではアメリカはシカゴのネイヴィー・ピア、タイのジュリエット・ラブガーデンに、ここはご丁寧にも、バルコニーつきである。また中国では、寧波(ニンポー)にあるらしい。
ここで特筆すべきことがある。あっしらは、初代の像が当年とって13才の時に訪問し、また2代目が1才で、赤ちゃんの時に再びこの像にまみえたのである。
長くなって恐縮だが、じつは 7月にミニミニイベントを催したのだが、その際、シェイクスピアがパクったイタリアの悲話、この訳本も展示した。ここでタイトルに注目して頂きたい。「ロミオとジュリエット」ではないのだ。いつから、ジュリエットでなく、ロミオが先になったのか。
大体、ジュリエットへの手紙はあっても、ロミオへの手紙はない。ロミオだって同じように死んだので、悲劇の主人公のはずだが…。これでは下手をすると、二重の悲劇になってしまう。(つづく)
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