画像サイズ: 480×640 (84kB) | 奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じました。 武蔵国では、都(みやこ)と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。 武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性はつとに認められております。
この一帯は湧水に恵まれ、いたるところから美しい水が湧き出しています。 清流に沿って西へ進むと、「真姿の池」があります。
不治の病に苦しんでいた玉造小町という女性が、国分寺に参詣したところ、1人の童子が現われて、近くにあるこの池の水で身を清めるようにと告げられ、その通りにしたところ、病が治り、美しい姿に戻ったという伝説があります。
玉造小町が通った国分寺と真姿の池を結ぶ路を「お鷹の道」と呼んでいますが、何故「お鷹の道」と呼ぶようになったかは定かでありません。
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