徳川夢声と云えば、吉川英治の「宮本武蔵」の朗読で名高い。この人がまさか、隣の街に住んでいようとは、あっしも思わなかった。吉川英治の「武蔵」が全国を制覇したのには、夢声の功績が顕著であるというひともある。。
大場通り。きのうは、小学校のクラスメートのK君に電話してみたら、さいわい家にいた。そこで、しばらく懐旧談に花を咲かせたが、井伏さんが大場(ダイバ)通りのことを「敗戦後、早稲田通りと変わり、次は日大通りとなって」と書いているのを確認すると、そんなことはない。今でも、自分たちは相変わらず、大場通りと呼んでいるというので、井伏さんのいた荻窪あたりでは、そう変わったのかも知れないが、それは一部の話で、現に住んでいるK君の住む阿佐ヶ谷では、いまだに、昔の名で呼んでいることが分かった。また、
井伏さんは、骨董趣味のことをよく書くが、骨董に関しては、いまは西荻窪の方が阿佐ヶ谷や荻窪より盛んな気がする。西荻など、歩いてみると、事実骨董屋が多いし、骨董祭りなども定期的に催している。
しかし、当時は青柳さんだけでなく、蔵原伸二郎だの、光成信男、著者の井伏さんなんかも釣られて、骨董品を見て歩いたらしい。ただ、骨董屋の場所、名前なぞが書いてないのは残念だ。はなし変わるが、
子供の頃の便所は汲み取り式で、オワイ屋さんという人たちが、各戸を回って便所の汲み取りをしていた。肥え桶一杯を一荷と呼び、きょうは多かったので、2荷分頂きますとか云われて、代金を払っていたような気がする。その時、桶に宇田川とか筆字で書いてあった。
井伏さんの「風土記」では、人糞の入った木製の肥え桶の話は出て来るが、それらを載せた大八車を押す「立ちん坊」の賃料のことしか出ていない。大八車にはその後、改良が加えられ立ちん坊の手を借りなくても、険しい坂を上がれるようになったとか。
巻頭に、長谷川弥次郎という古老が出て来る。著者はこの人が「敗戦の年まで天沼の地主宇田川さんの小作であった」と書いている。またその先にも、「宇田川の荻窪田圃で麦を作り」と云うのが出て来る。この宇田川さんという人が恐らく、汲み取り人などを取り仕切っていたのではないだろうか。K君もたしか、そうだろうと云って、相槌を打っていた。
関東大震災。この実見記は非常に貴重だ。「阿佐ヶ谷駅はホームが崩れて駅舎が潰れていた。」そんな話は一度も親父から聞いたことがなかった。荻窪駅は、大して被害がなかったようだ。当日の未明には土砂降りの雨が降ったことを記している。井伏さんは、後日の記録にある「この日は空が抜けるほど青く、蒸し暑い朝」だったという記事に異議を唱えている。この時の「雨脚の太さはステッキほどの太さがあるかというようで」といってあるので、余程強い雨だったのだろう。又たとえに「南洋で降るスコール」を挙げている。また、
また、おっかない女、神近市子さんのはなしも面白い。市子はもと、社会主義者の大杉栄の愛人だったが、大杉が心変わりをして、神近から伊藤野枝を愛し始めたことから、激高して大杉を刺し、2年間ブタ箱生活を送る。いわゆる、日蔭茶屋事件である。
文藝春秋社の出していた「文藝手帳」に左翼の闘士、神近女史の住所が鱒二と同じに記載されていたことから、警察が井伏さんに疑惑の目を向け始めた。もともとは、女史が出鱈目の住所を届けたことが原因で、無実の井伏さんは、二度までも警察に尋問され、大迷惑を蒙った。
そのやり取りが、仔細に記録されている。一回目は「あなたと神近さんとは、どういう御関係ですか」に始まって、「住所が、下井草一八一〇番と言われるのは、どういうわけでしょうか」、「市子さんは、かつてお宅に下宿されていたことがありますか」「あなたか、またはあなたの友人が、神近市子さんと個人的にお知合いですか」
二回目は「お宅に寄寓されていたことがありますか」「お宅の御主人が、神近市子さんのお宅に寄寓されていたことがありますか」「お宅のご主人が、神近市子さんのお宅に寄寓されていたことがありますか」「では、お宅のご主人のお父さんが、神近市子さんと同棲されていたことがありますか」「お宅の御主人は、かつて神近さんと同棲されていたことがありますか」うっせい、いつまでやってんだ、この野郎。とでも、怒鳴りたくなるしつこさ。二回目は井伏さんの夫人への尋問であった。
神近市子はおっかないので、世間から、『噛み付き市子』とあだ名されていたらしいが、飛んだ迷惑人間である。さて、
大地主では玉野さんと云うのもいた。とは、K君の発言で、これは井伏さんの「風土記」にも出ていて、完全に符合する。ここで興味深いのは、旧幕時代の話。このあたりで領主をしていた今川氏が当時『窓税』なるものを課していたらしい。なかなか、強かである。領民は堪らず、窓を塗りつぶして対抗した。ところが、先方はさらにうわ手で、今度は『窓塞ぎ税』をひねり出したという。こうなると、領民も、もう打つ手がない。
「風土記」での、二・二六事件の記述を読むと、証言が錯綜して、デマの発生する舞台が見事に活写されている。
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