宗教音楽にはどこか敬遠する気持ちが働いて今まで避けてきた。
ところが、知人の米留学していた息子さんが、バッハに傾倒し、 バッハスペシャリストなったたらしいのです。 そして、日本の芸大古楽器科へ逆留学し、バッハ演奏の実際を 更に研究している内に、師に奨められて、アンサンブルを結成 するに至ったらしい(10年前)。ガムット・バッハ・アンサン ブル(GBE)として米(フィラデルフィア)と日本(東京)と で演奏を開始。GBEはバロック声楽と古楽器のスペシャリスト 集団。
今年、10周年に当たり、人類普遍の宝ともいうバッハの名曲を、 日本の若いバッハを愛する人たちと演奏したいと。今回は、カンタ ータ、マニフィカトを、GBEとしては初めて、トランペット 群をともなって華やかで厳かに取り上げ、世界で活躍する古楽器 プレイヤー達、そして、中核のバロック声楽ソリスト達が、独唱 だけでなく合唱も全て歌う というのです。
ひときわ輝かしい、バッハのクリスマスの傑作がここに集まった 訳です。40才少し上の彼が、指揮者として登場する。プレイヤー やソリスト達も皆若い。 そして、使われる古楽器は、レトロな雰囲気もあって、始まる前 からなんだか興奮してくる。
ところで、バッハに傾倒する若い人が増えているのだろうか。 古楽器復興のブームは最近(1970年頃)かららしい。
会場は、上野駅東(上野公園と反対側)に近い上野学園石橋メモリ アルホール。古楽器メモリアル2015月間の一環らしい。
2曲のカンタータとマニフィカトが演奏されるが。いずれも器楽 伴奏付きのバロック声楽作品。 ドイツのライプツィヒのルター派の教会で、クリスマスから新年に かけて、礼拝用に用意した作品の中からの選択。全てドイツ語。
まず、 カンタータ第41番《イエスよ、いま賛美を受けたまえ》(1725.1.1初演)
華やかで厳かですが、トランペット3本、ティンパニ、オーボエ3本が 加わって、新年の祝祭的な雰囲気が出ていました。コラール(合唱)を 基に、ソプラノ、アルト、テノール、バスのソロが混じります。
なお、チェロ・ピッコロという珍しい古楽器が使われてました。使い方 まだ分からないこともあるそうです。
こカンタータ迫力満点。聴いた後の余韻は相当です。しばらく浸って しまいます。教会カンタータというのである程度予想していた効果が 現れます。
2つ目は、 カンタータ第62番《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》(1724.12.3初演)
クリスマス前の約4週間、アドベント(待降節)はキリストの降臨を待つ 大変重要な期間ですが、その第一主日の礼拝のために書かれたカンタータ。
もっとも禁欲的な四旬節に匹敵する時期なので、器楽編成はシンプル。 合唱と弦そして通奏低音グループをのぞくとオーボエ2本のみ。
教会オルガン(ピッチが高すぎる)に代わるチェンバロの使用について 悩んだようですが、結局適当なのが見つからず断念。 又、コラール(合唱)旋律強化のためにホルンの使用が書かれていたが、 それも一部での使用。これも使わない。
このカンタータはシンプルが重要なので、その大方針に従ったらしい。 それにしても、教会音楽を、当時の楽譜に従って、現代では手に入り にくい古楽器をそろえるのも、これも簡単ではないらしい。
という訳で、シンプル、質素なカンタータ演奏なのだが、どうしてどう して、教会音楽ですから。かえって、内心に染みこんで来る感覚は、 素晴らしい。これまた余韻がすごい。
休憩が入る。
3つ目は、 マニフィカト ニ長調 (初稿BWV 243a 初演:1723.12.25; 改訂稿 初演:1733.7.2)
マニフィカトは、新約聖書ルカの福音書第1章46-55節の聖母マリアの 賛歌を歌詞とした作品を表す。
これはわずか10行の短い文章で、日本聖書教会の新共同訳に目を通して みましたが、マリアがエリザベトを訪れてあいさつをする言葉です。
この時、エリザベトのお腹には洗礼者ヨハネがいました。マリアの挨拶 にお腹の中でヨハネが踊ったとあります。聖霊に満たされたエリザベトは マリアに祝福の言葉を述べ、それに対するマリアの言葉に音楽を付けたの がマニフィカトという訳です。
この大変な作業をバッハはやってのけた訳ですね。
合唱もソロもラテン語のようでした。(もちろんドイツ語自由詩もあります が)
単に音楽として聴いても感動するものがありますが、意味も理解しながら 聴けば一層感じるものも多いでしょう。
ただ、40年以上前のローマ滞在以来のキリスト教への興味の継続は、少し は訳に立ったかもしれないとは思います。
それにしても初めてに近い教会音楽、クリスマスの時期が迫る中での鑑賞 は意義深いものでした。
機会をくれた彼に感謝すると共に、今後の若い世代の成長を願い楽しみに しました。
アンコール曲は「世界の平和のために」として演奏してくれました。 遠く、パリからくる悲しみの声を悼んで。
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