画像サイズ: 321×662 (78kB) | ゴンの昇天 KANCHAN
11月4日、愛犬ゴンが昇天した。14歳と5カ月であった。一か月半ほど前に、首の下にぐりぐりが2つ出来て、獣医に診てもらうと、血液の癌によるものだと診断され、あと3か月くらいと告げられた。
私は信じられなかった。その時ゴンはまだ元気そうに見えた。しかし、その日を境にしたようにして、これまで毎朝私と一時間ほど続けていた、利根川堤防方面への散歩ができなくなった。やがて、近くの公園までの散歩がやっとになってしまった。
実は一昨年の12月に、私は30数年住んだ家を、娘たち一家に譲って、夫婦二人で近くのマンションに引っ越した。ゴンは娘たちに預けた形になり。以降は毎朝私が自転車で娘たちの家に行き、ゴンを散歩に連れ出していた。ゴンは庭の入り口の柵戸のところで私を待っていて、私を見ると大喜びのお回りをする。
病気が発覚したのちも同じように私を歓待し、勇んで散歩に出発したが、少し歩くとすぐにへったって、座り込んでしまう。翌朝はまた、元気いっぱいにスタートするが、結果は同じ事になる。
やがて、彼は食欲がなくなり、ほとんど餌を食べなくなり、動けなくなって、うとうとと一日を過ごすようになった。私が寄って行って頭をなでると、すこし尻尾を振って私を見上げる。私と彼は、これまでずっとしてきたように、じっと見つめあう。きれいな目だ。「お前何を考えているの?」と私が聞く。彼はただ、尻尾を振るだけだ。それでふたりは絶大な信頼に繋がっている。私は不思議でならない。人間と犬と、なんでこんなに気持ちが通じ合うのかと。神様は、なんでこんなに寿命の違う者どうしの組み合わせを作ったのだろうか?
死ぬ前日、彼はほとんど意識がなかった。荒い息で、胸に手をやると、体は温かく、心臓がコトコト動いていた。翌朝、娘からゴンが死んだと電話がかかってきた。きれいな死に顔であった。私も、妻も娘も孫も涙、涙であった。
ゴンは、後ろに焼却設備を積んだ業者の車に乗せて、広々とした利根川の河原に連れて行って荼毘に付した。私と歩いた散歩経路の近くである。真っ青な澄んだ空に、薄く煙が昇って行った。
ゴンは、娘が妊娠中体調を崩して我が家に帰っていたとき、息子が、気がまぎれればと、ブリーダーから連れてきたものであった。真っ白な、ぬいぐるみのような可愛いやつであった。半年遅れで生まれた孫は、今では中学の2年生。英語の文法にふうふう言っている。その時ゴンの運搬用に買った車は、来年10月の車検時には廃車にしようかと考えている。私は、腰痛に悩まされ、視力もがた落ちである。考えてみればゴンと一緒の14年半は、私の老年の輝ける日々であったかもしれない。
これから私は毎朝、隣を歩く幻のゴンとのウオーキングとなる。正真正銘の後期高齢者の時代が始まる。
生前のゴンの写真を添付します
上: ゴン来たばかり
中: 壮年のゴン
下: ついこの間。まだ元気だった。
(2015.11.28) |