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[No.7437] ちゃぶ台とおひつ 投稿者:まるこ  投稿日:2015/12/16(Wed) 19:28
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黎明館で、特別企画展、語り継ぐ昭和の記憶からを、見てきました。私の目に、飛び込んで来たのは、ちゃぶ台とテレビです。戦後、物の乏しい時代から、両親が買ったカラーテレビは、お隣の家にはなくて、私より一つ兄さんが、我が家にテレビを見にきていました。たぶん、力道山のプロレスを、見たかったんだと思います。私が、このテレビで見たのは、「パパは、何でも知っている」。このドラマは、アメリカの明るいホームドラマで、二階へあがる階段の前に、家族が、並んで立っている場面が、今でも、脳裡に、焼き付いている。「バス通り裏」、小さな窓をまん中にではじまる歌も、あったなあ。
「てなもんや三度笠」「月光仮面」等。昔のテレビは、今のように薄くなくて、幅と奥行きがあり、狭いながらも、楽しい我が家に鎮座して、存在感がありました。ちゃぶ台とおひつは、まるで、望月優子さんの映画や、原節子さんの映画に、似合います。
これと並んで、五右衛門風呂、ダイハツミゼット、大村昆ちゃんが、メガネをさげて、ミゼット!と言っていました。ボンカレーの流行語もなつかしい。オールウェィズ三丁目の夕日にでた、堤真一さんは、あたしの母校からでた俳優さんです。あのセピア感が、とても、よくできていた。
ちゃぶ台とおひつが、置かれた部屋は、箸のあげさげまで、うるさい厳格な父親像が、浮かんできます。今は、全く、崩れさり、核家族化していきました。郷愁を感じる乗り物に、蒸気機関が、あります。SLのことです。大阪から、鹿児島まで、汽車で18時間かかりました。トンネルに入ると、窓を閉めないと、私の鼻の中は、真っ黒に、なります。南薩鉄道に乗り換えて、田舎に帰りました。
こんな時代ですから、日本の家屋は、ほとんど、汲み取り式だったです。旧家に釣り下がった、手洗い器は、手を押し上げたら、水が、出てきました。まだ、未開発で田園風景が、のこり、こえたんぼを、よく、みかけました。最近は、水洗トイレに、変わり、便利になりました。また、ウサギ小屋という言葉も、流行しました。外人の目には、日本の住まい方が、ウサギ小屋に、映るところから、この言葉が、流行りました。島国日本も、経済大国になり、建設ラッシュを、湧いて、家が、ドンドンたちました。まだ、この頃は、中国は、日本の下に、あったのです。


[No.7443] Re: ちゃぶ台とおひつ 投稿者:GRUE  投稿日:2015/12/20(Sun) 23:39
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まるこさん、こんばんは、

エッセイの書き方をいい先生に教えていただいて、初めての投稿のようですが、
いいエッセイになりましたね。

全体が「オールウェィズ三丁目の夕日」の雰囲気で、あの映画を思い出させる
ような事物が書き込まれていて、何とも言えない味のある作品になりましたね。

ありがとうございました。

又、投稿してくださいね。


[No.7446] Re: ちゃぶ台とおひつ 投稿者:りんどう  投稿日:2015/12/21(Mon) 17:19
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まるこさん

読ませていただきました
ちゃぶ台とおひつ懐かしい響きと思い出ですね
ともに我が家にもありました
ま〜るいちゃぶ台囲んでの楽しい夕餉
記憶のアルバムがよみがえります
まだまだ国民の生活が貧しかった時代に
家族でちゃぶ台を囲んでのおひつのご飯
何よりのごちそうでした。
冷めてもおいしかったおひつのご飯
電気釜で保温したごはんとは
一味も、ふた味もちがいました

今はあの時代より生活が豊かにはなりましたが
家族がバラバラで食事をしたり
一人でカップラーメンや既製品の食事をスマホゲームしなら
胃に流しこむなんっていう話をききますと
腹は満たされど心の餓えを感じます

冬の寒い朝、ほかほかご飯にアツアツの味噌汁
氷が薄くはった漬け桶から出してきた野沢菜に
葱と練り芥子の効いた納豆の朝飯
おいしかったな〜
「ほら!早く食べて学校へ行きなさい〜」と
母にせかされて学校へ行った思い出が
よみがえります

懐かしい思い出ありがとう

りんどう