画像サイズ: 640×424 (79kB) | 花は燃えなかったが・・・ KANCHAN 毎年12月の第2週辺りになると、NHKの大河ドラマが大団円を迎えて、ああ、今年ももう終わりだなとの感慨を覚える。ところが今年の「花も燃ゆ」はさっぱり盛り上がらないまま終わってしまった。脚本が真面目すぎたのかどうか、朝ドラの「びっくりポン」とは好対照である。
ただ、私は後半になって、楫取素彦が群馬県令となって赴任するあたりからは面白く見られた。何故ならば、私が群馬県桐生の出身で、テレビの場面に毎回赤城山が登場したからである。赤城山は群馬県のほぼ中央に在って、桐生からもよく見える。私はそれを見ながら勉学に励んだ。我が母校桐生高校の応援歌は 「俺たちゃほんとに 皆元気だよ 赤城おろしにシャツ一枚で 霜の白い桐高の庭を ボールとともに ああ駆け回る」と歌う。 而して、私は、楫取素彦のことは、全く初耳であった。もちろん、吉田松陰の妹が群馬県に来ていたことなど聞いたこともなかった。
また、上野から鉄道が前橋へあれほど早い時期(明治16年:1884)に敷かれたことは驚きであった。富岡の製糸工場等で生糸が紡がれ、前橋が生糸の集散地となって、横浜からの輸出ルートの確保の狙いがあったのであろう。
実は我が桐生へも、その4年後には両毛線の一部が開通している。桐生は足尾銅山を背後に控えて、やはり富国の必要に迫られていたということがある。足尾銅山は古河財閥が開発し、一時は日本の銅生産量の4割を産出していたという。日清戦争・日露戦争はその銅で支えられていたともいわれている。
今でも、発展途上国のインフラ整備の遅れの話を聞くと、明治日本の活力には目を見張るものがある。朝ドラの主人公の話が面白いのも、そんなことが背景にあると思う。
さてこの年末に私は面白い経験をした。実は、11月にNHKの制作局長あてに直訴文を発送した。ことは我が叔父のブラジルへの雄飛の話である。私は「NHKのブラジル関連番組は、古臭い移民の苦労話ばかりである。私の叔父はもちろん苦労があったが、1970年代に3人の息子を伴って、ブラジルの荒野の開拓に挑戦し、大成功を収めた。これは、日系移民二世三世による、ブラジル農業改革への大貢献になった」と書いた。
ひと月半ほどして反応があった。ETV特集の担当者から電話があって私に会いたいという。私は渋谷まで出かけて行って、資料を手渡し、1時間半ほど熱弁をふるったものだ。彼はこの話題をほとんど知らなかった。そして、興味を示した。
しかし私は「とにかく現地を見てほしい。サンパウロから飛行機で一時間半、そこから車で2時間ほどのサンゴタルドです」と発破をかけた。さて来年が楽しみである。
(2015.12.26) |