新古今の由良の戸をではないが、どうやら楫を流してしまったらしく、船は行きつ戻りつ。というわけで、また
波斯へ戻る。例の「椋鳥」によると、従来ペルシャの王はシャーを名乗っていたが、1909年アフマド・ミールザーになってから、スルタンと称するようになった、と。
だいたい、この「通信」には欧州とくに南ドイツの記事の多い中、ペルシャのニュースは珍しく貴重である。こういうものを、ただ漫然と読んでいるだけで、ほんとうにビックリさせられるような記事が、ちょいちょい出て来る。たとえば、日本では、機運はあったが、実際に女性参政権が認められたのは戦後のことであった。
ところが、鴎外の筆によると、当時ドイツのトラフェミュンデという町では、婦人に選挙権は当たり前で、それも、かなり前から行われていたという。
ここで振り返ってみると、「椋鳥」も欧州列強の内閣改造など硬い話の間に、別れ話の末に、女が拳銃を発砲して、相手を死なせたとかいうような、巷の痴情事件などを、サンドイッチの具のように、上手に挟み込んでいる。
サンドイッチと云えば、今では誰でも知っているが、命名の由来なども、モデルとなったサンドイッチ公死去の際に出た話なので、当時としては新しく、取れたて、摘みたてのニュースと云える。 (つづく)
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