おなじ敗戦国のイタリア、終戦直後の状況を活写し、観るものの多くに大きな感銘を与えたイタリア映画に「自転車泥棒」がある。この映画で、主人公の妻が、占い女のところへ出かけるシーンがある。
占いとか、迷信は理性のある人間に、ほんとうに必要かとも思われるが、弱きものである人間は、やはり最後はこういうもの頼る。
不世出と云われた双葉山も一時、璽光尊に帰依、警察に逮捕されたりしている。
あちらの新聞には、まいにち、数独とともに、星占いが掲載される。じつは昨日、上野で「カラヴァッジョ展」を観たが、ここでも、ふたりの女占い師に出会った。
黒い猫にあうと、凶兆とかのいわゆる、迷信もある。
「椋鳥」では、どうか。アンリ・ベルンシュタインという脚本家は、脚本のタイトルが、かならず6字でないと当たらないと信じ込んでいる。ところが、6字だったのに不人気と云うのが出た。音楽家にも似た様なのがいて、マスネやサンサーンスは、初日にはゼッタイ行かないという。さて、
日本でも病気平癒、交通事故のお守りとか色々あるが、ドイツにもパッサウ札という、怪我をしないで済むお札があるそうだ。これなんか、大量に仕入れて、メロウの全国大会かなんかで配りたくなる。
テトラッツィ−ニという歌手(性別不明)☆は、短刀を床に落とし、3度続いて床に立てば、きっといい声が出ると信じていた。また、
ウサギの足をポケットに入れて舞台に出るものもあるが、ドナルダというのは、ちょっとたちが悪く、自分に運が向いてきたと思えるまで、服のボタンをつぎつぎと引きちぎるので、衣装係が大変だという。
科学的な事件については、ハレーすい星。これは日本では7世紀にすでに観測がなされているようだが、「椋鳥」では、イタリアのローマで、1910年の1月18日に観測されたことが出ている。
☆カルーソの時代に、ルイザ・テトラッツィーニというソプラノがいたことは確認したのだが…。 (つづく)
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