GRUEさん、みなさん、こんにちは。
>2月12日から1ヶ月余り楽しませていただきありがとうございました。 読む方も大変でしたが、書かれた方はもっと大変だったことと推察致し ます。
1か月余り?ひえーっ、そんなにもなりますか。では、読まされる方も大変でしたでしょうね。お察しいたしますです。
>約100年前、明治末期から大正初期という微妙な時期の椋鳥通信でした。
> 鴎外が、欧州から新聞、雑誌、通信社情報を手に入れて、本人の1880年代 のドイツ留学経験を生かして、日本人向けに焼き直して発信したものですね。 確かに現在のツィッター通信の草分けかもしれませんね。斬新なアイデアかと 思います。
鴎外といえば、すぐ連想するのは、大抵の方は、小説の「舞姫」か、そのモデル紋題で、「舞姫」に始まり「舞姫」に終わるというのがおおよそのようです。そこへいくと。この「通信」は、小説でないので、却って、新鮮味が感じられます。
> で、これ、歴史的な価値も高いと思ます。丁度第一次世界大戦勃発の直前の 緊張した時期の情報発信なのですね。
> 大正期は、欧米から導入した多くの文明が一斉に日本人にオープンにされて 大正ロマンの花が開きます。清新な雰囲気が漂っていた時期だと思います。 まさにピッたりの椋鳥通信だったでしょうね。
脱亜入欧ではありませんが、目線の先が欧(特に西欧)米に向いている人が多い中で、鴎外の目は北欧にも、中欧にも、ロシアにも、アフリカにも、均等に注がれています。特に目立つのは、墺匈ということばで、これは当時、オーストリアが強大な国で、オーストリア=ハンガリー二重帝国と称していたことを示します。この墺匈ということばについて、あっしの思うこと。
だいたい、何かをみるとき、あっしらは、無意識の内、西欧人の目線を追っていることが多いようです。モーツァルトが馬車でプラーグへやって来た、といった具合に。ところが、東欧人の、サラエヴォ事件への反応を読むと、ふ〜ん、そういう見方もあるのか、となります。「兵士シュヴェイクの冒険」☆を読んでみてください。この本の第1巻は、なにしろ「フェルジナンドが殺されたのですって」で始まるんですから。ちょっと脳みその足りないことになっている、善良な兵士シュヴェイクは、大公殿下の体がまるで蜂の巣と聞いて「ここだけの話だが、」と前置きして「ふとった大公殿下の方がやせた大公殿下より、弾丸の当たる確率が多いわけだがね、」など、のんきなことを云っています。また、ぼくならブローニングを買う、とも。なぜかといえば、ブローニングなら「二分間に大公殿下を二十人も射ち殺すことができる」からだそうで。もっとも、これは鬼のように恐ろしい国家警察の私服、ブレトシュナイデルの、いないところでですが。
こっち側からみれば、ふんふん、こう見えるのか。ドイツ留学生だった鴎外には、ゼッタイに、そう見えるわけは、ないでしょうが。これもまた、一つの見え方といえます。
また「椋鳥」は、俗界のことばかりでなく、法皇や枢機卿の消息にも目を配っています。
> 100年の間の文明の比較をしてみることは、日本という国がどう発展して きたか、それから教訓を得て、現在の苦悩する日本の将来への手がかりなど が見つかることに繋がるかもしれませんね。温故知新です。
> ありがとうございました。今後もよろしく。
いえいえ、こちらこそ。いつも、あたたかいコメントを有難うございます。
☆ 岩波文庫ハシェク作「兵士シュヴェイクの冒険」(一)
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