博覧強記で有名な、故澁澤龍彦に『魚鱗記』という小品がある。その出だしに
『崎陽年々録』なる参考資料が出て来る。もともとこういうばやい、そういう本のあったためしがない。
きっとはぐらかされ、著者の冷笑を浴びることは覚悟の上で、やはり一応ググってみると、なるほど『崎陽年々録』などという書籍は出てこない。だが、『崎陽雑録』というのはあるらしい。また、『年々帳』というのはどこかで見たような気がする。シブさんはこの二つを適当にひっつけたのではないか。また、
冒頭、ヘシスペルなどいう、阿蘭陀渡りの遊びのことがでてくる。これは、トロボッチとかいう魚を水槽にいれ、これへ硝酸をそそぐと、魚は非常に興奮して、鱗の色を様々に変化させながら、勢いよく跳ね回り、終いには容器の外へ飛び出すヤツもあるという。それを利用して一番遠くへ飛び出したものが優秀と云うので、みんなで、自分の魚を決め、それに賭けて遊ぶというもの。
今なら、たちまち動物愛護協会辺りから大目玉を食らいそうな感じである。ま、著者が著者なので、その話だと思っていると、いつの間にかこれが怪談話に移っていったりするのだが…。
このヘシスペルも、いかにもオランダ語にありそうなことばで、ヘシが魚だとすれば、スペルは遊びを意味すると取っても、辻褄は合う。いかにも南蛮渡来と思わせるように、主人公にも西島白蓉斎という名の、オランダ通詞を当てているし、年端の行かない白蓉斎の子までが、ネヘン(9歳)だの、ホーゲルだのという、オランダ語を操ったりする。
ところで、作者はフランス文学者だったので、あっしは、このヘシスペルを思いついたのは、以下のようなことからだと思う。つまり、南欧にはふるく、13世紀のローマ教皇、マルティヌス4世というのが、大のウナギ好きで、そのウナギを食いすぎて落命したという言い伝え☆がある。この教皇の食べ方が、このヘシスペルにそっくりなのだ。
なんでも、焼く前に白ワインに漬けて、溺れさせるというのだから。シブさんがこれにヒントを得たのではないか。
この掌編のタイトルを『魚鱗記』という。ウソつきは、小説家になるより、ほかに道はないと、どこかに書いてあったが、さすが作家だけあって、正直者の読者は、目を凝らして一生懸命に見張っているつもりでも、いつの間にか、コロッと騙されている。
こういう架空の話しは、芥川もよくやる。例えば『メンスラゾイリ』に出て来る共和国ゾイリア。だいたい、こんな紋がある筈がない。オレオレ詐欺のニュ―スだって、騙された人たちにはお気の毒だが、夕方のテレビで、きょうは誰が、どんな方法で騙されるのかと、毎日期待に胸をときめかせながら、放送時間をひたすら待っている人だって、ここだけの話だが、ケッコウ多いような気がする。
世の中、意外と、騙し騙されの構図というのは、時代が変わっても、変わってはいないのではないか。
ここで質問です。あなたは、騙し型?それとも、騙され型?やはりここだけなの話になるが、どっちかと云えば、騙し型の方が、脳が活性化されるように思う。(^_-)-☆もちろん、
どちらを選ぶかは、あなた次第だが。
☆ ダンテの『神曲』に登場。
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