画像サイズ: 301×169 (28kB) | 札幌支店在勤中、函館に出張し、函館山に登ったことがある。当時、青函トンネルはまだ工事中であった。西方に七重浜が美しい曲線を描いて広がっていた。案内をしてくれた函館支店の行員から、洞爺丸が転覆したのはあのあたりです、と説明された。ちょうどその時、眼下を青函連絡船が青森方面に向けて出港して行った。青函トンネルは1988年に約27年の日時をかけて完成した。
今回の旅行では、函館山からの100万ドルの夜景見物であった。観光バスが次々と山を登って行った。頂上のバス停は数列に並んだバスでいっぱいであった。
夜風は冷たかったが、展望台からの眺めは見事であった。中国語や韓国語が飛び交っていた。泊まったホテルも同じである。函館は国際観光都市となっていた。夜の函館山からは七重浜は見えないし、あの事故を題材にした、水上勉の「飢餓海峡」も話題に上ることはないであろう。
私達のホテルは「啄木亭」といって、結構立派なホテルであった。しかし私には感慨があった。
数年前、妻と下北半島の恐山に旅行したことがある。その折に半島最先端の大間崎に行った。海岸に啄木の有名な歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」と刻んだ碑が建っていた。そこから津軽海峡を隔てて函館山が見えていた。啄木は函館に渡り、墓は函館山の麓にある(立待岬)と記してあった。彼は病とたたかい、貧困のうちに26歳で没している。恵まれない人生であった。そんな話、外国人には全く興味ないことであろう。
翌日、トラピスト修道院の前庭から、美しい津軽海峡を望んだ。海峡は函館山と下北半島、に挟まれてコバルト色に輝いていた。たまたま函館空港に降りて行く日航機が見えた。何時であったかこの海峡を中国の潜水艦が海中を横切って行ったことがある。無礼な話である。そういえば函館空港にはソ連の戦闘機が亡命してきたこともあった。
ところで、私達は付いていた。札幌から小樽、洞爺湖、大沼公園とくる道中、桜の花はちらほらとしか見えなかった。ところが4月27日、五稜郭の桜が満開であった。この暖かさで、例年よりも1週間ほど早く咲いてくれたのである。展望塔に上り、桜で縁取られた、星型の城郭の見事な眺めに歓声を上げたのであった。これで、なにか物悲しく思っていた函館の印象が一変したものであった。
帰りは開通したばかりの北海道新幹線に函館北斗駅から乗った。函館北斗駅は原野の真ん中という感じである。市内からや離れているが、将来、大沼公園、ニセコ、小樽等の観光地を睨んだ地理的位置にある。札幌への伸延は2025年と聞いている。
(2016.5.28) |