画像サイズ: 257×460 (45kB) | その日は小樽から、南に下って峠を越え定山渓温泉に泊まった。途中の道は両側にまだ雪がたくさん残っていた。札幌支店在任中、銀行は定山渓に保養寮を持っていた。私達は真冬の週末、支店をあげて(家族も含めて)、定山渓の寮に泊まりに行った。そして日曜日は近くのゲレンデでスキーを楽しんだ。リフトもないような、ただの雪の斜面であったが、楽しかった。その斜面がどこであったか、今回私は見つけることが出来なかった。あの時の支店長も、行事盛り上げがうまかった課長ももうこの世にいない。
翌日の中山峠越えは、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山(写真上段)が、青い空にくっきりと姿を見せていた。私達は何回かニセコにスキーに行った。ニセコの雪質は最高である。滑っているゲレンデの先にこの美しい羊蹄山が聳えていた。
東京に帰っても、私はスキーの味が忘れられず、新潟や長野の山に出かけて行った。支店長になってからも、支店の行員とともに、短大生になっていた娘を加えて、志賀高原に行ったこともある。
その娘が、1990年に結婚が決まった時、私たち家族は思い出の北海道に旅行した。10月であったと思うが、その時、札幌から洞爺湖に行く途中の中山峠は吹雪で何も見えなかった。
有珠山(写真中段)のロープウェイも、動いてはいたが、頂上からは何も見えず、まだ大学生であった息子が、寒さにちじかんだ手に息を吹きかけている写真が残っている。
有珠山は、私が札幌在勤中に噴火した。大きな音が聴こえ、やがて空が暗くなって、火山灰が降って来た。私が当時乗っていたサニー1000のボンネットに灰がうっすらと積もったのを覚えている。
今回洞爺湖の天気は最高であった。ロープウエイからの眺めは見事で、地表に出来たこぶのような昭和新山(写真下段)も手に取るように見えた。
(2016.5.28) |