(つけたりのつけたり)
ヒマでヒマで、ひねもす徒然を持て余している紋爺老、ふと考えた。ドイツに行っても英語(まがい?М)、オーストリアへ行っても英語М、フランスへ行ってもイタリアへ行っても英語М。これじゃあ、どこまで行っても、イギリスかアメリカのそとへ出られはしない。
日本で、あちこちの温泉地へ旅行して、いつも感じたのと、おんなしだ。どこへ行っても、お土産屋で目にするのは、温泉まんじゅう。これじゃあ、いくら電車賃を掛けても、いつまで経っても、日本からそとへは出られやしない。
しかし、あっちのお土産屋では、チロルの民族衣装や、カウベルなどを売っている。だが、日本のギンザでは、関連の催し物の時以外は、こうしたものはまず売っていない。
宿の回りを取り囲むお土産屋を見るたびに、やっぱり、ここはチロルなんだなあと、感じる。一旦帰国してしまったら、朝顔市やほおずき市は見られても、こういう風景はもう一切目にすることはできないだろう。当たり前のことではあるが、これも冷厳なる事実である。
駅のプラットホームというものも、こっちとはゼンゼン違う。非常に低く、だれでも簡単に線路の上に降りられる。国鉄や地下鉄の事故で、お客が車両から降りるのを駅員が手伝っている写真が目をよぎる。あちらではこんな必要はない。ただ、簡単に降りられるため、線路を横切る客が後を絶たない。そこで「線路を渡るな」という文字が、どのホームにもかならず、大書してある。あちらでは、鉄道関係で
遅れていることがまだまだある。それはICなどの立派な車両でも、ドアは自動でなく手で開ける。最新型ではボタンを押すが、ふつうは金属製の『かんぬき』のようなものを回して手で開ける。あっしはこれが苦手なんである。誰かが開けてくれるだろうと、高をくくっていたところ、その時に限って、誰も降りなかったので、危うく降り損なうところだった。マッタク油断も隙もありゃしない。
回すと云えばホテルのカギだ。今回はカードキーが多かったが、昔風のスケルトンキーというのだろうか、例のヴァティカンの紋章になっているヤツです。あれがまだ生き残っている。この鍵での注意点は、部屋を出るとき、自動ロックでないので、もう一度鍵を回さないといけない。これを忘れると、泥ちゃんにやられるかも。
また、ホテルの客室は、公共の場のようなものらしく、ふんどし一丁というわけには行かないらしい。出るときはきちんと片付け、大事なものは押し入れにしまう様にしないと掃除婦がごみと間違えて、捨てられるかも知れない。洗面具もどこかに仕舞っておかないと、いつの間にか、永遠の闇に葬り去られてしまうかも知れない。
ホテルの客室と云えば、一回こういうのがあった。トイレと浴室が一応仕切られているのである。しかし、残念ながら、その仕切りは透明で、お互いに丸見えであった。駅のトイレでハンドドライヤーというのだろうか、この器具は、大分普及しているようだが、英国はダイソン社製のものでは、風が一方向でなく、斜め二方向(左右)に出るのである。しかも、手をかざすとかなり強い風力を感じた。温風というのはなかったような。
器具の国籍がでたので、ついでに書いて置くが、ホテルのテレビなどは、90%が韓国製で、日本製はマッタク見かけなかった。空港でも、サムスンやLGなどの韓国製が制覇。
嬉しかったのは、偶然8人掛けのコンパートメント車に乗り合わせたことだ。日本のように、『この列車にコンパートメント車あり』などと派手に宣伝こそしないが、突然こういった、過去の遺物のようなものに邂逅することがある。
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