(つけたりのつけたりのつけたり)
異人は思う。いつだったか、吉本ばななの研究家で、たしか早稲田の先生をしているアレッサンドロ・ジェレヴィーニの本を読んでいたら、こういうことが書いてあった。
来日して、ある下宿に暮らしていたが、夏のことで、誰かが気を利かせたのか、自室に風鈴が下がっていて、涼しげな音を立てていた。かれはそれを騒音と感じ、すぐさま家主に紋句を云ったとか。ところが、異人はかの地で、到底そういう細かい神経の持ち主とは思えないような出来事に幾度も出会った。
それは、以前ベルギーを通過した時で、とても爆発音としか考えらえないような物音が、白昼街中や中央駅構内で起きたのである。こたびのオーストリア旅行でも、それは起こった。工事にかかわる音だったようだ。
日本では、そう云う工事は夜中にやるのか、一度も体験したことがない。
ことに街のど真ん中でやることはないように思う。騒音どころか食事をしている最中に、あっしらの座席に向かって、ほこりや砂煙までやって来たことがあった。かの地に暮らす人たちは、一般に外で食事したがるのでよけい、その無神経さが感じられ、ただただ、呆れるばかりであった。
つぎは褒め言葉である。道案内はほんとうに懇切丁寧。実際にかかる時間や距離まで云ってくれる。また、こちらが荷物に往生していると、まるで空のスーツケースでも持ち上げるように軽々と運んで仕舞う。マーチャンのスーツケースなんぞは、片手でひょいである。一言でいえば、気は優しくて力持ち。桃太郎にような人たちばかりなのである。
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