[掲示板へもどる]
一括表示

[No.7750] 絵画の越境について 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/11/01(Tue) 12:05
[関連記事URL:http://http:/

              (1)

きのうは、買い物の帰りに、街の小画廊へふらっと寄ってみた。特に見たいものがあった訳でもないのだが、相変わらずヒマだったので、ついつい入ってしまったのだ。中では、油の小品展をやっていた。

 入った途端、入口の椅子に掛けていた作者と思しき人物が、さっと立ち上がって、絵を観ているあっしの、背後から声を掛けて来た。別にこちらかた聞いたわけでもなかったが、展示してある絵について、いちいち丁寧に説明をしてくれた。

 作品は花の絵が多かった。しかし何かおかしい。というのは、たいてい一輪か二、三輪が画布の中央に大きく描いてあるのだが、花の茎のないものがいくつかあった。花が宙に浮いているのだ。さっそく「この茎の描いてないのは、なにか意図があってのことですか?」と尋ねてみると、別に悪びれる風もなく、さらっと「これはねえ、まだ描きかけなんですよ」という答えが返って来た。

 ふつう個展などを開こうというひとが、描きかけの絵を出展するだろうか。しかも絵の下にはすべて、売値が付いていて、すべて2万か3万だった。そしてそのすべてに「値段は、相談に応じます」とある。あっしは生来とくべつ質問好きな性分なので、画伯にひと一倍質問を浴びせかけたせいか、先方では自分の絵に、余程関心があるのと勘違いしたらしく、絵の注意書きと同じようなことをふたたび繰り返した。あっしが「しかしですね、あっしのところは、いわばゴミ屋敷で、たとえ絵を頂戴したところで、それを飾るような場所はマッタクありませんよ」というと、ソレっきり最期までそのことに触れようとはしなかった。

 しかし事の成り行きで、あっしは作者のD画伯と同じテーブルに座ることになってしまった。Dさんは「ちょっと待って下さいね、見せたいものが駐車場にあるので」というなり、いきなり画廊を飛び出していった。

 これはマズいぞ。ちょっと相手のペースに合わせすぎたかな。と思った。駐車場というのはつい目と鼻の先にあるはずなのに、意外と長いあいだ待たされた末、やっとそのD画伯は戻って来た。

             (2)

 別に大荷物を持って来たわけではなかった。彼はテーブルに付くとあっしに一枚のパンフレットと自らの画集を示した。そこには画伯の主催するチャリティ油絵展について、いろいろと書かれていた。それを見て驚いたことが二つあった。

 ひとつは会場が有楽町の某会館であり、他は八重洲の某展示場(これは会期が7月24日までで、もう終わっていた)になっていた。ひええ、スゴイとこでやるんだなあ。

 もうひとつは、そのパンフレットに載っている絵が、今目の前にしている絵とは、まるで別人の作のように見えたことだ。そう云っちゃあ何だが、小画廊の絵はしろうとのような、むしろ稚拙な感じを与えるのだが、こちらは立派な山水画なのだ。

 しかし、案内の「油絵」展というのは間違っているのではないか。これはもしかして水墨画ではないのか。そこを問いただすと、自分は雪舟や等伯の絵に感銘を受け、研鑽の甲斐あっていま、そうした画風に到達したのだという。そう云われてパンフを再読すると、たしかにそのようなことが書いてある。

  う〜ん、あっしはここで唸ってしまった。実はあっしの従妹も絵を描くが、いつか東京の「上野の森美術館」で観た絵は、日本画家なのにまるで油絵のような色使いだったのだ。たしかに、昨今両者の境界線はなくなった、と何かで読んだことはあるが、油絵の画家が、日本画風に描いた絵を観るのは初めてだった。

  むかし「子供の領分」と云う題名の曲があったが、いったい絵画の境界とは何だろう。あっしには、今もって不明である。

 ************************************

 ★ところで、小さい疑問はのこる。最近画伯は、市内に小画廊を設けたという。開所当初は使用料を有料にしていたが、現在は無料だという。
 
 一見、社会奉仕家のようにもみえるが、この小品展の絵にはすべて値段が付けてある。東京展でも、入場は無料だが、販価はいくらと明記してある。もちろん、チャリティーなので、その内の一部は施設に寄付されるらしいが…。
 

                             おわり      


[No.7751] Re: 絵画の越境について 投稿者:GRUE  投稿日:2016/11/04(Fri) 16:08
[関連記事

紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

又々不思議なお話のご披露ですね。

絵画が大好きで鑑賞の経験が豊富な紋次郎さんならではの
お話しかと思います。

D画伯はお近くにおられる訳ですから、すぐとはいいませんが
続編を楽しみにしています。
                            


[No.7887] Re: 絵画の越境について 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/06/02(Fri) 10:33
[関連記事URL:http://http:/

後日譚というか、GRUE さんに、続編をといわれてもう半年以上が経過したのですが、生来の不精ゆえ、いまだにそれが果たせないでいるのは、まことに不甲斐ないことで、ジクジたる思いがあります。

 ところで、きのうは町の美術館で久しぶりに展覧会がありました。ここにあっしの日ごろ敬愛するYさんが出展されるというので、ちょっと暑かったのですが、出かけました。

 Yさんは絵を描くだけでなく、美術協会の月報の編集などもやっておられ、グループの運営に欠かせない方です。ところで、この展覧会、展示数も非常におおく、入り口のあたりは100号の大作が集められ、見ごたえ十分。Yさんの絵は50号でしたが、躍動する植物の生命力が見事に表されていました。

 そのほか、常連の方々の作品を見るのも楽しみです。あっしが以前サテンでミニイベントをやった時、ご来場下さったTさん(画塾を経営)、Kさん、一貫して奥様の肖像画を描きつづけておられるSTさん(光風会所属)。また協会の重鎮Hさんは、出展されていませんでしたが、同じ苗字の方が二人出しておられ、関係者かと。

 いつもきまって百号の大作を出されるNさん、何度かお会いしている、光風会の方ですが、今年も、新緑の頃という大作を出展されていて、相変わらずお元気だなと嬉しく思いました。

 展覧会の度に、毎回拝見している、細密描写の版画を手掛けるTさんは、到頭、教育委員会賞をお取りになっていました。お会いしたことは一度もありませんが、オメデトウ
ございます。また、聖餐前夜と題する油彩画のフランスパンは、今焼き上がったばかりという感じで、すぐにでもちぎって食べたいようなすばらしい出来栄えでした。

 それからまた、幻想 風の盆という作品は、登場する男の、着ている衣服のごわごわ感が見事に表されていて、立ち去りがたい気持ちになりました。

 風景画になると、地元の風景にはじまり、近隣の街、はてはウィーンのフンデルヴァッサーの家、バルセロナのグエル公園、チェコのプラハ城、フランスはパリのノートルダム寺院、ベルギーのブルージュ、イタリアのサン・ジミニャーノ、しまいには旧バルカンは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の、モスタルまでが飛び出してきて、昨今の画家の行動半径の大きさに驚かされます。

 毎回、物故作家の絵が一点、掲出されるのが慣例のようになってしまったのは、まことに淋しいことです。ところで、

 この展示室で、久方ぶりに、あのD画伯と邂逅したのです。家へ帰って調べてみると姓名が一致していました。100号にもなる大作でしたが、派手な色は使わず墨一色だったように思います。描かれているものは、抽象画風で、むしろ奇怪な印象を与えるものでした。もともと日本画に傾斜していた油彩画家なので、不思議とは思いませんでしたが、ここのところ、野暮用で忙しいのですが、その内また一度お会いして、出品された絵のことでも、ちょっと聞いてみたいような気がして来ました。  終わり