(1)
きのうは、買い物の帰りに、街の小画廊へふらっと寄ってみた。特に見たいものがあった訳でもないのだが、相変わらずヒマだったので、ついつい入ってしまったのだ。中では、油の小品展をやっていた。
入った途端、入口の椅子に掛けていた作者と思しき人物が、さっと立ち上がって、絵を観ているあっしの、背後から声を掛けて来た。別にこちらかた聞いたわけでもなかったが、展示してある絵について、いちいち丁寧に説明をしてくれた。
作品は花の絵が多かった。しかし何かおかしい。というのは、たいてい一輪か二、三輪が画布の中央に大きく描いてあるのだが、花の茎のないものがいくつかあった。花が宙に浮いているのだ。さっそく「この茎の描いてないのは、なにか意図があってのことですか?」と尋ねてみると、別に悪びれる風もなく、さらっと「これはねえ、まだ描きかけなんですよ」という答えが返って来た。
ふつう個展などを開こうというひとが、描きかけの絵を出展するだろうか。しかも絵の下にはすべて、売値が付いていて、すべて2万か3万だった。そしてそのすべてに「値段は、相談に応じます」とある。あっしは生来とくべつ質問好きな性分なので、画伯にひと一倍質問を浴びせかけたせいか、先方では自分の絵に、余程関心があるのと勘違いしたらしく、絵の注意書きと同じようなことをふたたび繰り返した。あっしが「しかしですね、あっしのところは、いわばゴミ屋敷で、たとえ絵を頂戴したところで、それを飾るような場所はマッタクありませんよ」というと、ソレっきり最期までそのことに触れようとはしなかった。
しかし事の成り行きで、あっしは作者のD画伯と同じテーブルに座ることになってしまった。Dさんは「ちょっと待って下さいね、見せたいものが駐車場にあるので」というなり、いきなり画廊を飛び出していった。
これはマズいぞ。ちょっと相手のペースに合わせすぎたかな。と思った。駐車場というのはつい目と鼻の先にあるはずなのに、意外と長いあいだ待たされた末、やっとそのD画伯は戻って来た。
(2)
別に大荷物を持って来たわけではなかった。彼はテーブルに付くとあっしに一枚のパンフレットと自らの画集を示した。そこには画伯の主催するチャリティ油絵展について、いろいろと書かれていた。それを見て驚いたことが二つあった。
ひとつは会場が有楽町の某会館であり、他は八重洲の某展示場(これは会期が7月24日までで、もう終わっていた)になっていた。ひええ、スゴイとこでやるんだなあ。
もうひとつは、そのパンフレットに載っている絵が、今目の前にしている絵とは、まるで別人の作のように見えたことだ。そう云っちゃあ何だが、小画廊の絵はしろうとのような、むしろ稚拙な感じを与えるのだが、こちらは立派な山水画なのだ。
しかし、案内の「油絵」展というのは間違っているのではないか。これはもしかして水墨画ではないのか。そこを問いただすと、自分は雪舟や等伯の絵に感銘を受け、研鑽の甲斐あっていま、そうした画風に到達したのだという。そう云われてパンフを再読すると、たしかにそのようなことが書いてある。
う〜ん、あっしはここで唸ってしまった。実はあっしの従妹も絵を描くが、いつか東京の「上野の森美術館」で観た絵は、日本画家なのにまるで油絵のような色使いだったのだ。たしかに、昨今両者の境界線はなくなった、と何かで読んだことはあるが、油絵の画家が、日本画風に描いた絵を観るのは初めてだった。
むかし「子供の領分」と云う題名の曲があったが、いったい絵画の境界とは何だろう。あっしには、今もって不明である。
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★ところで、小さい疑問はのこる。最近画伯は、市内に小画廊を設けたという。開所当初は使用料を有料にしていたが、現在は無料だという。 一見、社会奉仕家のようにもみえるが、この小品展の絵にはすべて値段が付けてある。東京展でも、入場は無料だが、販価はいくらと明記してある。もちろん、チャリティーなので、その内の一部は施設に寄付されるらしいが…。
おわり
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