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[No.7842]  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 00:31
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 昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

 その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。いずれもあっしにとっては初めて聞く名ですが、井尻はナウマンゾウの発掘で有名な井尻昭二と関係あるらしく、また緒方は洪庵の実子、ヴェネツィアで、イタリア婦人マリアと恋仲になり結婚。その後病を得て、1878年、妻マリア、子エウジェーニアを残し、ヴェネツィアで死去。その12年後にマリアも死去。遺児エウジェーニアは、その2年後に惟直の父が、日本へ連れ帰ったようです。

 惟直はヴェネツィア、サンミケーレ島内の、共同墓地に葬られました。この墓には、彫刻家、長沼守敬の作った、立派な墓碑があるといいます。石碑にはCorenao ★Ogataと俗名が彫られ、姓と名の間に、惟直の横顔が彫ってあります。

 川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

 講演では、貴重な映像が次々に映し出され、大変勉強になりました。とくに印象に残ったのは、川村がヴェネツィアに滞在していた時、所属する美術サークルの会費を滞納したらしいのです。その時の催促状が、江戸東京博物館に所蔵されていること。その督促状が画面に写し出されましたが、これは石井教授が、2016年の地中海学会の月報で、すでに発表されたものです。

 講演中に、石井教授が森鴎外と緒方収二郎との交友について触れたのですが、収二郎というのを、惟直の父親と云ったように記憶していたのですが、聞き違いのようでした。

 きょう、鴎外のドイツ日記を見たところ、1886年7月15日の項に、緒方収二郎を惟直の舎弟と書いています。★鴎外はドイツに留学しましたが、収二郎もベルリン経由で、フライブルク大学に留学しています。この日訪ねてきた長沼に、鴎外は君はイタリアにいるになら、惟直の墓のことを知ってるだろう、と尋ねています。墓地の名を聞き出し「チミテロ、サン、ミキエル」と書きとどめてもいます。ということは、鴎外も機会があれば、惟直の墓参りをするつもりだったようです。

 さらに、翌日は長沼と連れ立ってミュンヘンの、ニュンフェンブルクというところへ
出かけたりしています。ここにはバロック様式の宮殿があるそうです。


★「僕の東京を発するや、その舎弟にして僕の親友たる収二郎」とあるのです。

 


[No.7843] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/08(Sat) 06:58
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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唐辛子紋次郎さん、大変興味深い内容です。

>  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

これですね。
http://www.iictokyo.com/eventi/log/eid415.html

> その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

井尻儀三郎と井尻正二の関係はわかりませんが
北海道小樽市出身の地質学者井尻正二は
野尻湖湖畔のナウマンゾウの研究で有名ですね。

井尻正二と湊正雄との共著を読んだことがあります。友人からすすめられて。
 『地球の歴史』《岩波新書》、1957年 
 『日本列島』《岩波新書》、1958年


>  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

2012年10月08日(月)〜12月02日(日)
江戸東京博物館開館20周年記念特別展
 維新の洋画家 川村清雄
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/2152/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E6%B4%8B%E7%94%BB%E5%AE%B6-%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B8%85%E9%9B%84/

江戸博の友の会の会員である私は
この特別展で下記の2点は見た記憶があるのですが、さだかではありません。
  川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》 
  川村清雄《天璋院(てんしょういん)像》→ 将軍徳川家定の正室・篤姫

> きょう、鴎外のドイツ日記を見たところ、1886年7月15日の項に、緒方収二郎を惟直の舎弟と書いています。
>この日訪ねてきた長沼に、鴎外は君はイタリアにいるになら、惟直の墓のことを知ってるだろう、と尋ねています。

幕末の一関に生まれた長沼守敬(ながぬま もりよし)は、明治時代に最も活躍した洋風彫刻家です。 高村光太郎の先生だったみたいですね。

そういうわけで、岩手県立美術館に作品もあります。
https://www.tohoku-bunko.jp/details/00109.html
 ◎長沼守敬(ながぬま もりよし)
 老夫/ダイバース博士像/ベルツ博士像/スクリバ博士像/長谷川謹介像/自作像
 ◎堀江尚志(ほりえ なおし)
  ある女/顔/松橋宗明像/少女座像/狗/トルソ/鯉/首/西君の像/兎/十文字大元像
 ◎舟越保武(ふなこし やすたけ)
  少女像/魚/萩原朔太郎像/R嬢/青い魚/高山右近像/原の城(頭像)/R嬢/原の城/LOLA
  /若い女の胸像/T嬢/ダミアン神父/道東の四季−春−/聖べロ二力/聖セシリア/吉田茂像/ゴルゴダ/マリアマグダレナ/聖クララ/樹木91-7

>  さらに、翌日は長沼と連れ立ってミュンヘンの、ニュンフェンブルクというところへ
> 出かけたりしています。ここにはバロック様式の宮殿があるそうです。

ニンフェンブルク城 美しい建物と池
以前にみんなで行きました。 そのときの写真でした。


[No.7844] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 17:34
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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  男爵さん、みなさん、こんにちは。

>大変興味深い内容です。

 なにしろ、登場人物(緒方惟直の弟)の一人が、男爵さんと同じ、フライブルク大学の出ですからね。(^^♪

> >  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

赤い建物が、講演のあったイタリア文化会館です。


[No.7845] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/08(Sat) 19:32
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
画像サイズ: 720×513 (95kB)
唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんばんは。

> >大変興味深い内容です。

>  なにしろ、登場人物(緒方惟直の弟)の一人が、男爵さんと同じ、フライブルク大学の出ですからね。(^^♪

フライブルクの地図が出てきました。

大聖堂はミュンスターといいます。 
マリー・アントワネットは(ウィーンから来て)ここでしばらく休んでから
パリに嫁いだといわれています。


[No.7846] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 23:09
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  男爵さん、みなさん

> フライブルクの地図が出てきました。

> 大聖堂はミュンスターといいます。 
> マリー・アントワネットは(ウィーンから来て)ここでしばらく休んでから
> パリに嫁いだといわれています。

この地図で、大学の位置はどこらへんですか?


[No.7850] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/09(Sun) 05:52
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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唐辛子紋次郎さん、みなさん

> > フライブルクの地図が出てきました。

> > 大聖堂はミュンスターといいます。 

> この地図で、大学の位置はどこらへんですか?

左の上に駅があります。

地図の真ん中より少し左に大学があります。

駅の前の道をまっすぐ行くとミュンスターに行き当たります。
 地図の中央から少し右にあります。

こちらに地図がありました。
http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/germany/Freiburg_im_Breisgau.htm
 青の1番が駅
 赤10番が大学  ゲヴェルベ運河(ロッテックリング)の近く。
 赤4番がミュンスター(大聖堂)です。

 ついでに 赤9番がマックです。世界ではじめに入った店。以後、日本でもドイツでも中国でも愛用しました。
インターネットのおかげで便利な世の中です。


[No.7854] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/09(Sun) 22:29
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男爵さん、みなさん、こんばんは。

> > > フライブルクの地図が出てきました。

> > > 大聖堂はミュンスターといいます。 

 これはミュンスターの写真ですね。

> > この地図で、大学の位置はどこらへんですか?

> 左の上に駅があります。

> 地図の真ん中より少し左に大学があります。

> 駅の前の道をまっすぐ行くとミュンスターに行き当たります。
>  地図の中央から少し右にあります。

> こちらに地図がありました。
> http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/germany/Freiburg_im_Breisgau.htm
>  青の1番が駅
>  赤10番が大学  ゲヴェルベ運河(ロッテックリング)の近く。
>  赤4番がミュンスター(大聖堂)です。

  下宿から学校まで、通学にはどのくらいの時間がかかったのですか?わりと近かったですか?

>  ついでに 赤9番がマックです。世界ではじめに入った店。以後、日本でもドイツでも中国でも愛用しました。
> インターネットのおかげで便利な世の中です。

 マックというのは、マクドナルドのことですか?あっしは筋金入りの反米主義者(^_-)なので、マックとケンタッキーとは、はいりません。


[No.7855] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/10(Mon) 04:35
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、 おはようございます。


> > > > 大聖堂はミュンスターといいます。 
>
>  これはミュンスターの写真ですね。

あまり大きいから、一枚の写真になりませんでした。

下半分です。

> > こちらに地図がありました。
> > http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/germany/Freiburg_im_Breisgau.htm
> >  青の1番が駅
> >  赤10番が大学  ゲヴェルベ運河(ロッテックリング)の近く。
> >  赤4番がミュンスター(大聖堂)です。
>
>   下宿から学校まで、通学にはどのくらいの時間がかかったのですか?わりと近かったですか?

電車に乗っていくのですが、もう忘れてしまいました。

そのうち旅行記でフライブルクとその周辺を紹介することにします。


> >  ついでに 赤9番がマックです。世界ではじめに入った店。以後、日本でもドイツでも中国でも愛用しました。
> > インターネットのおかげで便利な世の中です。

>  マックというのは、マクドナルドのことですか?あっしは筋金入りの反米主義者(^_-)なので、マックとケンタッキーとは、はいりません。

マックは町の中の目立つところに店を構えて
あたりの雰囲気を壊す傾向にあるので
ドイツ人も批判的な目で見ていました。
  (たとえば平安神宮のそばとか、二重橋の脇に、あんな店がまえがあれば....)

しかし、言葉が十分でない外国人には、いざとなったら
ゆびさしで注文できるから便利でした。 店内は外国人とドイツの若者だけ。

驚くことに、ドイツのマクドナルド店ではビールがメニューにあります。
世界中、アルコールの置いてあるのはドイツだけ?

唐辛子紋次郎さんは、 ミスタードーナツも嫌いなようですね。


[No.7857] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/10(Mon) 13:17
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男爵さん、みなさん、

> 唐辛子紋次郎さんは、 ミスタードーナツも嫌いなようですね。

  ええ、そうですよー。あっしは、昔人間ですからね。(^_-)-☆マーチャンは親米だと思います。(^_-)-☆ええっ、ミスター・ドーナッツも、Made in USAなんですか。マッタク知りませんでした。でも、あっしも、今度生まれる時は、親米になっているかも。ところで、

 アメリカでいま大好評の、このドーナッツも、遠慮します。ま、はやく云えば、ドーナツとスパを合体しただけなんすが。これだと、極端なはなし、フォークがなくても簡単に食べられますよね。しかし、こう見えても、いちおう、メニューの方は豊富で、カルボナーラであろうと、ポモドーロであろうと、ラグーボロニェーゼ、アッリオオーリオ、ズッキーネ、何でもござれということらしいです。このドーナツ、ブルックリンでお目見えするや、忽ちテレビ局の関心を集め、さらにはSNSでも話題が盛り上がり、世界制覇も時間の問題だとか。←、留学生の話がいつのまにか「スパゲッティ・ドーナッツ」の話に。

http://video.repubblica.it/socialnews/spaghetti-donuts-l-ultima-moda-dello-street-food-negli-usa/272684/273206?ref=RHRD-BS-I0-C6-P4-S1.6-F3


[No.7847] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 23:37
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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男爵さん、みなさん、

> 幕末の一関に生まれた長沼守敬(ながぬま もりよし)は、明治時代に最も活躍した洋風彫刻家です。 高村光太郎の先生だったみたいですね。

> そういうわけで、岩手県立美術館に作品もあります。
> https://www.tohoku-bunko.jp/details/00109.html
>  ◎長沼守敬(ながぬま もりよし)
>  老夫/ダイバース博士像/ベルツ博士像/スクリバ博士像/長谷川謹介像/自作像
>  ◎堀江尚志(ほりえ なおし)
>   ある女/顔/松橋宗明像/少女座像/狗/トルソ/鯉/首/西君の像/兎/十文字大元像

 講堂の画面に映し出された長沼の資料です。作品の出来が非常に良かったのでしょう。
住まいのあったヴェネツィアの新聞に記事が載ったようです。
 


[No.7852] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/09(Sun) 16:08
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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  男爵さん、みなさん、こんにちは。

>  講堂の画面に映し出された長沼の資料です。作品の出来が非常に良かったのでしょう。
> 住まいのあったヴェネツィアの新聞に記事が載ったようです。


これがチョット不鮮明ですが、現地でおおいに称賛された、長沼守敬の「リド島にて」という作品です。  


[No.7853] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/09(Sun) 22:19
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 男爵さん、みなさん、こんにちは。

前回の写真の説明です。この「リド島」というのはヴェネツィアにあるいくつかの島の一つで、昔から海水浴場として知られています。長沼は、浜で貝を拾う少年に目を留め少年が大きな貝を手にしている情景を彫ったのです。ところが、完成間近になって、少年の足の処理がうまく行かず、下宿の女将に泣きついて、人を頼んで貰って完成したことを、包み隠さずその日記に記しています。


[No.7848] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2017/04/08(Sat) 23:44
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男爵さん、みなさん、こんばんは。

> 幕末の一関に生まれた長沼守敬(ながぬま もりよし)は、明治時代に最も活躍した洋風彫刻家です。 高村光太郎の先生だったみたいですね。

> そういうわけで、岩手県立美術館に作品もあります。
https://www.tohoku-bunko.jp/details/00109.html
 ◎長沼守敬(ながぬま もりよし)
 老夫/ダイバース博士像/ベルツ博士像/スクリバ博士像/長谷川謹介像/自作像
 ◎堀江尚志(ほりえ なおし)
  ある女/顔/松橋宗明像/少女座像/狗/トルソ/鯉/首/西君の像/兎/十文字大元像


男爵さん、質問ですが、上記の「西君の像」の西というのは、西周のことでしょうか?


[No.7849] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/04/09(Sun) 05:30
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唐辛子紋次郎さん、みなさん、おはようございます。

>  ◎堀江尚志(ほりえ なおし)
>   ある女/顔/松橋宗明像/少女座像/狗/トルソ/鯉/首/西君の像/兎/十文字大元像

> 男爵さん、質問ですが、上記の「西君の像」の西というのは、西周のことでしょうか?

西 周 (文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日)が亡くなってから
堀江尚志は、明治31年盛岡市に生れていますから
違うと思います。

堀江尚志は惜しまれつつ、1935(昭和10)年に亡くなりました。


[No.7895] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵  投稿日:2017/06/24(Sat) 15:48
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Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』
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唐辛子紋次郎さん、みなさん


> > その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

> >  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

> 2012年10月08日(月)〜12月02日(日)
> 江戸東京博物館開館20周年記念特別展
>  維新の洋画家 川村清雄
> https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/2152/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E6%B4%8B%E7%94%BB%E5%AE%B6-%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B8%85%E9%9B%84/

> 江戸博の友の会の会員である私は
> この特別展で下記の2点は見た記憶があるのですが、さだかではありません。
>   川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》 
>   川村清雄《天璋院(てんしょういん)像》→ 将軍徳川家定の正室・篤姫

そういえば思い出したのです。

私は江戸博友の会の会員なので
常設展の資料本が送られてきたのを、(つんで置いた本を)いま見てみたら
 川村清雄《江戸城明渡の帰途 (勝海舟江戸開城図)》
が載っていました。


[No.7864] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/26(Wed) 07:54
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>  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。

この本を図書館から借りてきました。
  石井元章:明治期のイタリア留学
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b272889.html

この本によると
長沼はローマで辰野金吾(東京駅の設計者)に会っています。 1882年末

>  その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。....緒方は洪庵の実子、ヴェネツィアで、イタリア婦人マリアと恋仲になり結婚。その後病を得て、1878年、妻マリア、子エウジェーニアを残し、ヴェネツィアで死去。その12年後にマリアも死去。遺児エウジェーニアは、その2年後に惟直の父が、日本へ連れ帰ったようです。

>  惟直はヴェネツィア、サンミケーレ島内の、共同墓地に葬られました。この墓には、彫刻家、長沼守敬の作った、立派な墓碑があるといいます。石碑にはCorenao ★Ogataと俗名が彫られ、姓と名の間に、惟直の横顔が彫ってあります。

共同墓地に埋葬されていた 惟直の遺体を掘り起こし、市長の許可のもとに
大理石製の蓋の浮彫を長沼が制作しました。

原敬が(外務書記官としてパリ公使館赴任の途中)ヴェネツィアに到着したとき
長沼はベルシェとともに港に出迎えています。  1885.11.30
 (日本領事騎士ベルシェは大富豪で、長沼に惟直の墓碑制作を依頼した)


森鴎外と長沼守敬の出会いは
別に書きましょう。


[No.7865] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/04/28(Fri) 05:22
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唐辛子紋次郎さん

>  昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。
>
>  その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。

図書館から「石井元章:明治期のイタリア留学」を借りてきて、この本を読んでいます。

>  川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。

この本の113頁に
川村清雄の絵「少女像」(東京国立博物館、東京文化財研究所画像提供)
が載っています。

これは、六本木森タワーで見てきた
エルミタージュ美術館展での
フランシスコ・デ・スルバランの「聖母マリアの少女時代」
とモデルが似ています。
http://jp.rbth.com/arts/2017/03/17/721223

スルバランは17世紀のスペインの画家なので
時代も違いますが
モデルや、表現方法などに共通点があるのでしょうか。

たんなる素人の印象でした。


[No.7868] Re:  『九段で、明治の留学生の講演を聞く』 投稿者:男爵   投稿日:2017/05/01(Mon) 19:41
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>森鴎外と長沼守敬の出会いは
>別に書きましょう。

原敬に会った長沼は、帰国を考える。
貧乏で船賃がなかったから、フランスで造った畝傍艦(うねびかん)が
日本へ廻航されるというので、原に手紙を書いてこの船に乗せてもらうようになる。

そこで帰国の準備を早めにして、貧乏旅行(ミュンヘン、シュトラスブルク、パリ)に出発する。

ミュンヘンで会った鴎外は長沼に自分の肖像写真を贈ったが、写真はミュンヘンのシュヴァンターラー通のヴェルナー工房で写したもので
裏面に「独逸国模那歌府に周遊の記念」とある。

模那歌(モナコ)府とは、ミュンヘンのことである。

緒方惟直の弟収二郎と東大医学部時代の級友だった鴎外は
惟直の妻子が生活に困窮していることを知り、日本の収二郎に伝えたのであろう。

彼等一族は繁昌した病院経営者らしく、収二郎を含む一族をドイツに留学させた。

収二郎たちは1891年秋にヴェネツィアを訪れ、惟直の墓碑に献花した。
このときは、惟直の妻子の所在を突き止められず、いったんドイツに戻った。
 (惟直の妻は1890.10.27に35歳で死亡)

その後ベルシェを通じて姪の消息をつかんだ収二郎は、マルセイユで姪と会い
1892年に姪を日本に連れ帰った。
彼女、緒方豊は加陽光太郎を養子縁組して夫に迎え、6人の子供にも恵まれ幸福な半生をおくったという。