昨日の講演は、午後6時に始まりました。場所は九段。二松学舎の斜向かいにある、イタリア文化会館で、講師は大阪芸術大学の石井元章教授。演題は「明治期のイタリア留学 文化受容と語学習得」(約2時間)です。
その留学生というのは全部で4名で、井尻儀三郎、緒方惟直、川村清雄と長沼守敬です。いずれもあっしにとっては初めて聞く名ですが、井尻はナウマンゾウの発掘で有名な井尻昭二と関係あるらしく、また緒方は洪庵の実子、ヴェネツィアで、イタリア婦人マリアと恋仲になり結婚。その後病を得て、1878年、妻マリア、子エウジェーニアを残し、ヴェネツィアで死去。その12年後にマリアも死去。遺児エウジェーニアは、その2年後に惟直の父が、日本へ連れ帰ったようです。
惟直はヴェネツィア、サンミケーレ島内の、共同墓地に葬られました。この墓には、彫刻家、長沼守敬の作った、立派な墓碑があるといいます。石碑にはCorenao ★Ogataと俗名が彫られ、姓と名の間に、惟直の横顔が彫ってあります。
川村清雄の展覧会が、じつは5年前に、両国の江戸東京博物館で開かれたのですが、あっしは見落としてしまい、いまでも残念な思いで一杯です。
講演では、貴重な映像が次々に映し出され、大変勉強になりました。とくに印象に残ったのは、川村がヴェネツィアに滞在していた時、所属する美術サークルの会費を滞納したらしいのです。その時の催促状が、江戸東京博物館に所蔵されていること。その督促状が画面に写し出されましたが、これは石井教授が、2016年の地中海学会の月報で、すでに発表されたものです。
講演中に、石井教授が森鴎外と緒方収二郎との交友について触れたのですが、収二郎というのを、惟直の父親と云ったように記憶していたのですが、聞き違いのようでした。
きょう、鴎外のドイツ日記を見たところ、1886年7月15日の項に、緒方収二郎を惟直の舎弟と書いています。★鴎外はドイツに留学しましたが、収二郎もベルリン経由で、フライブルク大学に留学しています。この日訪ねてきた長沼に、鴎外は君はイタリアにいるになら、惟直の墓のことを知ってるだろう、と尋ねています。墓地の名を聞き出し「チミテロ、サン、ミキエル」と書きとどめてもいます。ということは、鴎外も機会があれば、惟直の墓参りをするつもりだったようです。
さらに、翌日は長沼と連れ立ってミュンヘンの、ニュンフェンブルクというところへ 出かけたりしています。ここにはバロック様式の宮殿があるそうです。
★「僕の東京を発するや、その舎弟にして僕の親友たる収二郎」とあるのです。
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