画像サイズ: 800×452 (55kB) | あやさん、 こんにちは。 > > 「日本の一番長い日」という映画がありましたが > > 海軍関係者(米内光政たち)が、いかに戦争を終わらせるか内々で相談していたとき > > そういうことが明るみにでると危険なことも考え > > しかるべき人たちが密かに走り回っていたという本を読んだことがあります。 > > 三笠宮のような考え方をしていた人たちが、政治の中心に近い所にいたということは知っておいてよいことと考えます。
> 勉強させていただき感謝です。
長岡出身の山本五十六はアメリカと戦争することに懐疑的だったと言われています。 海軍の後輩だった南部藩士の末裔米内光政は、山本五十六の意をくんで終戦に導いたのです。 としたら賊軍だった長岡藩や南部藩の藩士の子孫が海軍高官として、心ならずも太平洋戦争に参戦し、終戦の道をつけたということに関して これは勝海舟のつくった海軍の思想の流れがあったからで、陸軍の暴走は(明治維新の際)長州藩の藩士たちの考え方に何か問題があったのではないかと、少し考えすぎかもしれませんが思うことがあります。
岡山市立オリエント美術館に行ったとき、三笠宮の名前を見つけました。
池袋サンシャインシティの古代オリエント博物館でも、三笠宮の名前を見たことがありました。 |