「昭和天皇実録」の謎を解く 文春新書1009
軍部独走の起源は長州にあり
磯田道史「実は、その構造の源流は、幕末の長州藩にある。 そもそも、藩の内部で大戦争をやったところは二つしかない。 水戸藩と長州藩です。このうち長州だけが、下(高杉晋作)が上の藩政府を打ち倒して、藩政を握った。
下が独走して上を従わせる構造を長州とその派生体であるのちの陸軍がもっていたのは、当然といえば当然かもしれません。
長州は藩主のいる御前会議で、報告さえすれば好き放題に下級武士が動いていい。 なにしろ藩主は「そうせい」としか言わないから「そうせい様」と呼ばれていた。 そういう下級武士の革命政権が明治政府を作ったからまったく同じ構造が続いてしまったんです。
それでも伊藤博文や山県有朋たちは、明治天皇と一緒に革命をした人間だから、現実直視と柔軟性があった。 しかし、昭和になり官僚化が進んだ時代になると、それは失われてしまったんです」
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統帥権の独立という悪法を作ったのは、山県有朋。 彼が日本の軍部の独走のもとをつくった悪人であるとは 大学の社会学の教授の話だった。
反対意見を封じるため山県有朋が考えた策は のちに日本を滅ぼすもととなった。
山県有朋や伊藤博文達が生きていたときは、欠点のある法律も運用をうまくしたので 弊害は少なかったが、彼らが死んでしまえば 法をつくった精神は誰も気づかず、悪法は悪法として破滅に向かっていった。
だいたいが統帥権をもっているはずの天皇が 陸軍に適当にあしらわれたのは 明治政府(薩長政府)が天皇を利用してきた歴史があったから なのであろう。
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