> 以下の本も同じ著者なので、似たようなことが書いてあるのでしょう。 > これから読むことにします。 > > 岡本裕:9割の病気は自分で治せる 病院とのつき合い方編
読むと トンデモナイことが書いてあった。
ある医者がいた。 24時間、患者の求めに応じて往診をし 薬のさじ加減は日常茶飯事 西洋医学だけでなく、アーユルベーダ(インド伝統医学)や漢方にも詳しく 患者に必要だと判断すれば色々な治療法を試みる。
しかし、出る杭は打たれる。 近隣の医者たちが中傷し、医師会もいじめにかかり、結局は閉院せざるをえなくなった。
「どこでも誰でも同じ治療を! それは国民皆保険制度の本領です!」 これはおかしいと著者はいう。 日本は横並びが原則 良かれ悪かれ特殊な治療は、原則的にはご法度。 日本では、本当の名医は育たない土壌なのかもしれない。
みんなと同じことをしていればいい。 違ったことをするといじめにあう。 この患者本位のお医者さんもいじめにあった。
こういう標準治療からはずれたユニークなすばらしい治療を行っている医者もいる。 五木寛之と対談をして本に紹介されている医者は、例外的な存在なのだろう。
あのくらい有名になれば、医師会も○○大学医学部も認めざるを得ない?
CT・MRI王国にして、薬の大消費国である日本
高額なCTやMRIを設置した病院では、多大な設備投資を回収するため 必要があってもなくても一定数の検査をこなさなくては経営が成り立たない。
私もあります。 毎年の人間ドックで、お医者さんから聞かれた。 「ところで、CT検査したことがありますか」 まだと答えた私に、では一度してみましょうと誘うので これも何かのお付き合いかと受けたのですが それから毎年、つぎつぎと新しい高額な検査機械の利用をさせられ これも経営に協力かと思ったのですが、大量のエックス線を浴びるのはもうたくさんと 次の年から人間ドックは別の病院に変えました。
その病院も同じように、高額な検査機械を勧めるのをみて 翌年の人間ドックは、また別の病院に変えました。 (笑)
知り合いの教授は、持病があって、毎月レントゲン検査を受けるので 毎年の被爆量に神経質になっていましたが その話を思い出しながら、検査も考えものだと思った次第。
大学病院は医学部付属病院である。
著者の出身大学の大学病院のロビーにも 「当院は個々の治療よりも医学教育と医学研究を優先します」 との文言が掲げられてあった。
これはおかしいと著者は言う。 病院は患者を治すことが最優先である。 それなのに、患者よりも医学教育、医学研究を優先するのは順序が逆でないのか。 そう著者は言うのです。
○○病院付属××医学部というべきではないか と著者は述べる。
医学史的には 評判の良い医者の回りに、(多くの患者たちのほか)医者の卵たちも集まってきて そこに初期の医学学校ができたはずだから 病院→医学校 なのでしょうけれど。
がんセンターも、抗がん剤の実験場と言えるものであって、時代錯誤の不要のものと著者は書いている。
がんは全身病である。3大治療(手術、抗がん剤、放射線)だけでは不十分である。 がんの治療には、メンタルのケアや、食事の指導、そしてサバイバーたちによるサポートも不可欠。 時代の流れに逆行するように、3大療法だけでがんに立ち向かおうとする姿勢は、あまりにも時代錯誤が甚だしいと著者は述べている。
告知をきっかけに、とたんに病状が悪化する人はとても多い。 告知され、即、自殺などという悲惨なケースも耳にする。
しかし、まったく希望のない病態というものはない。 したがって、希望のない告知は偽りであり、犯罪である。 私の言葉ではなく、この著者の言葉です。
告知にかかわらず、人の行く末などは予言した時点でバイアスが入ってしまい、その人の心理に大きく影響を与えてしまう。 言葉の影響力はとてつもなく甚大なのだ。特に弱気になっている人には、ほんと些細な一言でも、命を奪ってしまうことがありうるのだ。
特に希望のない余命告知は残酷だ。余命告知は他人のデータだ。 しかも西洋医学、すなわち3大治療だけを受けた方たちのデータにすぎない。自己治癒力を高める手立てを何も施さなかったケースがほとんどだ。
告知は患者のためではなく、医者のためである。 裁判で訴えられるアメリカの医者の保身のための告知が、日本でもはやっている。
医者は平均的に長生きではない、と著者は言う。 「医者の不養生」は現在も真実。 あの、ほとんど106歳まで現役医師だった人は例外的?
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