> 当時の東海道線は、御殿場線だったから > 国府津(こうづ)−御殿場−沼津 のルートだったのです。 > 東海道線 新橋〜神戸 明治22(1989)年開通
> 軽便鉄道からランクが上がり、丹那トンネルも開通として > 東海道線が新しく 国府津−熱海−沼津 列車が走ったのは 昭和9(1934)年 > > 金色夜叉の貫一とお宮は、どうやって熱海までいったのか? > まじめに調べている人がいます。
佐藤喜一:鉄道の文学紀行 中公新書1830
一度読んだことがある本 改めて借りてきました。
金色夜叉が読売新聞に連載を始めたのは,明治30年1月1日から。 有名な熱海の夜が「1月17日」 この夜を明治30年としてよいかはさておき、と著者は推理をはじめる。
新橋から国府津までは鉄道があった。 国府津から小田原までは鉄道馬車。 これは明治20年10月から走り始めている。
小田原からは豆相人車鉄道 明治29年3月に全通。
だから、金色夜叉の主人公の貫一もお宮も豆相人車鉄道に乗ったであろう。
> 豆相(ずそう)人車軌道というのがありました。 > それならと、小田原−熱海 ここに人車軌道ができたのは 明治29(1896)年 > 押し手の人件費もかかるし、効率が悪いというわけで > 機関車をつかうことになった。 > 念願の動力化と改軌道改修工事が完了したのは明治40(1907)年
尾崎紅葉は明治36年に死んだから、金色夜叉の主人公たちも熱海までの軽便鉄道は知らなかった。
ところで尾崎紅葉は熱海に行ったのだろうか。 この著者はそれも調べている。
明治26年2月、紅葉は硯友社(けんゆうしゃ)同人の石橋思案と熱海まで旅に出た。
小田原から,まだ二十代だった二人は、徒歩で熱海に向かう。 途中の吉浜(湯河原)で一泊し、翌日に熱海に着いた。
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