画像サイズ: 389×241 (5kB) | 緑の沃野に上る太陽
7月1日夜、バングラディシュの首都ダッカで武装集団がレストランを襲撃、人質20名が殺害された。邦人7名が巻き込まれて死亡した。
武装集団は、10時間後に突入したバングラディシュ治安部隊により、5人が射殺され、1人が逮捕された。
実は私はこれまでバングラディシュについて、ほとんど関心を持ったことはなかった。そういえば日本の日の丸に似た、しかし地が緑色の国旗を面白いと思ったことはある。
7月4日、私は特に予定がなかったので終日家にいたが、インターネットでバングラディシュ関連のサイトを次々と開いてみた。そこでわかったことは以下のとおりである。
「バングラディシュの国土は147,570㎢、日本の国土377,962㎢の39%である。 それに対し人口は148百万人、日本の人口(128百万)より多い。
一方バングラディッシュの一人当たりGDPは980ドル(日本38,644ドル)。 日本はこの国に対し435.25百万ドルの経済協力をおこなって、第一位の実績である。 在留日本人は819人という数字がある(世界の統計2013年)。参考までにベトナム12,126人、カンボジア1,751人である。
首都ダッカは、ガンジス川(パドマ川)およびジャムナ川、メグナ川に位置する水の都といった感じであるが、雨季やサイクロンの襲来で、水害に悩まされている。 近郊を含む都市圏人口は1,464万人、市街は人と力車で混沌の極みを呈す。」
歴史をたどると、この地はベンガル地方と呼ばれ、農作物に恵まれた肥沃な土地であった。英国が目をつけ、東インド会社を設立し、やがて大英帝国の一部をなすインド帝国の心臓部となった。(その後首都はデリーに移転)
インドは英国からの独立に当たり、ヒンドウ教徒中心のインドと、イスラム教徒中心のパキスタンに分裂した(1947年)が、パキスタンは、インドを挟んで東と西に国土が分割された不自然な国となった。しかし1971年、東の西に対する独立闘争が起こり、多くの血を流してバングラデュシュ人共和国が成立した。
国旗の緑の地は肥沃な大地を表し、そこに上る太陽が描かれている。現首相のシェイク・ハシナ氏の父親は初代大統領のムジブル・ラフマン氏であるが、この人が日章旗を参考にして、この旗を制定したという。
今回犠牲になった7人の方々は本当にお気の毒であった。全員が何らかの形で日本の 国家プロジェクトにかかわっていた。
しかし、この国の現実は、日本とは対極にある貧しい国である。イスラム国の思想に照らせば、日本も西欧の好ましからざる文明を持ち込む手先と映っていたかもしれない。
西漸する日本が、東漸するイスラム国勢力とついに接触したかにも見える。
(2016.7.8) |