画像サイズ: 490×288 (78kB) | フェッラーラには初めて行った。あまり下調べをしなかったので何があるのか知らなかった。ところが、ここはかの有名なジローラモ・サヴォナローラの生誕の地だった。
よくよくあっしらは、サヴォナローラに縁があるらしい。というのは、30年前初めてのカイガイで、フィレンツェを訪れたが、この時、シニョリーア広場で彼が火刑に処せられた場所を発見したからだ。
その時はまさか、将来彼の生誕の地を訪問することがあるとは夢想だにしなかった。大体彼は罪びととして処刑されたのだし、どの本を見ても称賛しているものはないはずである。しかし、過日、渋谷のBunkamuraで「ボッティチェリとルネッサンス 〔富と美〕」展を見たとき、彼の存在価値を発見した。
あっしらは、サヴォナローラは狂僧であると教えられていたが、果たして彼をこの一語で葬り去っていいものか。メジチ家の政治は正しかったのか。かなり乱れていたのではなかったか。やはり、社会にはある程度の節度というものが必要ではないのか。
わが国でも、寛政のころ奢侈禁止令がでたりした。これに従わないものは幕府の容赦ない弾圧を受けた。火刑こそなかったが、歌麿の危な絵は狙い撃ちにされ、京伝などは手鎖の刑に処せられた。
思うに、行き過ぎの面があったからだと思う。サヴォナローラだってかりそめにも修行僧だから、相当の信念をもってやったに違いない。その証拠に、「ヴィーナスの誕生」で有名なボッティチェリなどは、サヴォナローラの考えに共感し、晩年その作風を変えたと云われている。
サヴォナローラの話はこの辺にして、次はフェッラーラの『アンブレラ祭り』について。6月の旅行で、フェッラーラを訪れた時、旧市街でなにか変ったイベントをやっているに気づき、好奇心だけは旺盛なあっしらは、さっそく見物することにした。
実に見事だった。通りの名は(あとで分かったがマッツィーニ通りだった)覚えていないが、それは50メートル以上もあっただろうか。行けども行けど空中に赤やピンク、グリーン、青やセピア、黄色、色とりどりの雨傘が中空から吊る下がり、この下を歩くと、なにがしか開放感のようなものが味わえる。ただ、この街は自転車乗りでも有名で、歩く人と同じくらいの数の自転車が走りまわっているので、上ばかりのんびり眺めてもいられない。じつは、
この催しは、今年の5月1日から6月の30日までで、「雨傘満開の空」と銘打って行われ、商店街の販売増進のため企画されたようだ。あっしらは期間中の6月10日にこの街を訪問した。
これは今年だけの催しのようだが、8月には毎年ブスケルズ・フェスティヴァルというものがあり、これには外国からもミュージシアンや大道芸人が大勢集まって、あちらこちらで色々な得意技を披露したらしい。
また、フェッラーラは、スペインから追い出されたユダヤ人を大量に受け入れた町としても知られていて、ユダヤ系の家に生まれた地元の作家、ジョルジョ・バッサーニも、そのことに触れている由。あっしも、ヒマが出来れば、バッサーニの「フィンツィ・コンティーニ家の庭」(ヴィアレッジョ賞受賞)でも、ゆっくり読んでみたい。
あと特筆すべきはこの街には、クラウディオ・アッバードがタクトを振る交響楽団があるのだとか。
写真は、30年前あっしが偶然に発見した、サヴォナローラ火あぶりの刑の跡を示すマンホール上の文字。 (つづく)
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